満月と黒猫日記

わたくし黒猫ブランカのデカダン酔いしれた暮らしぶりのレポートです。白い壁に「墜天使」って書いたり書かなかったり。

『残穢』

2013-01-08 03:45:07 | 

皆様ごきげんよう。寒さを打ち払うのは、結局飲酒が最強なんじゃないかという結論に達しつつある黒猫でございますよ。ウォッカ最強すぎるだろ・・・ぽっかぽかやでぇ。でも日常的に氷点下になるような土地で、これしか頼る手段がないというのは怖いです。酔って外で寝てそのまま昇天、あり得るよコレ。


さて。今日は久々に本の感想。当然ながら今年初レビューです。昨年は色々と滞り、本などのレビューもあまりせずじまいだったので、今年はもっと頻繁にしたいです。
※ホラーなので苦手な人は注意。

『残穢』(小野不由美著、新潮社)

物書きの「私」(=小野不由美さんご本人)は、かつて少女向けレーベルでホラー小説を書いていた。その当時、あとがきで「あなたの恐怖体験談があれば送って下さい」と書いていたため、今に至るまで読者から怪談話が届く。
募集していたのはそのシリーズを持っていた頃のことではあるが、未だに稀に体験談を送ってきてくれる人がいる。そうした中、久保さん(仮名)という編集者の女性が「入居したマンションの部屋で、自分以外誰もいないのに時折床を掃くような音がする」という体験談を送ってきてくれ、その手紙が縁でやり取りを続けていたが、何度か続報が送られてくるうちに、「私」は似たような体験談を送ってきた人がいたことを思い出す。差出人の住所を確認するに、どうやら久保さんはこの体験談を送ってきてくれた人と同じマンションに住んでいるようだった。(※部屋は違う)

マンションに何やらいわくがあるのかと、久保さんと「私」がそれぞれ調べると、そのマンションどころか、近隣の一戸建てでも怪異を感じて転居する人が多いことが判明する。
かつて自殺や人死にがあり、そうしたものの霊が出るのでは、という前提で調べ始めたものの、マンションでは建築以来自殺等含め不審死は出ていないという。
久保さんと「私」は、それぞれ伝手をつたって、マンション付近一帯にかつてどんな人々が住み、どうして去って行ったのかを調査するが・・・?

というような話。


小野不由美の新刊フゥ~!ヒャッハァー!というテンションで読み始めましたが、いやあ、怖かった!やっぱり実話系って怖いですね。
実話系ではなく純粋な創作の新刊だと思っていたのですが、読み始めたらこれはこれで面白かったです。

実話系の怪談話では、「恨めしげな女の霊に追いかけられた(けど心当たり一切なし、結局どういう因縁があったのか全く不明)」というような、怖いけど腑に落ちない感じで終わるものが結構あります。今回のも端緒からしてそういう感じなんですが、たまたまその怪異に遭ったのが調査や聞き取りが得意な編集の仕事に就く人で、更に調べものをしやすい環境にある小野さんが関わったものだから、普通だったら「何なのかわからないけど怖かった」で終わるはずのところを、これでもかというくらい調べていきます。
そしてどんどんその土地で過去にあったことが明らかになっていきます。正直本編の四分の三くらいまでは、まああってもおかしくない感じの事実の解明なんですが、ラスト四分の一くらいは完全に予想外でした。斜め上というか、そんなとこから!?みたいな。

そもそも幽霊的なものが「出る」条件として、

・(目撃者)本人に恨み
・その場所で無念の死
・訴えたいことがある

くらいまでは理解しやすいですが、小野さんはこれらではなく斬新な角度から心霊現象の条件を類推していきます。それがまさにタイトルとなっていますが、これがあり得るとしたら、心霊現象って交通事故のような、どうあがいても避けがたく、遭う時は遭ってしまうものなんじゃないかと思いました。
でも読んでいると結構納得できてしまうので怖い。
これから引っ越しを予定している方は読まないほうが・・・いや、敢えて読んでおいたほうがいいのかなあ。登場人物はすべて仮名ですが、調べようと思ったらこれ色々調べがつくんじゃないかなと思います。調べたくないけど。

わたしは『十二国記』シリーズからの小野さんのファンなので、以降の本はほぼ読んでいると思いますが、近年の寡作ぶりを憂いてもいました。もともと遅筆な方ではあるようですが、この本を読む限り、体調も思わしくなかったのですね。しかしどうやらかなり復調されたようなので、今後の十二国記の続刊に期待したいです。楽俊大好き!
もともとホラー小説の書き手としても優れた方だと思っていましたが、この作品は相当うわあと思いました。ホラーが苦手な方は避けるのが賢明かと思います。でも好きな方にはおすすめ。


ブグログレビューにまつわる小咄

2012-08-17 01:20:06 | 

皆様ごきげんよう。暑いですね、だがそこがいい、黒猫でございますよ。暦の上では秋とか、何それどこ情報?どこ情報よ~?(地獄のミサワ風に)
夏の盛りが過ぎゆくなど、わたしは認めない、認めない決して!!


