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創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

春季総登山

2011-03-28 15:55:43 | 池田大作とは

昨日は大石寺において「法華講連合会 第48回総会」が開かれ、全国から大変多くの信徒が参集いたしました。
個人的には参詣を重ねるごとに楽しい思いで臨めるようになり、さらに、一凶を滅する決意を深く堅められたことは意義あることとなりました。そして、
御隠尊日顕上人猊下の変わらぬお元気な姿を拝見でき篤くなりました。

では、今の池田さんの姿はいかがでしょうか?
余談ですが、かつて創価は日顕猊下を始めとした方々の名前を書いた撲滅祈願カードを、製作し会員に配布、祈祷させていたことがあります。
大震災後、10日も経った3/21に代表幹部たちと犠牲者のための勤行を行ったと聖教に掲載いました。
仮にその場に姿を見せたとしても、10日も姿を見せずに何やってんだ!といったところ。
しかし、池田さんが昨年5月より会員より姿を消してから、「各部代表と勤行」との見出しは5度も6度もあったのではなかろうか。
その勤行会の具体的内容、写真は明かされたことがないことから、これらは1000%ウソとしか言いようがない。
どこぞの新興宗教教祖とも変わらないでしょ。活動家さん、もう目を覚ましなさい!


会長の気ままな一日

2010-08-07 11:53:50 | 池田大作とは

大作さん自らを「宗教者として厳しく、私的生活においても同様である(S51.5.4付 警視総監・土田宛の隈部大蔵告訴状添付の上申書)と述べたことがある。

果たして本当なのか?

まず、月刊ペン裁判において学会側が証拠として提出した、池田会長の行動記録の中の一日をご覧ください。

昭和45年3月28日
AM11:20 起床
11:40 入浴
PM13:30 勤行
13:40 研修所発 先生、北川、井上、持永、竹入、行木。小田原、真鶴、湯河原方面
16:12 研修所着 休憩 中西と話
18:00 渡部通子と懇談
19:10 入浴
19:40 夕食 懇談。北条、森田、秋谷、矢野、山崎正、黒柳、二宮、浅井、辻、小泉、龍、渡部通、北川、井上、中西
AM1:00 同終了 二階会長室 中西と話
2:30 就寝

この日は、11時20分に起きてすぐに入浴!朝の勤行10分のみ!

そして、伊豆を2時間半に渡って気ままなドライブ!

男女関係が問題となり裁判で取り上げられた渡部通子と1時間10分に渡って二人きりで記録に残せない怪しい行動!

さらに池田のエピソードとして度々、出てくる人への対応の傲慢と無礼さを紹介しましょう。

「あの日、私も池田氏に呼びつけられて研修所に行ってました。渡部さんもいたけれど、彼女は出版妨害問題処理のメンバーでもなかったし、現職の国会議員が国会開会中になぜあそこにきていたか、わかりませんでした。そして懇談、そのあと入浴ですからね。私が呼びつけられる時は、池田氏は寝巻き姿で応接するのが普通でした。時には風呂上りで、タオルを使いながら出てくる場合もありましたよ」当日出席していた山崎正友氏証言

池田さんは自身の詩集の中で「午前八時の青年の太陽(かれ)は 今日も昇りゆく! 青年の鼓動にあわせて昇りゆく! ・・・・」などと書いていたし、指導においても朝を早く起きて一日を勝利しようなどとさかんに言っていた時期があったと記憶する。

なんですか!?この体たらくは!
朝は遅いは、勤行はろくにしないは、寝巻きで人と対応するは。

これが「宗教者として厳しく、私的生活においても同様である」と言ってのける人物の行動ですか?


驚愕!池田が選挙妨害指示?

