ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ダークナイト

2008年08月17日 | 映画レビュー
 これは今年最高の娯楽作だ。もはや娯楽作としての域を超えた、複雑なプロットと何重にもひねった正義と不正義の相克が現代社会の矛盾を突く。先頃急死したヒース・レジャーが演じたジョーカーの史上最悪の極悪人ぶりも恐ろしい。

 前作「バットマン ビギンズ」が中途半端に「正義と暴力と復讐の三すくみ」を描いたのに比べると、本作はその重大なテーマをさらに徹底的につきすすめて考え練り上げた作品。アクション娯楽作でここまで踏み込んで倫理の問題を問うた作品はそうそうないのではないか? もともとクリストファー・ノーランという監督(兼脚本家)はかなり知的なゲーム好きと見た。「メメント」のあのアイデアマンぶりには驚嘆したし、「プレステージ」で魅せたマジシャンぶりといい、バットマンシリーズで追求している社会倫理の問題といい、現代社会について真面目に考えている監督である。まだ40歳にもならない監督が、ここまでの作品をものしたことには驚嘆のほかはない。9.11以後の世界を描かずにはいられない昨今のハリウッド監督たちのなかで、ここまで深くテーマを掘り下げ、しかも大ヒット作を作ったというのは並大抵の手腕ではない。小難しい芸術作ではなく、このような子どもでも見られる娯楽作において暴力の連鎖の恐ろしさと復讐の空しさを説き、なおかつ大衆の善意への信頼がまだ失われていないという救いをわかりやすく描いたことは特筆すべきではなかろうか。



 などと、のっけから絶賛の嵐のようなレビューを書いてしまったが、これを読んで嫌がおうにも期待値が高まりすぎるとがっかりするかもしれないので、少しテンションを下げてみよう。

 もともとバットマンは、ダーク・ナイト(dark night だと思っていたら、 dark knight だった)という、闇に生きる存在だ。彼は悪人を成敗する正義の味方ではあるけれど、超法規的措置をとるため、結局のところその天誅はしょせんは私刑に過ぎない。しかも、市井の名も無き一市民がバットマンに変身するわけではなく、大富豪が「メセナ事業」として身体を張ってバットマンに変身するわけで、そもそものバットマンの出来(しゅったい)からして「由緒正しく権力と金力のもとに生まれた」という血筋を持つ。こういうのを見ながら思わず「そんなに金があるなら、うちの図書館に寄付してください。毎年1000万円くれるだけで維持できるからぁ!」と心の中で叫んでしまったわたしって、最近「寄付お願い」モード全開状態(^_^;)。スパイダーマンがさえない青年の変身した姿であるのと対照的に、バットマンはもともと貴族である。だからバットマンの精神は「ノーブレス・オブリージュ」なのだ。

 で、本作ではその「ノーブレス・オブリージュ」の精神を発揮するのはひとりバットマンだけではない。新たに登場した輝けるヒーロー、正義の味方・デント検事(アーロン・エッカート)もまた犠牲的精神を持つ高潔な人間だ。デント検事は正義が服を着て歩いているような人物で、ゴッサム・シティの住民からは「光の騎士」(White Knight)と尊敬を集めている。あまりの爽やかぶりにわたしのようなひねくれた人間は「なんかあるんじゃないの」と裏を読みたがるものだが、ま、このデント検事がどうなるかは見てのお楽しみ。

 本作ではバットマンことブルース・ウェインの幼なじみの女性とデント検事との恋の三角関係も興味深くストーリーを引っ張る。彼らの愛情がまたジョーカーには人を弄ぶ対象となるのだ。ジョーカーは理屈なき悪人である。人を不幸に陥れるのが大好き。人の心を弄び傷つけるのが嬉しくてたまらない。その邪悪な目つき、邪悪な笑い、邪悪なねっとりとしたしゃべり方。これ以上気色悪い奴はいない、というヒース・レジャーの怪演は各種映画賞総なめものの熱演だ。看護婦の扮装でヒョコヒョコと歩きながら病院を爆破するシーンなんてまさに絶品。 

 最初に書いたように、この映画は社会倫理について真正面から取り上げ、観客をも巻き込んで考えこませる優れた作品であると同時に、アクションシーンでも観客を堪能させるメリハリの利いたカメラの動きとバットマンの新兵器「バッドポッド」のかっこよさなどエンタメ的見所も満載している(本作における「倫理ゲーム」については社会学の教科書に載っているゲーム理論を思い出す)。