それはさておき。

今日は結構前からやろうやろうと思っていた本のレビューに関する小咄を。

わたしはこのブログで時折読んだ本のレビューをしています。以前はもっと頻繁だったんですが、昨年頃から「これは面白かったから、是非みんなにも知らしめないと!」と強い気持ちが働かない限り、ブログ上ではしないようになりました。
何故かと申しますと、読んだ本の全部をやるとなると、結構めんどいのです。面白かったのならそれなりにキーボードを打つ指も進みましょうが、さほどでもなかった場合、苦痛になります。

そんなわけで、昨年あたりから、ブグログを利用して読書メモをつける形にしています。
こちらはホントにチラ裏(=チラシの裏に書くこと、転じて自分しか見ない自己満足メモ)という感じで、twitterのように他のユーザーさんのフォローができるにも関わらず、今の所フォローさせて頂いている方はおひとりのみです。これもアカウントを取った当時の勢いでやっただけで、ご本人にフォローさせて下さい的なアプローチは一切せず、「うわっ・・・わたしの行為、キモすぎ・・・?」と思いつつの行いでした。
直接のやりとりはないものの、何故かその方はわたしのアカウントをフォローして下さり、ということは多分黙認して頂けたのだろうと勝手に思って現在に至っております。(なんかすいません)

それはさておき、他者との交流はほとんどないまま、ちょっと検索すれば読んだ本の詳細情報等がすぐに出てきて、読了メモ代わりに使えると思い、主に「何月何日にこれ読み終わった」というメモ代わりに使っていました。
でもなるべくレビューは書くようにしていますが、今のところ全体の八割弱といったところです。しかもここで書くようなあらすじまでは滅多に書きません。

で。

一年以上前ですが、『ある少女にまつわる殺人の告白』という本を読みまして、面白かったので、そういう気持ちを含めたレビューを書きました。(※リンク先はわたしのブグログレビューです)
そしてその半年後くらいの3月末、ブグログから「文庫化にあたりあなたのレビューを一部使用させて頂いてもいいか」というメールが来ました。

チラ裏見てる人いたのか・・・!つかそんな公式に近いとこからメールが来るとは・・・!

びっくりしつつもどうぞ使って下さいと返信すると、しばらくしてから著者サイン入りの文庫本が送られてきました。マジか・・・!

わたしのレビューは文庫の帯の裏面に一文だけ引用されていました。映画でいう「全米が泣いたしわたしも泣いた(Aさん:OL)」とか、そういう感じで(笑)。文庫化にあたり、ネット上のレビューをいくつか引用したようです。でも自分のレビューから引用されるとは、なんとも不思議な感じ。

『ある少女~』は虐待されていた少女に関する話を関係者に聞き取る形で進行するミステリです。テーマがテーマなので辛い感じはありますが、最後のどんでん返しがとても鮮やかでした。ご興味を持たれた方は是非。


まあ、こんな椿事がありながらも、その後も以前と変わらずブグログで読書記録をつけています。
ただ、自分はチラ裏のつもりでも見てる人いるんだよ、ワールドワイドウェブだからね!という思いは忘れないようにしよう、と、改めて思いました。

『さわり』

2012-06-12 18:57:38 | 

皆様ごきげんよう。雨降りつらい、黒猫でございます。

今日は久しぶりに本の感想を。

『さわり』(佐宮圭著、小学館)

「女として愛に破れ、子らを捨て、男として運命を組み伏せた天才琵琶師「鶴田錦史」その数奇な人生」と表紙にある通り、波乱の人生を歩んだ琵琶師・鶴田錦史さんを描いた評伝。

著者は序章で「日本で琵琶をひいている人は千人にも満たない」と述べている。確かに三味線や琴ならまだしも、琵琶を習っているという人には遭ったことがないし聞いたこともない。何故琵琶はこれほどマイナーな存在になってしまったのか。
その理由は読み進めるうちに明らかになる。


琵琶を習い始めた兄に素質を見出され、嫌々ながら琵琶を始めた菊枝(=のちの錦史)は、すぐに弟子を持つようになり、同時にプロとして様々な場所で舞台に立ち、一家の家計を支えるようになる。
ある時は時代に、ある時は流派内の争いに翻弄されながらも、琵琶師として身を立ててきた菊枝は、同い年の弟子と結婚して子どもを授かるが裏切られ、時勢を見て実業家へと転身する。

