for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

腐っても鯛の骨

2022年02月28日 08時26分53秒 | 日記
もっと早くから気づけばよかったわねえ、と鯛の骨を見てペットにつぶやいた。
あまりにも見事にきれいに、それも絵で描かれるようなスケルトンとでも呼びたいほどの食べっぷりだったからだ。

腐っても鯛の骨とは、母が着物を話題にして教えてくれた言葉だった。

着物は直線裁ちで、最後には雑巾にでもなるくらいリサイクル万能衣類だともいえる。父の襦袢を染め替えし、自分の着物にし、今や私の手元にライトコートとしてしまわれている。

現代では化学の恩恵か、プラスチックやペットボトルもそのひとつになるかもしれない。何せ衣類にも参入しているのだから。が、このペットボトル原材料は腐っても鯛の骨になり切らない代物が多くあるだろう、これからが期待されるSDG代替えになるだろか・・・

腐ってもペットの骨と、呼ぶ化学の発展に期待するところでもある。

冬コロナどき

2022年02月15日 08時39分05秒 | 日記
10度近辺の外気温でよく生き延びていると思う。
寒いときには暖かい地方で暮らせる自由があったのに、そうもいかなくなった。
が、体は楽に動けると気持ちが違う。
歩き始める時には腕首や首回りの隙間さえ気を使うほどの冬気温に対応している。
折り返し地点に近づくころには、上着を開けたくもなり、脱ぐほどの時もあったり、
帰りの向かい風に上着を後ろ前に当てるのが都合よいときもある。
群がったベージュの枯草はどこか金髪ヘアーのようにも見えるが、2月半ば、その根元には新しい雑草が青々として伸び始めている。

コロナもまだまだという具合だろうか、もうすぐとでも聞きたいけれど・・・


光と影 < コーダ あいの歌 >を観て

2022年02月08日 19時50分49秒 | 日記
久しぶりに涙が零れ、家に戻ると眼鏡の下の淵が汚れていた。悲しい映画というわけでもなく、何かが揺さぶられたのだろう。

―「貴女はもっと泣くべきだ」と言われるほどにその人からの言葉はつらく、遠ざかりたかった。―そんな時期もあった。

このところ、何か自分を吐き出すでもなくブログも気ままにしていた。が、こんな時こそ書いておきたいと動かされる。

音楽は自分の中に積もっていて抑えていた塊が噴き出すエネルギーだっただろう、あの映画のヒロインにとって。音楽を効果音として大げさに演出したわけでもない、けれどヒロインの変化を促すような音楽に私はぴたりと呼応し、時に椅子の上で体がスイングし、涙はこみあがってきた。

そして「青春の光と影」の訳されたテロップの歌詞を見るたびに関心が沸き起こっていた。「いったいどんな人がいくつで吐いた詩なのだろう・・・」

英語の歌詞は both sides , now  とあり、ジェニ ミッチェルは、当時歌が生まれた時の背景が今では記されている。時に夢にも表れそうな深層に入り込んだだろう、文学作品の言葉だったようだ。27歳の時である。現在7歳違いで、ちょうど姉の年齢に近い。だから、当時の27歳は影と光を切り取った経験時間の中に十分感じ取っていたかもしれない。
ただ、文字言葉が作品から人に感銘感覚を残すこともあるし、詩を書いていた時期もあったから呼応したのかもしれない。

と、私自身の関心箇所はパソコンによってなんとなくわかり始めた。
(が、映画で歌われた歌詞はオリジナルとはところどころ変わっているのに気づいた。当時の恋愛へのとらえ方や取り組みが社会とともに変化しているからかもしれない。)

歌や歌詞は、映画を見て味わえる楽しみに変わった。涙は文字言葉で時に奪われもし、言葉は音を友として揺さぶりもする。