2010-06-30 18:11:21 | 池田大作とは

本当は2回あった大阪事件!
今年も、聖教では学会員が選挙違反事件を起こした実態を隠し、池田の無罪のみを取り上げ、大阪事件を法難と称していた。本当に当時、青年参謀であった池田が何もしていなかったのか?
戸田会長の時代から現在に至るまで、選挙選で後を絶たない会員の違反事件・・・。実は、その真相の手がかりとなる手記が残されている。

大阪事件の前年
“池田指示による選挙妨害工作”
(※昭和31年の参院選で田代富士夫が池田から仰いだとみられる指示を、田代が「前進」に掲載)
「ある日、堺の選挙事務所が、酔っぱらいに荒らされた。報告を受けられた先生(※池田大作氏のこと)は
『すぐ一一○番に電話して警察に来てもらいなさい』と指示され、(中略)『いま、対立候補が、こちらの選挙事務所になぐり込みをかけてきました。そのため皆さんに、たいへん、ご迷惑をおかけしましたといって御近所を全部回りなさい』と指導された。
(中略)そして先生は『対立候補は悪らつな妨害をやる。選挙事務所になぐり込みをかけてきたという印象を与えればよいのだ特定の候補の名を出さず、一軒一軒手を打て』といわれた。」
昭和41年12月号『前進』所載・将軍学を学ぶ

突然の幹部からの報告に、即座にこれほど念の入った謀略が指示できるであろうか。こなれ過ぎている!
対立候補側の仕業と決めつけ「殴りこみをかけてきた」などとは恐ろしいデッチ挙げ!自作自演と思われても仕方がない。

この参院選では選挙違反容疑で、多数の学会員が逮捕されるが、日本の国連参加の恩赦として釈放された。

影では学会トップがこのような選挙妨害を「将軍学」として指導していたのである。
こんな指導を残していて、「不当逮捕の法難だ」などとよく言えるもんだ。

このような悪辣な工作を見て世間は皆疑うだろう!
そして、池田大作という人間の正体の一分もわかったかと思う。


会長の色情は公共の利害

2010-06-16 18:06:30 | 池田大作とは

平成5年11月16日、自民党は党本部で国会議員50名に対し、“月刊ペン裁判”での最高裁判決文を読み上げ、その内容の重大性について言及した。
もちろん、自民が学会を究明することは、社会正義ではなく、かつて言論問題などで学会に恩を売ってあげたにも関わらず、その後、学会が反目したことにも理由があるだろう。
まあ、それはともかく。

その【判決文の主要部分】は↓

記録によれば、同会長は、同会において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であて、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあったばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長の醜聞の相手方とされる女性二名も、同会婦人部で元国会議員という有力な会員であたことなどの事実が明らかである。
このような本件の事実関係を前提として検討すると、被告人によって摘示された池田会長らの前記のような行状は、刑法二三○条ノ第一項にいう『公共ノ利害ニ関スル事実』にあたると解するのが相当であて、これを一宗教教団内部における単なる私的な出来事であるということはできない。(中略) 
よって、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決を破棄したうえ、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条文により本件を東京地方裁判所に差し戻すこととして、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

検察官 木村栄作 公判出席

昭和五六年四月一六日

最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 団藤重光
裁判官 藤崎萬里
裁判官 本山亨
裁判官 中村治朗


最高裁が疑った会長の色情
この判決文から読み取れる最高裁の認識は「“宗教上の絶対的指導者”がその立場を利用して、男女関係を疑われる行為を行った」ということ。

宗教法人の活動は「精神的向上に役立ち高度の公共性・公益性がある」。このことに、内部の事情とあれ公共の利害に該当する。「池田会長は政治活動など通して社会に影響を及ぼしている」という認識に立っている。

【注釈】実際には、池田と女性の密室でのことであるから、証拠を掴むことは至難である。しかし、この状況を、この手の調査の専門家でもある探偵事務所に説明すれば、「間違いなく関係を持っている」と答えるだろう。池田が女子部や婦人部に身体をマッサージさせているところは、周囲の幹部に目撃され、池田自身も認めている。こんなことを一般会員が女子部に命令できるであろうか?異常極まりない!

もう一度、まとめて言えば、
最高裁は「池田会長の色情的行状の疑いは、公共の利害に関わることなので審理を尽くす必要」があり裁判を差し戻した。全くのデタラメを書き並べたものとは、認識しなかったということである。


吊るし上げ犯は大作さん?