別府でのキャバレー経営などを成功させた菊枝は、時期を見て東京に戻り、東京でもナイトクラブを経営してその手腕を振るう。(この頃から男装するようになる)
戦後、急速に衰えた琵琶人気を憂いた菊枝は、昭和三十年に琵琶界に復帰。長年クラブ等で西洋の音楽に親しんだ経験から、保守的な既成概念に囚われない菊枝は、現代音楽の巨匠・武満満からの演奏依頼を機に、積極的に他のジャンルと交わり、新しい奏法を作り上げていく。

保守的な伝統音楽の世界で、ままならぬことの多い中、演奏の技量と持ち前の才覚でたくましく生きる前半生もさることながら、夫と別れ、実業家に転身してからの倦むことを知らないかのような精力的な活動も凄まじい。
実業家として東京に進出した頃から男装するようになり、その後生涯男装で通したようだが、のちに琵琶師として復活してからも紋付き袴という徹底ぶりだったというからすごい。

冒頭にして作中の一番の山場であるエイヴリー・フィッシャーホールでの「ノヴェンバー・ステップス」の演奏のくだりは、琵琶をよく知らない人でも手に汗握るような臨場感と緊張感をもって描かれており、非常に読み応えがある。

youtubeで演奏動画を観られます。↓

003_ノヴェンバー・ステップスNovember Steps 1/2(1967)前半10:00


これを機に鶴田錦史は世界的な演奏家になっていくのだが、何故日本でこんなに知名度が低いのか。著者本人も依頼があるまで鶴田の存在を知らなかったそうだし、もっと評価されるべき人物なのは間違いない。

作中では鶴田さんと関わりの深い琵琶師・水藤錦穣という女性についてもかなり詳しく触れられているが、この人の人生も鶴田さんとはまた違った意味で凄まじい。
芸事で一流と呼ばれる人物というのはやはり他を切り捨ててその道に邁進するからこそそうなるのであり、平凡な人生を歩むことはないのだろうなあと、しみじみと思わされる作品。

あまり評伝を読む機会はないんですが、とても面白かったです!おすすめ。

『夢違』

2012-02-28 05:33:46 | 

皆様ごきげんよう。風邪はほぼ抜けた黒猫でございます。次の冬までもう風邪ひかない!そして試験に被せない!とつよくつよく心に誓った、そんな冬の日でした。

そんで今日ちょっと用足しに外出したら、よく晴れてるのに鬼のように寒かったです。晴れててこれじゃあ、陽が落ちたらどうなることやら、と思いながら早々に帰宅しました。もうすぐ3月なんだよ。冬将軍いい加減空気読むべきマジで。


それはさておきまして。


今日は久しぶりに本の感想。

『夢違』(恩田陸著、角川書店)

人の見る夢を映像として記録することができるようになった近未来。日本においては夢札を引く(=夢を記録する)ことは専ら精神医療の一環として行われていた。

人の夢札を分析する夢判断を生業としている浩章は、ある日、図書館で知人を見かける。目撃した時には特におかしいとは思わなかったが、考えてみるとその人物は既にこの世にいないはずだった。古藤結衣子。浩章が夢判断という仕事に就くきっかけとなったその人物は、かつて兄の婚約者であり、日本で最も知られた予知夢を見る能力者だった。

図書館での出来事の少し後、浩章は地方の小学校の一クラスで起きた集団パニック事件の詳細解明のため、先輩の鎌田とともに一クラス分の夢札を見てほしいと依頼される。ある小学校の一クラスで、子供たちが何かに怯えて教室を飛び出して泣きわめくという事件があったのだ。
しかし子供たちに訊いても覚えていない子も多く、何を見たのかが判然としない。
同様の事件は、報道はされていないが、実は複数起きているというのだ。

たいていの子供の夢札は曖昧だったが、その中で際立って明瞭な夢を見ていた女児・山科早夜香の夢札に浩章たちは興味を持ち、直接会って話を聞くことになる。
夢札の解析と本人を催眠にかけて行った聞き取りから「なにか怖いものが教室に入ってきた」らしいことが判明するが、催眠状態の中、早夜香は「おねえちゃんに会った」と告白する。早夜香の言う「おねえちゃん」の特徴は、紛れもなく古藤結衣子のもの。早夜香と古藤結衣子に面識はない。それ以前に、古藤結衣子は既に死んでいるはずなのだ。
古藤結衣子はどこかで生きているのか?もしそうなら、何を伝えようとしているのか?

