「 「チンコロ姐(ねえ)ちゃん」「ポンコツおやじ」など、少しエッチでとぼけた作風で知られた
漫画家の富永一朗(とみなが・いちろう)さんが5日、老衰のため死去した。96歳だった。
大分県の小学校教員を経て、1951年に上京。吉行淳之介さんに見い出されて漫画を描き始めた。
60年から週刊誌で「ポンコツおやじ」、「チンコロ姐ちゃん」の連載を始め、
健康的なお色気や独特のセリフ回しで人気漫画家の仲間入りした。
76年に始まった長寿番組「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演し、
盟友の漫画家、鈴木義司さんとの軽妙なやりとりでも親しまれた。
78年は本紙で四コマ漫画「東京パンチ」を連載した。
86年に「一朗忍者考」で日本漫画家協会大賞。
98年に勲四等旭日小綬章。岡山県高梁市の吉備川上ふれあい漫画美術館の名誉館長を務めた。」
(「読売新聞オンライン」より引用)
富永一朗さんと言えば、「お笑いマンガ道場」。
40代以上の人でないとおそらく馴染みがないのかと思うが、ゆるく面白い番組だった。
この番組の構成としては、お題に対してフリップにイラストを描いて答えるという形式なのだが、何と言っても
下書きなしで直接マジックで描いているにも関わらず上手いというところは凄かった。
そんな中、漫画家である富永一朗さんと鈴木義司さんとの掛け合いは、
画風もネタも全然違っているけど、プロのプライドも垣間見えて非常に面白かった。
この番組が終了してからは全然お名前を聞くこともなかったのですっかり忘れていたが、訃報を聞くと
また一人(一方的に)馴染みのあった方が亡くなられたなぁと寂しく思う。
ご冥福をお祈りいたします。
漫画家の富永一朗(とみなが・いちろう)さんが5日、老衰のため死去した。96歳だった。
大分県の小学校教員を経て、1951年に上京。吉行淳之介さんに見い出されて漫画を描き始めた。
60年から週刊誌で「ポンコツおやじ」、「チンコロ姐ちゃん」の連載を始め、
健康的なお色気や独特のセリフ回しで人気漫画家の仲間入りした。
76年に始まった長寿番組「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演し、
盟友の漫画家、鈴木義司さんとの軽妙なやりとりでも親しまれた。
78年は本紙で四コマ漫画「東京パンチ」を連載した。
86年に「一朗忍者考」で日本漫画家協会大賞。
98年に勲四等旭日小綬章。岡山県高梁市の吉備川上ふれあい漫画美術館の名誉館長を務めた。」
(「読売新聞オンライン」より引用)
富永一朗さんと言えば、「お笑いマンガ道場」。
40代以上の人でないとおそらく馴染みがないのかと思うが、ゆるく面白い番組だった。
この番組の構成としては、お題に対してフリップにイラストを描いて答えるという形式なのだが、何と言っても
下書きなしで直接マジックで描いているにも関わらず上手いというところは凄かった。
そんな中、漫画家である富永一朗さんと鈴木義司さんとの掛け合いは、
画風もネタも全然違っているけど、プロのプライドも垣間見えて非常に面白かった。
この番組が終了してからは全然お名前を聞くこともなかったのですっかり忘れていたが、訃報を聞くと
また一人(一方的に)馴染みのあった方が亡くなられたなぁと寂しく思う。
ご冥福をお祈りいたします。