2010-06-08 18:09:37 | 池田大作とは

昭和27年4月27日に、総本山で奉修された宗旨建立700年慶祝大法要の時に、戦前「神本仏迹論」を主張した、小笠原慈聞師を吊るし上げた有名な“狸祭事件”。

この事件は様々な資料を読んでも、「学会青年部が実行した」旨の記述しかない。
これでは誰もが青年部最高幹部ではなく、その場にいた活動家が吊るし上げの実行をしていたのではと、創造すると思う。

しかし、驚くことなかれ、現場の写真を見れば当時、青年部参謀の池田さん自身が小笠原師を担ぎ上げているところが、バッチリと撮られているではないか!

つまり、学会の書籍で、青年部最高幹部(池田、秋谷ら)自ら行っていたことを隠蔽していた証拠である。

なんと戸田会長自ら暴力!
小笠原慈聞師・狸祭り事件の手記
私の面前に居丈高に座っていた会長戸田城聖が、「生意気言うな小笠原」とにらみ、右手で私の耳の上を強く打ちました。私は生まれて始めての事で頭が破れたかと思った。すると其処に居た多数の者が、寄ってタカッて私を打つ、蹴る等の暴行を働きましたので、私は後ろに倒れました。全文→


【解説】
小笠原慈聞師が「神本仏迹論」を元となし不敬罪によって、牧口会長が逮捕、獄死へつながったと学会は主張した。

しかし、
昭和17.1頃以降 警視庁当局に対し「創価教育学会々中には多数の現職小学校教員あり且其の教説は日蓮宗に謂ふ曼陀羅の掛幅を以て至上至尊の礼拝対象となし、他の一切の神仏の礼拝を排撃し、更に謗法払いと称して神符神札或は神棚仏壇等を焼燬撤却し、甚だしきは信者たる某妻が夫の留守中謗法払ひを為したる為離婚問題を惹起せり」等縷々投書せる者あり(「特高月報」昭和18年7月分/『牧口常三郎全集』第10巻371頁)

とあるごとく、「神本仏迹論」などに関係なく、逮捕されるに当然の行動を牧口らは行っていたのである。


池田 疑惑の写真術

2010-06-07 18:02:12 | 池田大作とは

大作さんは最近、本部幹部会にも出席できないくらいの病状なのでしょうか?お題目を「なんみょーほーねんねぎょ~」と唱えられのを聞き仰天させられましたよ。
それにしても、聖教に過去の写真が使われることが目立ちますな~。

写真と言えば、過去記事にも書きましたが、心眼写真による「自然との対話」。
公式発表によれば、昭和57年から写真展を1000以上の会場で開催し、600万人にも及ぶ人々に観られたとか。

才能溢れる大作さんの、この写真術が元本部職員によって“背後から聖教カメラマンが撮っていた”と本で暴露されましたが、それを裏付ける写真がみっかっちゃいました!
ファインダーも覗いてますけどねー。


「いや、違う」と思うのもご自由ですが、しっかと観てちょーだい!


社会に詫びない池田さん

2010-05-23 10:45:21 | 池田大作とは

昭和43年7月の参院選で、学会は前代未聞の替え玉投票事件を起こしたわけですが、池田さんはその事件を限られた内部の人間には認めたが、社会には一切詫びることはなかったんだなあ。

振り返れば、自分が捕まった大阪事件の時も、多数の逮捕者が出て、後年、この人達に功徳が得られる戦いとまで言って反省はそこそこに、賞賛していたわけだ。

「蒲田四支部結成大会」での池田会長指導(昭和35年12月14日)
「昭和32年の大阪の参議院議員の補欠選挙の時に、蒲田方面の何人かの人が買収事件を起こしました・・・・学会の方針、学会の指導に反してやることはいけませんが、大きい変毒為薬はできます。(中略)あくまで広布流布のために自分はやったのだという、真心があるならば、私は、何らそれは恥ではないし、大御本尊様は大きいし、また自分自身の大きい罪を消していける、信心の上からみれば変毒為薬でもあるし、喜ばしいことであると思うのでございます