というような話。


相変わらず話の盛り上げ方は非常に上手い。わたしの知る作家さんの中で一番上手いかも。どうなるの、続きはどうなるの、という気持ちでグイグイ引っ張られる、素晴らしい引力です。
扱う主題がオカルト寄りなものが多く、すごくわたし好みだというのもありますが、なんというか、とにかく読みたいと思わせる力をお持ちの作家さんだと思います。この点は素晴らしいとしか言いようがない。

だがしかし。

近年の恩田さんの作品の大きな特徴として、「はっきりとは終わらない」というものがあり、この作品もやはりそうでした。そうなるかもと思いながら読んだので、ああやっぱり、という思いと、やっぱこうかよ!という思いとが半々です。ぐぬぬ・・・。

夢という曖昧ではっきりしないものが主題とはいえ、もう少し白黒はっきり、というか、これでもかというほど本編中にちりばめられた謎を解明してくれてもよかったと思います。

子供たちが集団で同じものを見たらしいこと、見た夢で同じものを示していること、そしてそれが結局は何だったのか、というのがわからないままだし、古藤結衣子の奇妙な夢札の解釈もないままだし、「え、あれは結局何だったの」というのがたくさん残ったまま終わってしまいます。
特にラスト。アレはアレでいいの?主人公たち以外の人のことを思うと、えええ~、と思わずにはいられません。


面白かったとは思いますが、推理小説などを読みなれていて、謎は解明されてしかるべきもの、と思っているような方は読んだら欲求不満になるかも。

でもやっぱり好きです恩田陸さん。

『不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』

2012-01-17 02:04:49 | 

皆様ごきげんよう。本格的に昼夜逆転感の出てきた黒猫でございますよ。マジやべえ。でも2:45からナイトライダー観るからまだまだ寝られないけどな。(真顔)

それはさておき、今日は本の感想。

『不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』(レベッカ・スクルート著、中島章子訳、講談社)

世界で初めて不死化された人類の細胞、HeLa(ヒーラ)。その名で全世界の医療研究施設で利用されている細胞の主は、1951年に子宮頸がんで亡くなったヘンリエッタ・ラックスという黒人女性だった。
ヘンリエッタは自分の細胞が研究目的で採取されたことを知らないまま亡くなり、家族もまたそれを知らなかった。しかしヒーラ細胞を利用して様々な研究成果があがるようになった頃、家族の元にマスコミが押し掛けるようになり・・・?

というような話。
科学ジャンルのルポルタージュです。


筆者が取材を始めた頃には既にヘンリエッタの遺族はマスコミに対する強い警戒心を持っていて、家族の理解を得て取材を進める困難さの記述が内容の半ばを占めていたように思います。読んでるだけで大変そう。
筆者が学生の頃から取材に取り組んでようやく結実した最初の本ということで、医学的知識がなくても丁寧に解説してあるので理解できます。

昔のことで、細胞採取およびその後の利用に関して本人にも家族にも同意を得る必要が法的になかったとはいえ、ここまで医学界に貢献しているのに遺族には1セントの金銭も入らないというのはやはり気の毒。

筆者はものすごく丁寧に取材して、ヘンリエッタの人生をなぞるばかりか、その祖先や子孫の人生をも描き出します。すごい根気。
ヘンリエッタの生きていた時代はまあ半世紀以上前ではあるんですが、大昔というほどでもないのに、その頃は黒人は歴然と差別されていたんだなあと思わせる描写がしばしば。
筆者は白人で、ヘンリエッタの血族は黒人。それだけで遺族の警戒心が増して取材の難易度が高くなり、本当に大変な思いをして世に出した本なのだと思います。

筆者はヘンリエッタの血族、特に次女のデボラに重きを置いて取材していますが、デボラを始め、ラックス家の人々はブルーカラーで、あまり学がないので、ヒーラ細胞について本当に理解できたのは、筆者とかなり親密になり、筆者に丁寧に説明を受けてからのようです。もっと早く誰かが説明してあげるべきだったのに。

考えてみれば個人情報保護が叫ばれ出したのは割と最近のことではあるんですが、それにしたって色々ひどいよなあ。

筆者は本の売上の一部をヘンリエッタの子孫の教育基金に充てるとのこと。
一人でも多くのヘンリエッタの血族が、望んだだけ教育を受けられるよう祈ります。

個人的には年末年始に読んだ本で一番面白かったです。おすすめ。

『黒猫オルドウィンの冒険 三びきの魔法使い、旅に出る』

2011-12-21 04:20:57 | 

皆様ごきげんよう。そろそろ昼夜の逆転というか四半日ほど人様とズレた生活リズムをどうにかしなきゃなと思う午前4時過ぎの黒猫でございますよ。これ書いたら寝るわ。

今日は本の感想。

『黒猫オルドウィンの冒険 三びきの魔法使い、旅に出る』(アダム・ジェイ・エプスタイン&アンドリュー・ジェイコブスン著、大谷真弓訳、早川書房)

