創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

牧口の先祖と日精上人

2010-08-14 18:42:14 | 牧口会長

破門後、学会は日精上人を仏像造立の邪師として、ウソ捏造によって非難を加えてきた。
しかし、こんなことを宗門・法華講が“そうだったか”と認めるわけも無い(笑)。
戸田会長も認めていないだろ。アホか!
その狙いは、会員を騙し脱会を食い止めるための洗脳であることは明白だ。

日精上人は、御生涯を通じて日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、大漫荼羅御本尊を本宗の信仰の根幹とされていた。それは、総本山の御影堂や六壺の板御本尊、常在寺や細草檀林の板御本尊を造立され、さらに多くの信徒に漫荼羅御本尊を書写し、授与されていることからも明らか。

日精上人が仏像を自ら拝み、信徒にも強要していたという文証があるのか?

檀越の仏像造立は一時的方便
この仏像造立は、織田信長、徳川家康の曾孫にあたる阿波藩主蜂須賀至鎮の正室である檀越・敬台院殿が一時仏像に執着し、持仏堂として建立した寺院に仏像を造立することを強く希望したため、日精上人は退転させないため、一時の方便としてこれを許された。
これによって、宗門内の僧俗から敬台院殿への非難が起こったため、日精上人は一往の弁明として『随宜論』を著わされたのです。

ですから、日精上人が仏像を造立したというのもウソ

細々と意義は説明しないが、大聖人は亡くなるまで、一体仏を所持されていたことを学会はどう理解するのか?御書に書かれている信徒たちが仏像を造立したことを、すぐさま大聖人は破折されたのか?
御本仏は謗法者となってしまうではないか。


牧口家先祖と日精上人の関係
あの初代会長牧口先生は、昭和の初めごろ、本宗に入信せられたのですが、入信後たまたま新潟の実家に帰って、その家にあったお御影様を見たところが、本宗の十七代日精上人の御開眼のお御影様であったのであります。ひじょうに驚かれたのでございます。
 そのお御影様は、私も拝見いたしたことがございます。これで牧口先生の先祖が、二百八十年も昔に、すでに折伏下種せられておったということを知ることができるのであります。そのように、すでに折伏下種せられておったのが、ドロ沼の蓮華のごとく三百年近くもたってから、ふたたび芽をふきだして、以前にもまして、いっそうりっぱな花を咲かせ、今日の創価学会のはじめをなしたのであります。
(日達上人全集第一輯三―二六八頁)

牧口会長の仏縁のおおもとを辿れば、創価学会が邪師と罵る日精上人との深い縁が存在することは明らか。仏法に偶然はないのだから、創価学会の原点は日精上人にあるといってもいいのではないか。

創価学会は邪師の末裔か?