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「町是を定め置くべきの議」明治四十二年 現代語訳について

「町是を定めおくべきの議」は、加納久宜公が明治42年4月に、当時の一宮町町長の飯塚総十郎氏に宛てた文です。

『加納久宜全集』(小松謙堂 編)大正14年6月 子爵加納久宜遺稿刊行会発行
に収められています。

『一宮町史』昭和39年

 『加納久宜集』(松尾 れい子 編集)平成24年 冨山房インターナショナル発行
にも掲載されています。


加納久宜公にまつわることを調べ始めると、『加納久宜全集』に行き当たります。「加納久宜集」が発刊さ多くの数少ないまとまった資料でした。試しに現代語訳をしてみました。しかし、にわか勉強ですので、まだまだ不十分です。皆様からご助言をいただければ幸いです。
なお、字下竜宮の屋敷は一宮館(旅館)に隣接ところにありました。取り壊されて更地になっていましたが、今年になって買い手がつき手作業で整備が始まっています。

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「町是を定め置くべきの議 明治四十二年四月」
  現代語訳について

「町是を定め置くべきの議」は、明治四十二年四月九日に、加納久宜公が当時の町長の飯塚總十郎氏に宛てた文書です。『加納久宜全集』(発行 子爵加納久宜遺稿刊行会、大正十四年六月二十八日)、一宮町史に収録されており、、『加納久宜集』(松尾れい子編 平成二十四年十二月十二日)で復刻されました。
テーマの「町是を定め置くべきの議」とは、「『町是』すなわち『町の総合計画』をつくりなさい」という提案です。
今日の市町村(自治体)の『総合計画』(基本構想)は、市町村の施策や事業の基本方針で、市町村のめざす将来像や目標を明らかにして、町づくりの理念、基本的な施策の方向性を示すものです。
昭和四十四年の地方自治法の改正(*)により、地方自治体(市町村)には『総合計画』の策定が義務付けられ、どの市町村も町づくりを計画的、継続的に進めることになりました。事業の継続性を重視し、首町(市町村長)が変わる度に、計画が大きく変更されるような混乱を防ぐねらいもありました。
このように「町是を定め置くべきの議」は、地方自治法の改正の六十年前に先取りしたものです。そこで、当時の町民は加納公に町政をゆだねようと、町長就任を熱望したものと考えます。

さて、「町是を定め置くべきの議」をあなたはどう読みますか。前半の説明は興味深く、現在でも通じます。また、久宜公ご自身も「実には百年の長計であることを疑わざるなり」と、百年越しの長期計画であるとした上で、十四カ条の提案をしています。提案されている理念も具体策も、百年後の今の試金石として活きているのではないでしょうか。久宜公がこの構想で解決しようと願ったことは、二十一世紀の今日の私たちにとっても通じる課題といえるでしょう。例えば図書館、農産物の直販(新鮮で快感を与えるような価格)などなど、一宮町の町づくり推進団体が、今まさに取り組んでいる事柄であることからもわかります。

ところで、平成二十三年五月に公布された「地方自治法の一部を改正する法律」では、残念なことに、『総合計画』の法的な策定義務がなくなってしまいました。久宜公がこれを知ったら、二度びっくりすることでしょう。誰しも時代に翻弄されるものです。いまこそ、皆で百年前の「町是を定め置くべきの議」を紐解きながら久宜公の夢について語り合っていきませんか。

加納久宜公研究会 林

(*)地方自治法第2条第4項「市町村は、その事務を処理するに当たっては、議会の議決を経てその地域 における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行ようにしなければならない。」

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