ブリッジタワーの街に住む野良猫・オルドウィンは、ひょんなことから高名な魔法使い・カルスタッフの弟子であるジャックのファミリア(使い魔)になることになってしまう。ファミリアには何らかの魔法が使える動物が選ばれるが、オルドウィンにはそんな力はなかった。
しかし自分を選んでくれたジャックに分かちがたい絆を感じ、魔法が使えないことを隠したままファミリアとしての暮らしを始めるが、ほどなくして国を治める女王ロラネラがカルスタッフの家を襲撃し、ジャックを含む三人の弟子が攫われてしまう。
ロラネラは三人の弟子が国を滅ぼすものとして彼らを殺すつもりだったが、襲撃された際にカルスタッフが命を賭して三人に守護の魔法をかけたため、実際に手を下されるまでに三日の猶予があった。
オルドウィンはジャックを救うため、他の二人の弟子のファミリアであるアオカケスのスカイラー、アマガエルのギルバートと共に旅に出るが・・・?

というようなお話。


三部作のファンタジーの第一作。
わたし、こういう異種族と相棒関係を結ぶ話って大好きです。しかも相棒が動物ときたもんだ。たまらん。しかも主人公猫が猫。ツボすぎる。オルドウィンかんわいいい!(※オスです)

オルドウィンは独立独歩の野良猫でしたが、なりゆきでジャックのファミリアになることになり、なってしまうとその立場を気に入ります。でも魔法が使えないので、それがバレないようにその場その場を野良育ちの機転で乗り切るんですが、弟子たちを助けるための旅に出てからは困難の連続で、いつそれがバレるかヒヤヒヤしながら読むことになります。もしかしてこのままずっと機転で乗り切るのか、それとも・・・と思ったりしながら読み進むのも楽しかったです。

基本的に人間は自分のファミリアとしか言葉が通じませんが(例外として偉大な魔法使いは動物の言葉もわかる)、ファミリア同士は話ができ、オルドウィンは他の二人のファミリア、スカイラーとギルバートと一緒に弟子たちを救うために旅をします。物知りだけどひけらかし屋のスカイラー、食べ物のことしか考えていないようなとぼけた性格のギルバート、両方いい味出してます。

野良猫時代は自分が食べて生き残ることしか考えていなかったオルドウィンが、次第に仲間を大事に思うようになり、助け合ったりして成長していく過程が興味深いです。ちょっぴり恋愛要素?もあったりして盛りだくさん。

あと、野良猫時代からのオルドウィンの宿敵である賞金稼ぎの人間、グリムスレードがいい味出してます。びっくりするほど追ってくる(笑)。でもただの悪役っぽくない感じがいい。

オルドウィンの出生など、いくつか伏線があり、それらが次巻以降で明らかになるんだと思います。続きも楽しみ。

尚、映画化が決まっているそうです。楽しみ。

『ゲドを読む。』

2011-12-17 11:48:02 | 

皆様ごきげんよう。いいお日和ですね、黒猫でございます。

今日は相当久しぶりに本の感想を。

『ゲドを読む。』(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社ブエナビスタホームエンターテイメント)


わたしは日頃読む本の半数以上を図書館で借りていて、図書館の公式サイトの新刊案内を定期的にチェックしています。そこに表示される新刊で興味のあるものはリクエスト予約を入れて読むという寸法です。

上記の本は新刊リストにあったので、ゲド戦記信者のわたしは「お、あたらしい評論か」と思って軽い気持ちでリクエストしたのです。
で、手元に来たそれを読もうとめくってみたら、しょっぱなに「DVDの販促のために広告予算でつくったフリーペーパーです」と。

は?ジブリは今更どの面下げてゲドを語れるの?と素で思いましたが、よくよく読んでみたところ、出版されたのは文字通りジブリのゲド戦記映画DVD発売の直前だったようです。今更というわけでもないらしい。
どういう経緯かわかりませんが、それが何故か今になってわたしの通う図書館の新刊に入った、と。

調べてみましたがフリーペーパーという形態だったせいか販売はしていないようです。なので今回はリンクなし。すいません。
日経ビジネスBPで記事が読めますが、フリーペーパーという戦略についての記事なのと、2ページ目から有料になるのとでちょっと微妙。

