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加納久宜の読書会 第1回の概要(1)

昨日(3月11日)加納久宜氏の読書会の
第1回でした。

はじめに本の紹介、
鹿児島人物叢書「加納久宜 鹿児島を蘇らせた男」
(大囿純也著 高城書房)
の後

若き加納久宜が、
どのような境遇で育ち、
経験をしたのかを読み合わせました。


ポイント (( )は感想・疑問他)

1.久宜は、立花家の出身

筑後柳川藩(三池藩?)藩主の立花豊前守種善の実弟
立花式部種道の次男(三男?)として生まれる。

2.本所・深川で育った

立花種道→本所(両親・本人)亀井戸 
立花種善→深川(本家 兄:鐘之助が養子)

参加者の持参した、江戸末期の再現地図により
位置、面積を確認した。
加納久徴の位置もわかった。
一家が住んでいたした屋敷は、本所五つ目にあり、総面積5千坪もの広大なものだったが、建物は住居と門番の見張り小屋ぐらいのもので、あとは全部畑地であった。種道は本家からつけられた数人の家来といっしょにこれを耕した。節倹の慣習と農耕への親しみは、幼い久宜にこうして植え込まれたのである。
(馬を乗り回したり、餌を自給するにも
都合よかったのではないだろうか?)

3.安政大地震で両親をなくす

久宜(当時10歳 幼名?)は
安政大地震で両親を失う。

安政大地震のすごさを、他資料からも
再認識することができた。
両親の遺体を庭の柿の大木のもとに安置して、雨戸を刺しかけてすごしたあの恐怖の一夜、時折襲う余震と燃えさかる赤い炎を、与は生涯忘れることはないだろう-と晩年彼は語っている。


4.実兄、立花出雲守種恭(たねゆき)に引き取られる

兄が養子となっている本家に引き取られる。
そんな悲運の中で、兄出雲守の養母延子は、快く孤児久宜を迎えてくれた。彼が両親を失ったショックからいち早く立ち直れたのは、実に延子のあたたかい愛情があったおかげである。


5.学問嫌い

学問は父から、後は兄(後の学習院初代院長)から
直接教えてもらうのだが
すぐに逃げ出してしまう学問嫌いとして
かれている。
立花家の家法によって男子十一歳以降は、教育一切女手を離れて表屋敷に住むことになる。
久宜が本格的に学問に励んだのはこのころからである
(11歳といえば小学校高学年、
何歳だからというのではなく
この年代に教育の節目を感じることは
重要であろう。

久宜は、勉強を強要され消耗して
知ること考えること(学ぶ意欲)を失わなくて
よかったのではないか。

読み書きではなく
世の中の見方などについて、父や兄から
どのように語られたのだろうか(授業での雑談)
是非知りたいものである)

(続く)
--
ここまで書くと
アフェリエイトした方がよいのではと
思ってしまいました。

とりあえず、一宮の書店でお求めください。
そして、読書会にもご参加を
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