私は、個人的に伝説とか伝承が好きなんですよ。それには古代の知恵とか、経験とか、重要な事が含まれていることが多いからです。現代に生きる者達も、もっと謙虚に「古(いにしえ)の知恵」を大事にすべきではないかと思っております。そして、科学論文よりも、現代の最先端科学よりも、私は重要な事を伝えていると思っております。
オーストラリアのカカドゥの先住民ミラル族の伝説
ウラン鉱床がある地域にはジャン(Djang)とよばれる聖地があり、そこが荒らされるなら「壊滅的な恐ろしい力」が世界に解き放たれるというのです。彼らはオーストラリア政府に警告していましたが、もちろん聞いてはもらえず、このウラン鉱床は長年の交渉の末、採掘され、日本にも輸出されています。また、採掘の際出る不純物は巨大な池に貯められていますが、今、その池に貯まっているはずの高濃度の放射能汚染水が大雨の影響などにより、アボリジニの村や湿原などに流れています。ミラル族は、今回の日本の原発事故もこのジャンの力が関係していると感じているそうです。
カカドゥの先住民ミラル族の長老イボンヌ・マルガルラさんからの1通の手紙
果てしなく広がる熱帯雨林、大湿原に舞い降りる白い鳥の群れと沈む夕日…。オー ストラリアの観光プロモーション・ビデオに必ず登場する北部準州カカドゥ国立公園の景観だ。
ユネスコの世界遺産(自然・文化の複合遺 産)にも指定され、古いものでは2万年以上 の歴史を持つという洞窟壁画が各所に残るカカドゥ。ここで暮らす1人の先住民アボリジニの女性が、東日本大震災発生から約3週間後の今年4月はじめ、潘基文国連事務総長に1通の手紙を送った。
手紙には「地震、津波、そして原発事故の被害を受けた日本国民への同情と悲しみ」について書かれていた。
この手紙を送ったのは、カカドゥの先住民ミラル族の長老イボンヌ・マルガルラさん。ミラル族は1976年に制定された「アボリジニ土地権法」により、カカドゥにある3 つのウラン鉱床のうち、レンジャーとジャ ビルカの2つの鉱床がある地域の伝統的土地権利者(Traditional Owner)として認定されている。
資源大手リオ・ティント社傘下のERA社が 運営するレンジャー鉱山(1980年操業開 始)は、北部準州の首都ダーウィンの東約 250キロにあるオーストラリア最大のウラン 鉱山で、世界のウランの約10%を生産し、日本にも多く輸出している。レンジャー鉱 山で採掘されたウランは、その場でいわゆ るイエローケーキ(ウラン精鉱)に精錬さ れ、その際に出る不純物は巨大な池に貯め られる。だが、この池にとどまっているはずの高濃度の放射能汚染水が、大雨の影響 などにより下流のアボリジニの村やラムサール条約によって保護されているマジェ ラ湿原に流れ込んでいるとの指摘もある。
イボンヌさんの父トビー・ガンガーレさんも当初このウラン鉱床開発に反対していた が、6年にも及ぶ長期交渉に根負けし、つい に協定書にサインしてしまう。これにより 伝統的所有者側には、2億ドル以上の大金が 支払われることになるが、結局「聖地」として大切にしてきた土地が破壊され、部族 の中では金銭をめぐるいざこざが頻発する ようになったという。
その後、酒に溺れ失意のうちに 1988年に他界した父の跡を受け継 ぎ、ミラル族の長老となったイボンヌさんは、父を騙すようにして結ば れてしまった協定破棄のための行動 を開始。1998年には8カ月にわたり約5,000人がジャビルカ鉱山開発地を封鎖するなどした。
イボンヌさんは、国連事務総長宛ての手紙の中で、1970年代に当事の田中角栄首相とオーストラリア政府が、カカドゥのウランを日本に輸出することに同意し たことに触れ、「私たちの土地から採掘 されたウランが、福島第1原発事故による放射能汚染の原因の少なくとも一部になったことをとても悲しく思う」としている。
ナバホ族インディアンの言い伝え