内容はといいますと、結構いろんな人が寄稿していました。
冒頭の中沢新一さんの「ゲド戦記の愉しみ方」は大部分は興味深く読みましたが、最後の最後になって「映画版ゲド戦記はアジア的解釈のひとつのヴァリエーション」だと言っていて、個人的にはこの部分で萎えました。なんかすごいとってつけた感。

ゲド戦記シリーズの翻訳者である清水真砂子さんのインタビューも載っていて、これも面白かったですが、やはり最終的に映画のことを訊いていて、まあ映画DVDの販促本だというのだから仕方がないんですが、個人的にはなんちゅうこと訊いてんだという感じです。しかしそれに対する清水さんの答えは流石でした。「詩人に向かって歌うな、なんておこがましいことは言えないというのがわたしのスタンスです」(※本文より引用)と。感動を呼び覚まされたものを詩として表現するとき、詩人は全く形を変えて歌ってもいいわけですから、と仰っています。
うう、正論。そして大人。

しかしそんな風に納得できないのが原作信者というものですよ・・・。

別に好きなように形を変えて創作するのはいいと思います、二次なら。
でもそうじゃないでしょ?観客はまさかジブリがそこまで壮大な二次創作を堂々と作ろうなどと思って観ないでしょ?そういうことはコミケでやれ。

そして巻末の河合隼雄さんと宮崎吾朗監督の対談の中で吾朗監督が「最初は、狂った王様の親父に殺されそうな少年アレンが、母親に逃がされてということを考えたんですけど、鈴木敏夫プロデューサーから「それだと当たり前すぎる」と言われたんです」(※本文より引用)と言っているのを読んで完全に脱力しました。

原作いらねえだろ、大改変前提なら自分たちで一から好きなように作れよ。

オリジナルストーリーならどう展開してどうねじ曲がって意味不明で終わっても全く構いません。中途半端にゲド戦記の世界を使って歪めて破壊した意味がわからない。

ホントこの映画化で得した人いんの?

この本の中に中村うさぎさんも短い文章を寄稿しているんですが、映画を観る前だったらしく、観てしまった立場のわたしが読むともうなんか悲しい気持ちになります。こんなに期待されていたのにね。

さして厚くもない本ですが、読み終えたあとなんとも言えない疲れを感じる本でした。はあ。

『カッコカワイイ宣言!2』ほか

2011-07-05 04:38:05 | 

皆様ごきげんよう。主に『カッコカワイイ宣言!』の2巻を買うために外出したら、行きも帰りも強風に煽られて目をやられ(※わたしはハードコンタクト装用者なので目にゴミが入るとムスカ状態になる)幾度となく泣きながら自転車を止める羽目に陥った黒猫でございますよ。ホント痛かった。世界中の塵芥がわたしの目という狭いスペースに殺到してるかのような錯覚を覚えました。泣いて涙でゴミを流しても、ちょっと進んだらまたゴミが、という状況。
もう、みんな!押さない駆けない人の目に飛び込まない!!

何なのあれ、台風だったの?そんな勢いでしたよね。暑いので窓開けといたら部屋の中もザラッザラになっちゃったんですが。何これ不快。

それは置いといて、カコカワ2巻と『ヤング!ヤング!Fruits』(※地獄のミサワブログ『女に惚れさす名言集』からの抜粋と書き下ろし)を無事ゲットしてきました。
『ヤング!~』は本当は今日発売予定らしいですが、本屋2軒回ったら早売りしてたので。

カコカワ、ますます人を選ぶ方向に進化した感がありますね。1巻もそうだったけど、ネタによってはクスリとも笑えない不発が混じっていますね。別に不愉快とかではなく、純粋に「山場とオチがわからない」というような。週刊少年ジャンプに載ったアメリカ人とランドセルのネタが収録されてましたが、改めて読んでも笑いどころがよくわかりません。
1巻で表紙まで飾ったかおちゃんが漫画本編には一度も出てこず、なんかこのまま消えるようなことをミサワ先生が言っているのが気になります。地球一カワイイんじゃなかったのか。

そして『ヤング!~』ですが、こちらだけ720円もした(カコカワは520円)ので正直たっけェなと思ったんですが、読んでみたらまさかのオールカラーでした。なら仕方ないね。
ブログのネタの再録と、ジョニデ似の人とか米兵殴る人と米兵のインタビューなどが収録されていました。

もともと2chのコピペでミサワさんを知ったので、わたしはこっちのほうがずっと好きです。寝てないネタとか、(カチャカチャカチャ・・・)(ッターン!)とかですね。
この人たちは微妙に誰の周囲にでも居そうでいかにも苛立たしいんですが、中には更新されるのが楽しみなキャラクターも居て、誰が更新されるのか結構毎日見に行ってしまいます。
最近好きなのはまみのパパ。犬も歩けば棒にDo it!が妙にツボにハマりました。