選挙の3日後、毎日新聞は
投票入場券、十万通消える 大量の不正投票か 世田谷など本人の手に届かず」(7/10日付・夕刊)と掲載。

【事件概要】
郵便受けなどから6千枚もの投票所入場券を盗み出し不在者投票させたもの。
事件には創価学会新宿第三総合ブロック・宮本孝が替え玉指揮官、欧州第二本部・砂川昭夫が副将となり、北林芳典が「戸二読書会」の名目で住民票を閲覧して、替え玉投票を組織、警察に摘発される。
東京地裁は、砂川に禁固1年、執行猶予4年、北林に禁固4ヶ月、執行猶予3年など8人に有罪判決。


池田さんが事件認めた!
【池田の弁】「八矢君(八矢英世副会長 創造社代表)の今回の失敗は前回の区議選の時、正論を言っていられず、秋谷が失敗した。その戒を自分の戒としてやれば、こんな事はない。慎重な反面、傲慢な面がある」社長会

【八矢の弁】「これは私の担当していた一つの新宿区でございましたが、非常に悪質な選挙違反がありまして、私はその総括責任者として非常に、その監督がまずかったわけでございます。で、お前はそういうような非常に油断をしているところがあるというので、大変、度々(池田大作に)叱られました」('81/3月 社長会記録の著作権をめぐる裁判での八矢証言)

【替え玉投票した実行犯の証言】
「ええ、笹林小学校というのが投票所でしたけど、そこへ行ったら受付の人が『生年月日は?』と聞きますねん。聞かれるとは思ってなかったもんで、何の用意もあらしまへん。『昭和17年』自分の生年月日いいました。係の人は『ちがう、昭和8年でしょ』いいますね。こっちはウブというかバカというか意地になって、『昭和17年』いいはりました。そのうち警官が来てその場で逮捕ですね。もうムチャクチャやった。由径さん(替え玉の指示者、ブロック長)がぼくに投票券の年齢合わしてくれているものとばっかり思ってました」1964年 福岡県大牟田市議選での学会員の証言

ほんと、学会は懲りない奴ら、今回もやるつもりか?


【引用書籍】
『実録 創価学会=七つの大罪』 (吉良陽一)


口汚い人物評

2010-04-17 10:23:02 | 池田大作とは

池田ほど人を口悪く言った会長はいないだろう。

世界の要人と会うのも所詮は売名行為、裏に回れば悪く言う。
では、池田が言い放った人物評を並べよう。

早世した四代会長・北条浩へは
「暑いなあ、こんな暑い時に死ぬのはやめようよ、迷惑だな」と葬儀の最中、大声で放言。
「北条は5億円の借金をつくった」(本部の会計か、北条が社長とやっていた学会系企業かは不明)と死者にムチ。

五代会長・秋谷栄之助には
秋谷は陰険」。池田の罵倒から始まる全体会議(本部職員1200人が集まる)では、秋谷は一番のターゲットにされる。

副会長・山崎良輔には
晩年、車椅子で聖教に出社した姿を見た池田は山崎氏に対し、

煩わしい、田舎へ帰れ」と命じた。

クリントン元大統領には
「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会 平成5年)

日顕上人猊下には
「威張りくさりやがってねエ、ほんとにブン殴って、あのー、まあ日顕なんか、、その(イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金でゆわえて、その頭、トンカチでぶっ叩いてね。」

中曽根元総理大臣には
「中曽根康弘は心配ない。こちらの小僧だ。総理大臣になりたいといっていたのでよしよしと言っておいた。ケネディ気取りだ。坊やだ

松下幸之助には
松下幸之助はずるい奴だ。『PHP』五十万部で、もう少し下ると思うが、道徳をとりあげている。松下教祖だ。社内の訓練も松下教だ」(社長会発言)

トインビーには
あれだけ持ち上げ、利用したトインビーに対し、「博士は机上の人」と小バカに。


池田オカルト発言集

2010-04-15 18:53:15 | 池田大作とは

気持ちわり~!?