「我々の地には 我々を大切に守り 幸せにする物が 埋まっている、だから我々の子孫は、将来幸せになれる。そして それが 正しく使われる様になる時が来る。だから我々はココを守らなければならない。もし それらを 掘り起こす事があれば不幸になるだろう」
(参考)ウランの採掘の初期の頃に鉱山で働いたナバホ族の400人中約70人が肺がんで死亡したといわれています。
ホピ族の言い伝え
母なる大地から心臓をえぐり出してはならない
もしえぐり取ったならば それは灰の詰まつた瓢箪と化し 空から降り
やがて世界を破滅に導く
この瓢箪の灰は恐ろしい破壞力を持ち
川を煮えたぎらせ 大地を燒き盡くし 生命が育たなくなる
そして人々は不治の奇病に苦しむのだ
原発の材料となるウランは、ホピやナバホインディアンの住むアメリカのフォーコーナーズという聖地から
掘り出されています。広島市・長崎市に投下された原子爆弾の原料となったウランは、ここから採掘されたものです。彼らは、この土地をグレートスピリットから与えられた土地であり、この地は地球上で重要な聖地の一つであるとして大切に守り続けてきました。「もし我々が進歩の名の下に別の文化に身をゆだねることになったら、失ったものを取り返すことは難しいだろう」 と言い伝えられたそうです。
人形峠の蜘蛛
東伯郡三朝町の穴鴨(あながも)から10キロばかり東に行くと、鳥取県と岡山県との境に、人形峠というところがある。
そこには昔、牛のように大きな蜘蛛が隠れ棲んでいたという伝説が残っている。昔、この峠の山の中に、牛のように大きな蜘蛛が1匹隠れ棲み、峠を通る人を待ち受けしばしば取って食べていた。近くの村人は恐れをなして出来るだけ峠に近寄らないようにしていたが、そのことを知らない旅人や商人たちは、きまって、峠の山の中で殺されていた。死体には必ず、ねばっこい蜘蛛の糸が絡み付いており、咽喉の部分が蜘蛛の鋭い歯で噛み切られていた。
ある時、ふもとの村を通りかかった旅の若者が、この大蜘蛛の話を聞き、「よおし、そんなら、わしがその大蜘蛛を退治してやろう」と言った。村人はとてもそんなことが出来るはずもない、と止めたのだが、「なに、蜘蛛の1匹や2匹、わしのこの弓で退治できんことはないわい。必ず仕留めてやる。それには、みんなも、ちいたあ力を貸してくれにゃあいかん。
日の落ちん内に人間そっくりの藁人形を一つ作って、峠の大蜘蛛の出るあたりに立てかけておいてくれ」と言った。村人たちはそこで、男の言う通り藁人形を一つ作り峠に持って行くと、後も見ないで一目散に逃げ帰って来た。
峠では、あの若い男が一人、藁人形から少し離れたところで弓矢を傍らに置いて身を隠しながらじっと人形を見守っていた。やがてどこからともなく、バサバサと辺りの木々を踏み分け大蜘蛛がやって来た。真っ赤な大きな口を大きく開けて、今にも人形に飛びかかろうとしていた。若者は「しめた!」と、つぶやきながら、すばやく弓に矢をつがえた。大蜘蛛は、それとは知らずに立てかけてあった藁人形に糸を吐きかけて動かないようにし、
人形の喉笛のところに飛びついた、まさにその時、若者が狙いを定めて放った矢が「ビューン」と大きな音をたてて大蜘蛛の胸を射抜いた。そして、追いかけるように放った矢は大蜘蛛の顔や腹に数本突き刺さり、どくどくと赤い血を流しながら死んでしまった。
こうして、この峠は安全に行き来が出来るようになり、人々は喜んで、この峠の事を「人形峠」、大蜘蛛の隠れ棲んでいた近くの山は「人形仙」と呼ぶようになった。
この「人形峠の蜘蛛」はウランの眠る聖地を守っていた「物の怪(もののけ)」ではないでしょうか?ウランの放射能から人々を守る役割も担って居たわけです。
いろいろ調べてみますと、世界のウラン鉱の眠る土地の多くは聖地とされ、そこを荒らすならば人々に災いをもたらすと言う伝説が多いようです。文明の遅れた原住民の伝説など私達は一笑に付していました。さて、古人(いにしえの人々)は本当に知恵が無かったのでしょうか?むしろ、私達の方が無知だったとは思いませんか?