ところで惚れさせ男子達の名前の横に表示されている括弧入りの数字をずっとその人の記事の数だと思っていたんですが、年齢なんだね。まみのパパよ・・・33でそれはないわ~、好きだけど(笑)。子持ちなのか、ペットを飼っていてその子に対する「パパ」なのか、名前も気になるところです。パパって。
あとルシフェルの恋の行方も気になる。この人も33なのか(笑)。


あと川原泉さんの新刊『コメットさんにも華がある』も買いました。新刊出てたなんて知らなかったよー。このシリーズで今も描いてらっしゃるんですね。相当なスパンだよ。
わたしは好きですが、ごくほんのり恋愛っぽい空気があるかも、という程度なので、今どきの少女漫画を読みなれている人にはもしかしたら物足りないかも。元々じれったいような淡い恋愛を描かれる方で、そこがいいんですが、今回のは特にこれからそういうことになりそうだね、というところで終わる話ばかりでした。
『バビロンまで何マイル?』の続きはもう描かないのかなあ。

『アンダー・ザ・ドーム』

2011-06-16 07:23:54 | 

皆様ごきげんよう。徹夜明けでテンション高めの黒猫でございます。

さて、徹夜の原因の感想を。

『アンダー・ザ・ドーム』(スティーヴン・キング著、白石朗訳、文藝春秋)

メイン州にあるチェスターズミルは、人口およそ2000人程度の小さな街。
この街の食堂のコック、デイル・バーバラ(バービー)は、この街の出身ではない、いわゆるよそ者。少し前に町政委員の息子、ジュニア・レニーとその取り巻きに絡まれ、諍いを起こした彼は、今まさに街から出て行くところだった。
しかしちょうどその時、バービーの耳に爆音が響く。街の上空で飛行していた小型飛行機が突然墜落したのだ。事故現場に駆けつけた彼は、現場の状況が不自然なことに気づく。
事故の音を聞きつけてやってきたもうひとりの男は、バービーの少し手前で見えない壁にぶつかって鼻を折り、街へと通じる道を走ってきた車はある位置で見えない壁に激突して炎上した。
チェスターズミルは原因不明の透明な壁<ドーム>に覆われ、外部から完全に隔絶されたのだ。

出入り不能となったチェスターズミルを調査した軍は、既に除隊しているが軍隊経験のあるバービーを街の指導者に任命する。しかし第二町政委員ながら事実上のNo.1であり、権力を何よりも愛するビッグ・ジムはこれを一笑に付し、以前から目障りだったバービーを排除するために警察を手中に収め、次第に権力を強化しながらバービーを陥れようと画策する。

実はビッグ・ジムは以前から不正に街の資金を流用し、ドラッグ生産工場を作り巨万の富を得ていた。
バービーは以前からビッグ・ジムに不審を抱いていた街の新聞社オーナー、ジュリアや、前署長の妻ブレンダなどに助けられ、<ドーム>を作り出した原因を探るとともに、ビッグ・ジムによる独裁を阻止しようと試みるが・・・?

というような話。

原因不明の障壁に覆われて、完全に孤立してしまった街を描いた作品です。
ジャンルとしてはパニックもの?ホラー要素・超自然要素もあり、まあキングが一番得意とするジャンルだと思って頂ければよろしいかと。

いやあ、すごかった。
とにかく登場人物が多い。
街の人口は2000人程度ということですが、巻頭に挙げられた主だった人物(犬も数匹)だけで60人くらいいます。
最初のほうの<ドーム>出現のあたりは出現と同時にお亡くなりになる方も多いので、いちいち覚えなくてもいいですが、でもこのあたりで慣れておかないとあとが大変です。読む時は一気に読んだほうがいいと思います、登場人物多すぎて誰が誰やらになる前に読み終われるから。


主要な悪役は最初から既に真っ黒に悪く、精神的にもちょっとおかしい。
外から警察や軍が介入できないのをいいことにどんどん悪事がエスカレートします。それが街の権力者(町政委員)親子だったからさあ大変。町政委員は3人いるんですが、一人は傀儡、一人は痛み止めの薬物中毒で、最後の一人、ビッグ・ジムの思うまま。こういう人はやたらカリスマ性があるせいか、街の人たちの大部分を巧みに操り、自由の国アメリカはどこ行ったという状態になっていきます。閉鎖空間恐ろしい。
銃がなかったら相当違ってくるんでしょうが、アメリカは建国の歴史とともに銃があるようなもんですからね。銃のない世界のほうが想像しにくい。

