あぁ、生きた証

日記、献血放浪記、気がついたり考えたりしたこと、地元清水エスパルスについて書いてます。

なんとなく編集をしてみた

2018-06-04 | パソコン・ネット
父がレビー小体型認知症を発生させてから、余命は7〜8年くらいなのだろうかと漠然と覚悟していた。
(実際、父は5年くらいで亡くなった。)


それまでの間、日常生活の中で何か出来ないかなと、施設に預けられている時間が長い中、たまに家に帰って来た時は
ちょいちょい写真を撮ったり、最近では動画を撮ったりして、生前の姿を残しておこうと思った。


一昔前とは異なり、ケータイ、スマホの普及によりカメラは誰もがいつでも持っているものになった。
それにより「写真を撮る」ことはいつでも手軽にサッとできるようになり、本当に身近なものとなった。

しかも最近では動画でさえもスマホで、しかも高画質で簡単に撮影することが可能となったので、
「記録」する上では非常に便利になった。



かつては白黒写真で1枚しかないといったケースも少なくなかったが、今では生前の動いたり喋ったり、まさに
生活している様子がそこに垣間見ることが出来るのは、死んでもなお生きている故人に会える感じで、
文明の利器の偉大さを感じざるを得ない。

そんなこんなで今まで撮りためた生前の父の姿を集めたら動画で30分くらいの尺となった。
1つの動画が概ね10秒〜1分弱くらいなのでそれなりの数のものとなった。


ただ、認知症を発症してからの姿しかなく、その前のバリバリ働いていた頃の動画はないし、
当時我が家には動画を撮影する機材もなかった。



「亡くなって」その人が、もう自分たちの前に生きている状態で二度と会うことはないこと自体、誰もが
理解しているのだが、あまりにも唐突すぎて、本当に亡くなったのかどうなのか未だに実感がないというのも
事実である。

こちらがどう感じていようと事実は事実で変わりようはないものの、しかし一方で動画として残すことが出来たのは
生前なかなか会うことが出来なかった親戚の人たちからしても、貴重な日常の一コマとしてよかったと思う。
コメント
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