 ジョーカーに対峙するバットマン、デント検事、そしてゴードン警部補。この3人がそれぞれに協力しつつジョーカーを追い詰めようとするが、まんまとジョーカーの手に落ちてしまう。ジョーカーはバットマンとは表裏一体の存在であり、バットマンがいる限りまたジョーカーのような悪の権化はなくならないというアポリアを抱えたまま物語はねじれを加速する。ジョーカーのような邪悪な敵を倒すには、殺すしかないのか? しかしそれでは復讐の連鎖にすぎないのではないか? バットマンはどうすべきなのか、そしてわたしたちはどうすべきなのか? 物語のテーマをすべて「9.11以後」という言い方に流し込みたくはないけれど、いやがおうにもその問題を考えずにはいられない。ラストシーンに漂う深い不条理感は、これからもバットマンが闇の騎士として「悪と正義」の間を永遠にさまよう宿命を痛感させて悲哀たっぷり。この夏、必見のアクション大作です。

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ダークナイト
THE DARK KNIGHT
アメリカ、2008年、上映時間 152分
監督: クリストファー・ノーラン、製作: チャールズ・ローヴェンほか、製作総指揮: ベンジャミン・メルニカーほか、脚本: ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード、ハンス・ジマー
出演: クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、ゲイリー・オールドマン、アーロン・エッカート、マギー・ギレンホール、モーガン・フリーマン

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4 コメント

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どちらが怖い (葉っぱ64)
2008-08-17 21:37:41
ノーカントリーのシガーは寡黙だけど、
ジョーカーは饒舌だったですねぇ、
殺し屋としてはシガーの方が怖い、
ジョーカーには「理性」(光)の陰画の部分があるが、シガーにはそんなものは全くない。
ジョーカーは話が通じるところがあるが、
シガーは通じない。
怖い映画として軍配をあげるなら、「ノーカントリー」ですねぇ。
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どっちがこわいか (ピピ)
2008-08-18 00:50:10
 確かに、「ノーカントリー」も怖かったです。ジョーカーに「話が通じる」かどうかは疑問ですが、シガーはいちおう殺人に対して何か理由のようなものがあったのに対して、ジョーカーは「悪そのものが楽しい」人間ですから、やっぱりジョーカーのほうが邪悪ではないでしょうか。

 まあ、どっちにしても今年は史上最悪&史上最怖の二大殺人鬼と映画上で遭遇してしまいましたね。作品はどちらも面白くてよかったけど。
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シガーがやっぱ怖い、 (葉っぱ64)
2008-08-18 18:18:06
>シガーはいちおう殺人に対して何か理由のようなものがあったのに対して、ジョーカーは「悪そのものが楽しい」人間ですから、やっぱりジョーカーのほうが邪悪ではないでしょうか。

何かぴぴさんとは逆みたいw。
ジョーカーには悪そのものが楽しいという理屈があるけれど、シガーにはそんな理屈を越えている、善悪を越えているわけです。
偶有性に賭けている、自然というか神に近い。
シガーの殺人は災害に近いわけです。
ジョーカーは人間臭いとも言える。
何かマイケルジャクソンに似た動きでしたねぇ。良くしゃべり、理屈を言うじゃあないですすか、シガーは理屈を言わない。ただ、コインの表裏のみに賭ける。
ジョーカーはゲーム理論に戯れるポストモダンの思想家とも言えるが、その限りにおいて狂人ではない。シガーはどうも人間ではない狂人か悪魔か神ですねぇ、
「闇の子どもたち」はシリアスなドラマでした。
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再鑑賞しないと… (ピピ)
2008-08-18 23:35:51
> ジョーカーには悪そのものが楽しいという理屈があるけれど、シガーにはそんな理屈を越えている、善悪を越えているわけです

 ふむぅ~、なるほど。これ、「ノーカントリー」をもう一度見ないとちょっとわかりませんねぇ。しかしあのしんどい映画をもう一度見る勇気もない…(^_^;)

> ジョーカーはゲーム理論に戯れるポストモダンの思想家

 おお、これは膝を叩きました。確かに、脚本を書いたノーラン兄弟がそういう思想を持っているというか好きというか、そういうインテリなのですね。

「闇の子供たち」、水曜ぐらいに見たいです。
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