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GIエイシンチャンプの供花も 今年の『加納久宜公墓』献花式

競馬G1で活躍したエイシンチャンプ号の花籠のお供えが、今年の『加納久宜公墓』への献花式(2月22日(土))に、届くことになった。

今、余生を送っているは九十九里浜一宮乗馬センターのご厚意です。

 

加納公と馬とのつながりは深い。

加納公は、実父が馬術大坪本流の免許をとっていたこともあり、幼少より馬と親しみ、10歳ごろには江戸の市中を乗り回すことができるようになっていた。

明治26年の北海道巡遊記には、早駆けと思われる部分がある。

明治27年より鹿児島県知事として活躍した時は、白馬に乗り登庁するとともに、産馬改良にも力を入れている。鹿児島県競馬会もその例である。

明治39年 安田伊左衛門氏、加納久宣子爵が中心となって「東京競馬会」を設立する。

東京馬主協会 前史にかえて~日本の競馬のあゆみとともに~

“日本競馬の父”としてその名が現在にまで語り継がれている安田伊左衛門氏は加納久宣子爵と二人三脚で、「日本の馬匹改良に資するため」という信念のもと、欧米諸国と同様、馬券の売り上げで興業的に成立する競馬開催の実現に向けて精力的な活動を展開。

明治41年 馬券禁止令

明治42年 第25回帝国議会貴族院本会議にて馬券問題に関する演説をする 

 加納久宜集  馬券問題に関る卑見(P521) 東京競馬会追懐碌(P530)

大正3年(1914年 ちょうど100年前) 東京競馬倶楽部では禁止されている馬券にかわり、この年の秋季開催より入場者の“余興”として勝馬投票(実質的には景品券)を開始。大人気を集める。

競馬法が公布(施行は7月1日付け)され、馬券の発売が認可されたのは、大正12年。加納公の没後のことである。

年表


このように、加納公の功績の一つに『馬匹の改良』がありましたが、一宮町の城山公園の史跡と競馬の関係を知る人は、一宮町内でも少ない。

一宮乗馬センターの方々は命日の2月26日(水)に墓参される予定だそうです。

 

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