わたしたちが長生郡市の合併協議を通して学んだものは?
あじすっか=どうしたらよいだろうか(地域の言葉も大切にしたい)
あじすっか(一宮町発) 地域・生活者を起点に地方分権型社会へ
今年の行事について 町長との面談
本日(11日)15:30から一宮町役場の副町長室で、行事についての協議をしました。
先方は町長・教育長含め5名、こちら側の加納研会員は私・元町長・町議の3名でした。
もっと前の日時を設定していたのですが、その日は町長が体調不良で登庁できなかったため延期となっていました。
事前に事務レベル(私と担当者)でも協議をしてきましたが、町長の判断が必要なところが多く、予定していた時間をかなり超えてしましました。
また、『生誕170周年記念フォーラム(祝出版記念)』を4月22日(日)に行います。
とりあえず概要をホームページにアップしてあります。
http://www.kanou138.com
2月は、『加納久宜公を語りあう会』という文化的な行事を町・町教育委員会後援で行い、それに先立て『墓前祭』(町観光協会後援)の一環として有志で『献花式』を行う。というように受け取っていただくと、わかりやすいと思います。
結果を整理すると次のとおりです。
<理念>
・一宮町の城山には『加納久宜公之墓』『加納久宜公紀徳之碑』があり、町指定史跡になっている。『郷土を愛する心』を涵養する一環として、社会教育・学校教育で積極的に取り上げるべきである。という点で一致しました。
<町・町教育委員会の後援について>
・『加納久宜公を語りあう会』『没後170周年記念フォーラム』は、文化的な行事なので町・町教育委員会として後援する。
・墓前への献花(『墓前祭』『献花式』)は、個人の墓に花を手向けるという個人的なものなので町・町教育委員会として後援しない(強制も抑制もしない)。なお、一宮町観光協会の後援については、(町・町教育委員会とは独立しているので)申請があれば町(町長)として不承認となるような働きかけは当然しない。という回答でした。
<没後100年に向けて>
・町のスタッフで企画していくが、今後広く情報を収集したり協力を募ったりするのも考えていきたい。これからですが、場合によっては加納研に協力をしてもらうことがあるかもしれない。という回答でした。
<昨年発送した文書について>
・文書は、没後100周年を町として行うこととともに、一昨年は『献花式』を町・町教委が加納研に委託してた行った(予算あり)が、昨年は後援しないという事実と理由を説明しただけものである。加納研の活動や『墓前祭』を否定し、協力や自由参加をするなということを言っているのではない。
なお、今年の『加納久宜公を語りあう会』『生誕170周年記念フォーラム』が町・町教委の後援事業であることを町からの文書として説明することはしない。という回答でした。
・今年の『献花式』が後援でないことも含め、主催者である加納研として、不満がある人にも理解されるように努めます。とこちらから回答しました。
<広がりについて>
・没後100年に向けて、競馬会、日本赤十字社、鹿児島県などなど、まだコンタクトがとれていないところも多い。加納研のような一民間団体からではなく、町長から町として連絡相談することは、意味も反応もまったく違うので是非お願いしたい。日本体育大を訪問した時の助言でもある。と提案しました。
<まとめ>
・今後、来年の没後100年、再来年のオリンピックにむけ、一宮町が注目されていくように、互いに連絡を取りながら、協力してもりあげていきましょう。という点で一致しました。
・今年の『墓前祭』や『生誕170周年フォーラム』のやり方や参加者の状況などを、是非没後100年等の企画運営などに活かしてほしい。と提案しました。
以上です
概要(雰囲気)をご理解いただければ幸いです。
どうぞ、加納久宜公研究会の行事へ、ご支援ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
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