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The Curious Case Of My Life

船到橋頭自然直

2017年の年末

2018-12-24 16:34:52 | 日常生活

正確な日にちは覚えていませんが、年末です。

この日は珍しく兄夫婦と私たち夫婦が見舞いに来ていて

5人そろいました、一人部屋を与えられていたので割とのびのびと過ごせていたと思いますが

ちょっと日当たりが良くないかなという病室です。

生活に必要なものを整理したころ、母は言いました。「みんなで写真撮ろうよ」と。

以前からみんなで写真を撮ろうと思っていましたが、

2016年と2017年のお盆も惜しくも忘れてしまい、皮肉にも病院での写真が最初の写真となりました。

この写真は本当に良い写真で一生の宝物にしたいと思います。

 


大学病院へ転院

2018-12-23 16:23:07 | 日常生活

大学病院へ転院する日がやってきました。

ここで問題なのが、車です。僕は車を持ってないので

病院から病院へ移動するのはタクシーしかありません。

ただ車で40分の距離で経済的に非常に厳しい状況です。

あまり友人には頼みたくないですが、小学校からの友人に車を出してもらいました。

今思うと本当に感謝しています。持つべきものは友達ですね。

この時すでに歩行ができないので、車に乗せる時は苦労しました。

介護士の友人がやってもなかなか上手く乗せられなくて、母の上半身を抱え込んで持ち上げるんですが

痛いみたいです。道中運悪く渋滞していましたが、無事に転院先の病院に着き、

やっと一呼吸付きました。

 

入院の手続きをし、担当看護師さんに会いました。妹と同じくらいの年で一生懸命で、非常に好感を持てる方でした。

手続きに結構時間かかりそうだなと、母は悟ったんでしょう。「出張に行く」と嘘をついて早く会社に行きなさいと。

母のことが気がかりでしたが、その日は病院をあとにし、一日でも早く良くなるようにと祈りながら会社へ行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学病院での初診

2018-12-21 16:18:29 | 日常生活

救急車で運ばれ、そのまま入院してましたが

ようやく大学病院での受診ができるとのことで

確か12/18くらいだったと思いますが、兄と母の3人で大学病院へ行きました。

医師は色々母に聞いていました。飲酒、喫煙の有無、大麻、覚せい剤の摂取などまでです。

そんなものやるわけないだろと思いましたが、これもしょうがないのでしょう。

握力を測ったり、関節が動くかどうか、手足の押す力なども見ていました。

30分ほど受診したあと、結局何の病気かわかりませんでしたが

嫌な予感はしていましたが、前向きに、前向きにと考えました。

そこは大きな病院で待ち時間も長く、結局その日は5時間くらい病院にいたと思います。

長い一日でした。自宅に帰っても面倒見れないので、1週間ほど田舎の病院に戻すことにしました。

クリスマス前後で大学病院に検査入院です。

 


救急車を呼ぶ

2018-12-20 17:43:43 | 日常生活

母は何の病気なのか、回復できるのかと、毎日このことばかり考えていました。

家に一人でいて何かあったらどうしようと不安でした。大学病院の予約が取れず

3週間待つことになりました。原因不明の病気の患者がいるのになぜ3週間も待つのか?と怒りさえもありました。

11月後半~12月上旬、母は朝自分で起きれなくて、僕が上半身を起こしてあげないと、体を起こせない、

介助が必要な状態でした。

ある日、仕事中に突然、あの田舎の病院から電話がありました。お母様が自宅で転んで救急車で運ばれたと。

転んだあと、母自ら救急車を呼んで、そのまま入院したほうが良いと思ったのでしょう。

しかしながら、病院からは幸い大したケガでは無いので、家に連れて帰ってくれと言われました。

病院は今すぐ来いと言っていましたが、仕事中で更に都内で勤務しているので

直ぐに行ける距離ではありません。病院まで遠いので約2時間半かかります。

たしか2時過ぎに会社を出て、4時半~5時くらいの間に病院に着いたと思います。

その時、大きな怪我はしていなかったので、安心しましたが、もう母が歩けないという現実と

筋力の低下が激しくなっているような気がして、言葉がありませんでした。

12月12日前後のことだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 


田舎の大きな病院

2018-12-18 17:15:01 | 日常生活

ちょっと田舎ですが、 千葉県の某市でも大きな病院を紹介され、タクシーで母を連れて行きました。

足に力が入らないので、車の乗り降りがかなり難しい状態でした。

ご家族に高齢者がいる方なら想像できるかと思います。

診察してもらうまで2時間ほど待ち、先生は非常に若い方でした。

握力を測ったり、足の指から膝、太腿や体の色々なところをチェックされ、レントゲン、血液検査などしましたが、

(その他体に負担がかかるような検査があったと思います。)結局何の病院かわからず

大学病院で診てもらった方が良いということになりました。

この時から母はすでに悟っていました。もしかしたら悪い病気で長生きできないかもしれないと。

僕は19歳の時に父が倒れ、その一年後に父を亡くしているので、今まで母を大事にしてあげたいとずっと思っていたので、

この原因不明の病気に直面し、頭が真っ白になりました。

この時、11月末でした。なんで悪いことばかり起きてしまうんだろうとひどく嘆きました。

 


悲しみの始まり

2018-12-01 23:04:23 | 日常生活

もうかなり前の話で、なかなか書けませんでした。

でもやっぱり書こうと思います。

2017年の10月中旬に台湾、中国へ出張に行きました。 

もう8,9回目の出張になります。

1週間後に帰ってきたら、なんと母が左肩を脱臼していたんです。

自転車で仕事に行く時に、転んだそうですが、包帯を巻いている姿は非常に痛々しく見ているのが辛かったです。

この時は足の病気で、足に力が入らなくなり、自転車の操作ができなくなったんだと思っていました。

足の病気だったら、どんなに良かったことか。

 

その後、1ヶ月後に母が言いました。左肩が脱臼しているのに、右手まで力が入らなくなってきている。と

この時からやばいと思いました。まさかこんなに深刻なのかと。

 

そして、整形外科に連れて行きましたが、医師が母の様子を見て、整形外科ではなく、

脳神経外科に行った方が良いと言いました。

 

これだけ足に力が入らなくなるのは普通では考えられないようで、やはり医師はさすがです。

自分の専門分野以外でも事の重大さがわかるようです。

 

その日のうちに近くの脳神経外科に行き、MRI検査をしました。

僕はこの時すでに泣いていました。

嫌な予感しかしなかったんです。

最初の医師の見解は、自転車で転んだ時に頭を打って脳から出血したのではないか?とのことでしたが違いました。

NRIの結果は、医師でも何の病気か不明とのことで、大きな病院を紹介されました。

これからどうなってしまうんだろうと不安で涙が止まりませんでした。