私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合 していなければ、異体同心とはいえない。(池田大作『前進』S40.6)

私は、何も言わなくてみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(池田大作『前進』S41.1)

私から幹部の任命を受けることは、記別を受けることです。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては「法華経を持つとも無益なり」である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、「霊山(りょうぜん)に近づく鳥は金色になる」との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです。(池田大作『前進』S42.2)

そばにいても、会長の心を知ることは難しい。雖近而不見である。(池田大作『前進』S42.2)

私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ。(池田大作・第15回社長会・S43.8.3)

私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(池田大作『前進』S45.5)

なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく。(池田大作・第40回社長会・S45.11.19)

「妙法への帰命」という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬ。(『人間革命』第3巻182頁S48.1.2発行)

昭和52年に起きた有名な話だが、池田大作が千葉の清澄寺(大聖人が幼少の頃に修学された寺)を訪れた際、そこに生える千年杉に向かい、木肌を撫(な)でながら、久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟(つぶや)いてみせた件(※実は、この千年杉の樹齢はまだ約250年だった)や、あるいは、小松原法難に縁の深い華房の地へ行った際には、傷洗いの井戸を見ながら、「あの時(小松原法難の時)は、たしか14人だったかな」と発言した件など、ともかく池田が自分を日蓮大聖人の再誕に見せようとした言動は、数多く目撃されていて枚挙に暇(いとま)がない。(S52『慧妙』H13.11.1)

 


こんなにおかしいぞ!池田発言集

2010-04-12 19:29:24 | 池田大作とは

池田の頭は異常事態!
こんな人間に勲章は似合わない!命懸けでその国のために頑張ってる日本人でも貰わないではないか。恥を知れ!


私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になるそのときには創価学会を解散してもいい」『現代』昭和45年7月号

学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよそれが御本尊様につかえる事だ昭和46年7月8日 社長会

「68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だなそうすれば文部大臣は森田さん。大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣横松。北条さんは警視総監、全部いるよ」昭和46年7月20日 社長会

「創価学会は国連の人口統計からいうと、世界で21位の国家となる」高瀬広居 『創価学会』

「どこか小さな国をカネで買えないか」(側近幹部に)

本当は全体主義は一番理想の形態だ
昭和47年6月15日 社長会

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 昭和51年6月1日 扶養研修所 

「戸田先生が事業で失敗し、刑事事件になりかけたところ、某新聞社の記者がかぎつけて書こうとした、書かれるとおしまいだというので、私が記者に会ってもみ消した金で買収したのだ昭和51年8月

天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」
「今まで創価学会をいじめた者を今からやる。」
昭和51年11月16日

創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前たちは、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、一時お預かりいたしますという一札を書くべきだ。また、私を“永遠の師”と仰いでいく、ということも、誓約したらどうか」昭和54年5月 側近幹部に

日本の国主であり、大統領であり精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である池田大作・その思想と生き方


「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。やられたらやり返せ世間などなんだ!なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ!(中略)反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ!平成元年3月12日埼玉指導

「もう、いいたくないけど、いったほうがいいっていわれてね(笑い)。そんなことね、もう、ね。たかが財務のこと、どうかさ。初めての動きかー(笑い)、ずるいから、みんな。ジュンコちゃんとか。それ。みんな。ずるいことやんねえんだよ」平成4年11月14日 SGI創価学会インターナショナル総会

創価学会と公明党を守る、それが公明党だ
平成5年1月

本門戒壇・板本尊が何だ!寛尊は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です!平成5年9月7日

「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。平成5年1月25日

「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。……ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまりウケない)……駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」平成5年7月7日

「私は世界に出ていって評価を高めるんですから、日本では何をいわれてもいいんです。証人喚問だってなんともないんです。だって私は、何も悪いことしていないんだから」平成6年9月14日


「どれだけのご供養したか。(会員から)とってとってとりまくって、もうどれだけの供養したか。(中略)戸田先生は十七万坪ですよ。私は、百十七万坪への拡大をしてあげたんです!(中略)世界中に私ほど供養した人間いないだろ?ね。戸田先生、(中略)これはちいちゃいです。」 平成20年9月3日・本部幹部会

大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです(池田 S52.1.26・第2回「インタナショナルの日」)

「ある学者が言うには、男の健康には処女の入った後の風呂がいいらしい」幹部との懇談で

誰が聞いてもおかしいでしょ!