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赤十字幻灯講演(7) 西南戦争での博愛社の活動

赤十字情報プラザ様から
「日本赤十字幻燈説明書(明治29年訂正)」の
追加の2枚が年明けに届いていましたので、
それを、打ち込みました。

・『西南戦争』における『博愛社』のこと
・明治19年に万国赤十字へ加盟したこと
などが書かれていました。

自分としては、
核心の部分だと関心をを持っていた部分だけに
感激しました。


というのは、
加納久宜鹿児島県知事(明治30年ごろ)が、
地方巡視に行った際、
暗くなってから開いたという『幻灯講演』でも、
『博愛社』の部分に力が入っていたのではないかと
予想していたからです。

つまり、
「敵味方(官軍も賊軍も)関係なく、負傷者の手当てをする」
という
考え方(感じ方)は
「『吏党(中央集権派)』も『民党(自由民権派)』も関係なく
力を合わせて鹿児島県を良くしていこう」


県政改革に取り組んだ姿勢につながると
思っています。

さて、
この「日本赤十字幻灯講演」は二時間にも及ぶそうです。
そうすると、
「博愛社」の扱い方が短いような気がします。

(赤十字病院の紹介を中心とするのでしょうから
台湾での天幕病院などが詳しくなったとも考えられます)

明治23年に最初に作成したシナリオでは
「博愛社」の扱い方はもっと長かったのではないか、
とも感じます。(仮説)


鹿児島県での明治の加納知事は、
自費で幻灯スライドを作らせたそうです。

「疫病対策のための衛生意識の向上」や
「敵味方のない救援」
を中心とした
独自のシナリオを考えたのではないかとも
思います。(仮説)

ご存知の方があれば
お教えいただければ幸いです。

日本赤十字幻燈説明書 東湖委員筆記 明治二十九年訂正
追加部分(前後を付け加えて)
第八号幻燈 (台湾に於ける天幕病院)
 (略)
 十三年の後、万国赤十字条約に加入する時に当たりて、此事大なる力とならんとは、是よりも尚大に外人の信を得たるものあり、そは
明治十年西南の役に官軍の傷者一万千二百九十八名、死者二千八名、大阪臨時病院にて治療せしもの八千五百六十九名。同年三月三十一日
天皇陛下は内閣顧問従三位木戸孝允を随え西京の行在所より大阪臨時病院に 行幸ありて、一々此傷者の病床に臨ませ給う

第九号幻燈 (大阪臨時病院へ 臨幸)
此時 陛下は傷者が病床の上に正座して敬礼するを御覧ありて、畏くも特に病院長陸軍一等軍正石黒忠直を近く召され
○ 病者朕が臨むを見て事更に正座平伏する者あり、若し敬礼するが為に、その疼痛を増ことあらば、朕が欲せざる所なり、汝よく患者をして此意を体せしめよ
とのたまう。病院長、畏まりて、此仁勅を傷者に伝えければ、傷者は更なり。供奉の諸員ともに、皆斯くまで聖慮を注がせ給う天恩の厚さに感泣せざるものなかりき。又、此時に於て、皇太后陛下、皇后陛下は、傷者の苦痛を思し召され、宮中にて、御手づから綿撒絲を作らせ給い、

第十号幻灯 (皇太后陛下親ら綿撒絲を製し玉う)
 之を大阪臨時病院に下し給いて、傷者の治療の用に供せしめ玉う。此に於て、病院長たりし忠直は、さらに宮内卿により復奏して曰く、大阪臨時病院並に、戦地病院には、官賊の傷者共に在り。恩賜の撒絲は、官軍の傷者而已に賜るべきや、将賊の傷者にも賜るやと、宮内卿は台旨を奉じ更に伝えて曰く、已に傷きて病院にあるものは、国より官賊の別なく之を賜はるの台旨なりと。此に於てや、大阪臨時病院の傷者は勿論、各軍(団?)病院にまで配分し、各傷者に分ちたり
 其の四 国民が傷者に対する仁恵上の実例は、明治十年西南の役、元老院議官佐野常民は、同大給恒と共に、有志をあつめて一社を結び、小松宮殿下を総長に推載し

第十一号幻灯 (小松宮彰仁親王殿下)
遠く九州に赴きて官賊の別なく傷者を救援せんことを願い、有栖川総督殿下の許可を得て、遂に業を創めたり。これを博愛社と名く。此時此社の殊に功績を著せしは、賊の傷者又は捕虜の病者を救療せしこと是なり

第十二号幻灯 (博愛社の仮病院)
これ我国赤十字の濫觴(らんしょう)なり(此(舎?)は博愛社員が九(州?)にて、民家を借り賊兵の傷者を勅療する所を示す、当時、赤の丸一を博愛社の徴章とせり)
 以上四個の資格に於て、我帝国は各国の信認を得、遂に同盟に加わることを得たり。因て我 天皇陛下は本邦此同盟に加わりたることを、明治十九年十一月十五日、勅令を以て全帝国へ交付し賜いたり。此の御庇にて我軍人の、万一同盟の他邦と干戈(かんか)を接するの時に於て、不幸重傷を蒙るも安んじて戦野に倒れ、救護を待ち其敬愛を受くるの幸を得たるなり。これと同時に他国の兵の患者に対して同じく之を敬愛すべき義務を有せり。

政府に於て此の如く赤十字同盟に加列せらる。随って、其治下に在る国人は、有志互いに図諾して倣す所なかるべからず。乃ち、従来の博愛社は日本赤十字社と政称し、更に万国赤十字社と聯合し、日本赤十字社と公称すに至れり。示来我 帝室は此赤十字社に特別の恩眷を賜い、其総会には 皇后陛下行啓あらせられ各地の支部総会等には遠路僻地を厭(いと)はせられず、総裁殿下臨ませられ、明治二十一年十月には、特に御手許金拾万円を下し賜りて、東京府下南豊島郡第二御料地に赤十字病院を設けさせ、
(略)






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