創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

会長の気ままな一日

2010-08-07 11:53:50 | 池田大作とは

大作さん自らを「宗教者として厳しく、私的生活においても同様である(S51.5.4付 警視総監・土田宛の隈部大蔵告訴状添付の上申書)と述べたことがある。

果たして本当なのか?

まず、月刊ペン裁判において学会側が証拠として提出した、池田会長の行動記録の中の一日をご覧ください。

昭和45年3月28日
AM11:20 起床
11:40 入浴
PM13:30 勤行
13:40 研修所発 先生、北川、井上、持永、竹入、行木。小田原、真鶴、湯河原方面
16:12 研修所着 休憩 中西と話
18:00 渡部通子と懇談
19:10 入浴
19:40 夕食 懇談。北条、森田、秋谷、矢野、山崎正、黒柳、二宮、浅井、辻、小泉、龍、渡部通、北川、井上、中西
AM1:00 同終了 二階会長室 中西と話
2:30 就寝

この日は、11時20分に起きてすぐに入浴!朝の勤行10分のみ!

そして、伊豆を2時間半に渡って気ままなドライブ!

男女関係が問題となり裁判で取り上げられた渡部通子と1時間10分に渡って二人きりで記録に残せない怪しい行動!

さらに池田のエピソードとして度々、出てくる人への対応の傲慢と無礼さを紹介しましょう。

「あの日、私も池田氏に呼びつけられて研修所に行ってました。渡部さんもいたけれど、彼女は出版妨害問題処理のメンバーでもなかったし、現職の国会議員が国会開会中になぜあそこにきていたか、わかりませんでした。そして懇談、そのあと入浴ですからね。私が呼びつけられる時は、池田氏は寝巻き姿で応接するのが普通でした。時には風呂上りで、タオルを使いながら出てくる場合もありましたよ」当日出席していた山崎正友氏証言

池田さんは自身の詩集の中で「午前八時の青年の太陽(かれ)は 今日も昇りゆく! 青年の鼓動にあわせて昇りゆく! ・・・・」などと書いていたし、指導においても朝を早く起きて一日を勝利しようなどとさかんに言っていた時期があったと記憶する。

なんですか!?この体たらくは!
朝は遅いは、勤行はろくにしないは、寝巻きで人と対応するは。

これが「宗教者として厳しく、私的生活においても同様である」と言ってのける人物の行動ですか?