創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

学会に供養を受ける資格なし

2018-11-15 11:11:06 | 学会と金

 池田名誉会長は、会長に就任する直前、会員に対し、
「一銭も寄付を受けない」と約束していた。

「過去においても、学会は、会員からただの一銭も迷惑をかけておりません。また、広宣流布の日まで、学会が続くかぎり、全学会員の皆さんから一銭も寄付を取り、迷惑をかけさせていくようなことは絶対にいたしません」(昭和35年1月7日 中国本部落成式)

さらに、
御供養の金銭につきましては、ただの一銭なりとも創価学会では使用いたしません。ぜんぶ総本山にいっさい御奉公、御供養申し上げるようになっておりますから、かさねてその点はご報告しておきます。」(昭和35年10月27日 第18回本部幹部会)
と指導していた。

しかし、それから5年後、正本堂建設費のため、わずか4日間で、355億円を会員から集めた。

驚くべきは、
昭和46年1月26日、社長会において、池田センセーは、
正本堂の御供養、五年間であれだけ。十年間はあの倍。あの発表のほかに百億はやった。また、かせぐよ

と、その他に100億円集めたことを会員に隠していた
「また、かせぐよ」とはいったいどれほどの金の亡者か。


創価学会に供養を受ける資格なし!!

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
池田会長指導
 更に、この供養について、若干、歴史的なことを申し上げますと、前にもお話しした維摩詰は、在家の身でありながら供養を受けた事実が「維摩詰経」に記されております。(中略)つまり、供養とは、あくまで仏法のためになすのであります。その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります。
(「仏教史観を語る」大白蓮華52年3月号)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

と指導したが、宗門から指摘され、

 維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく仏に捧げる意味であります。ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで供養を受ける資格があるのは仏以外はないのであります。したがって、在家が供養を受ける資格があるという記述は改めます。(学会発行「特別学習テキスト」)

と、学会本部は訂正した。

現在、創価学会は、
『財務は』供養の意義があるものとして、年間数千億円を会員から集めている。
その使い道について会員の不信が蔓延し、全国で数百円、数千円の振り込みをする会員が増加中である。


センセー指導
学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」(昭和46年7月8日 社長会)