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「減反政策」 は 「連環の計」か?

『減反政策』から40年。

20世紀から21世紀へ、私たちは何をしてきたのだろう。

今、『減反政策』の見直しが現実味を帯びてきました。

米の自給率を、
炭水化物(食物エネルギー)の自給率から見る時となりました。

もしも、わが国に米の生産に余力があるのなら、
どんどん作付けをして、
余剰米を政府がどんどん買い上げ、
『緊急国際援助米』として、
貧困に苦しむ国、食糧難の国に、
届けてはいかがでしょう。

きっとわが国に感謝をして、
刃を向ける国にはならないと思います。

外交交渉の切り札にもなるのではないでしょうか。


そもそもこの間、
工業製品を輸出して得た外貨を減らすために、
農作物を輸入するという構造となってきていました。

これは、わが国が自分の将来を見据えて考えてきたことなのでしょうか。
それとも、目先のことを考えてきたことなのでしょうか。
もう一度、考えるときになったと、感じます。


『三国志』では、
『赤壁の戦い』で曹操軍は、待機する大群の軍船の揺れを押さえるために
軍船と軍船を鎖で結び、板を渡しました。
『連環の計』です。

確かに、揺れはなくなりましたが、火責めにあい、全滅しました。


軍師に恵まれるかどうかが、戦いの分かれ目だったのでしょうか。

いえ、
優れた軍師を見抜き登用する力が、戦いの分かれ目だったと思います。


明治から大正にかけては、
いかにして、良質の米を作るか。
いかにして、収量を上げるか。
純粋にそれを追求していました。

加納久宜元一宮町町長(大正初期)は、
明治の終わりに、
最新技術の導入と組織化(農協など)に努めました。

そして、
「農政の父」「地方自治の恩人」と賞賛されました。

実際は、どうだったのか。
ご縁のある方や研究者で、
ご存知のことがあれば、ぜひお教えください。


農協をバッシングする本が売れているようですが、
本来の役割、発足の趣旨に立ち返って、
五穀豊穣の国をみなで目指せたらいいものだと思います。

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