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スカイツリーが新名所に

最後の一宮藩藩主でもある加納久宜元町長は、
農業ばかりでなく、科学技術全般に関心が高かった。

明治30年ごろの鹿児島県知事時代には、
自ら幻灯の技師を務め、

その後の大森の加納邸には、
自分が開発した防犯装置まであったそうだ。

そして、
明治40年ごろには、志田太郎氏と、
別荘地には電話が必要と働きかけ、
特設電話を設けさせた。
一宮は、銚子、八日市場、木更津とともに
千葉県下で電話架設が最も古く、
明治42年であった。

手紙と電報が情報通信の手段であった明治時代、
最先端の技術を真っ先に取り入れた
先見性が伺える。

明治30年に東京と上総一ノ宮を結ぶ汽車が
運行されるようになった。

このようにして、一宮町は、
白砂青松、九十九里の大海原に見せられた
多くの文化人や政治家などが
別荘を持つようになり、
「東の大磯」と呼ばれるようになったのであった。

晩年、
「鹿児島で困ったことがあれば冥土に電話をせい」
といっていたそうだ。

ラジオ放送の開始が
大正14年(1925年)3月22日だったのだから、
明治・大正時代の情報通信手段としての『電話』の役割は
今日とはまったく違ったと考える。

そして、
来年にはテレビは全てディジタル放送になる。
ついに日本一の高さになったスカイツリーは
このゴールデンウイークの新名所になった。

情報通信の進展を象徴する出来事といえる。

DVDレコーダも、
ディジタル放送しか映らないものが出てきた。

チューナーが簡素化した分
割安になったといえる。

安さを追求するなら、こんなのはいかがでしょう。
TOSHIBA VARDIA 地上・BS・110度CSデジタルチューナー搭載ハイビジョンレコーダー HDD1TB RD-E1005K

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