バービーを始めとする少数のまともな人々はビッグ・ジムの外面に騙されず、それに抵抗しようとするんですが、最初から数が少ない上にこれでもかというほどピンチに陥り、ものすごいバッドエンドになるのではとハラハラし通しでした。

半ばでドームを作り出した正体がおぼろげながら明らかになるんですが、なったところで打つ手がなく、これの決着は最後の最後まで持ち越されます。正体はなんとなく予想はついていましたが、どういう風に決着するのかは予想がつきませんでした。
こういうオチかー。
途中途中で挟まれた主役クラスのふたりの過去がこんな風にオチに絡むとは。解決ではないけど終結した、という感じですね。

それにしても今回章タイトルがよかったです。特に最後の「それを着てうちに帰りな、ワンピースに見えるよ」は秀逸だと思います。


久しぶりのキングの共同体ものを満喫した感。間違っても爽やかな読後感ではないですが、読み応えたっぷりで面白かったです。わたしキング作品ではこの手のが一番好きかも。
まあ、キングファンとしては今回の舞台チェスターズミルがキャッスルロックに隣接という時点で既に死亡フラグが立っているといわざるを得ないんですがね。メイン州呪われてるよ、キング世界的には。

『アニマルズ・ピープル』

2011-06-10 03:28:30 | 

皆様ごきげんよう。派遣会社から今更離職票が来た黒猫でございますよ。しかもこれ1回送り返さなきゃいけないっていう・・・どういうことなの。


今日は本の感想を。

『アニマルズ・ピープル』(インドラ・シンハ著、谷崎由依訳、早川書房)

読むきっかけは勿論舞台がインドと聞いて。
でも実際読んで、モデルになった街を調べてみたら北インドでしたが。


実際にあった化学工場事故による公害を受けた街のスラム街を舞台にした話。

背骨が曲がっているために直立できず、両手を足のように使い四本足で歩く「動物」と名乗る主人公が、外国人の記者の依頼で自分がどうしてこうなったのかなど、自分を取り巻く環境をカセットテープに吹き込んだ体裁で話が進みます。
作者は実際に作品のモデルとなった街・ボーパールの被害者支援に長く関わっているそうで、インドのスラム街の描写は空気まで伝わってきそうなリアリティがあります。


動物が生まれてすぐ、動物の街の化学工場で事故が起き、街は人体に有害な化学物質で汚染された。そのせいか、動物は幼児の頃に高熱を出し、背骨が曲がり、直立することができなくなった。
二本足で歩くことのできない動物は、アムリカ(=アメリカ)からやってきた女医のエリに詳しく診察してもらえばもしかしたら自分も普通の人間のようになれるかもしれないという希望を抱く。
しかし、エリが事故を起こした工場の会社の持ち主と同じアメリカ人であるという事実、エリに近づくことによって自分の愛する人を裏切ることになるという後ろめたさ、愛すると同時に憎んでもいる、街の指導者ザファルに対する想いから、散々逡巡し、取るべき行動を決めかねる。
そうこうしているうちにカンパニ(化学工場)に公正な裁判を求める街の空気は不穏になり、ついに・・・。

というような話。

ここに至るまでの盛り上げ方がとても上手いです。
全編にわたって動物の葛藤が語られていて、彼は街のみんなを嫌っているが同時に愛してもいて、それがとてもよく伝わってきます。
特に動物がただひとり愛する女性・ニーシャは、街の指導者・ザファルと恋仲で、そのふたりがふたりとも自分に優しくしてくれるのが嬉しいけれども腹立たしいという、そのどうしようもない気持ちがよく伝わってきます。

作中でザファルが言うように、動物はかなり頭がよく、そのぶん色々考えてしまうのでしょう、重要なことを知っていながらそれを告発するのを躊躇います。

ラストの動物の意外な選択も含め、とてもいい作品でした。

物語の舞台となるカウフプールは架空の街ですが、作中冒頭に挙げられた

http://www.khaufpur.com/

に実際にアクセスしてみると結構作りこんであって面白いです。

読み終えてからネットで調べて、初めてモデルとなった事件の概要を知りました。未だに裁判にも至ってないんですね・・・被告側が酷いのはもちろんですが、政府ももうちょっと積極的になんとかすべきですよね。


ちなみにわたし、最近(11年4月~)は特に長い感想を述べるほどでもない読了本はブクログでひとこと感想をあげています。ご興味のある方は左端のブックマーク欄からどうぞ。
なかなかマイベスト本のレビューが書けない・・・。