for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

すいせん

2015年01月27日 20時22分46秒 | 日記

ひとつき外で咲き 茎がおれて部屋で飾り

またひとつき経っても 香りは消えず

堅くしまった黄緑色のつぼみが咲いたんだね

ふた月前から咲いていた寒風の水仙

茎折れしたので いっしょにさして

まだつぼみの茎も冷気と暖気に育ち

まさに生の息吹 小藪から

 

 

 

 


ああいくとしつき

2015年01月27日 19時40分19秒 | 日常の発見

昨日気づいた シンビジウム

どれほどたって 花芽をのぞかせただろう

母といっしょに買って 

今いる場所でピンク色の花を咲かせ続け

それから朽ちて

最後のひと茎だけが

ずっと鉢の中で生き続けた

夏は北側で初冬までは南で暮らし

そのひと株だから2代目に当たるだろうか

指ほどの長さでブドウ状のでこぼこの穂

これからどんな花が顔を出すのだろうか

いい年だ


東京オリンピック

2015年01月23日 03時33分07秒 | 日記

ひょんなことから「日本の名随筆」中の作品を思い出した。編集スタイルが興味深かったシリーズです。

円谷さんの作品で、「随筆とはなにか?」と自分なりに模索していたときに出合った衝撃的な内容だった。

「もう走れません」と奥底から吐いていたオリンピック選手の短い文章だった。

文章という形で残った話題は、それを利用する表現題材になっている。「金か女か」と捕りものの時代から変わらないだろう永遠の黒い楽しみでも

あるかのような姿勢は、別の人のお金を産むから、天災や事件の合間のお茶受けにあるいは時局傀儡交錯として、

広範にしかも人の好奇になってこれが存続しうるのだろう。 ( 円谷さんの頃からも変わっていないとつくづく感じる。)

オリンピックを契機に高度成長を生み出すきっかけになった当時の社会は、がんばれば、叶うと期待され、「楽しむ」などという楽観的ポジティヴな姿勢など知らない彼のおかれた

姿が私には見えてしまう。社会学者でもないのに。スポーツ科学は今ほど発展せず、オリンピック選手に「もう走れません」と吐かせた所属社会だったのだろうか。

今になって、ここまで推測させる作品は、時代歴史遺物のようにも思えてくるのだが、時代を写し残した文芸とも言えるだろうか、私流に。

 

 


どんな働き人?

2015年01月23日 03時19分06秒 | 日常の発見

「ゲームを楽しむんですよ」なんどというメッセージが久々に届いた。

これは、どんな人が放つだろうか?そしてそれが影響を受ける人の人生に何をもたらすだろうか?

一般の人間にはその扱われ方の対処に右往左往するだろう。

そういう風に投げても暮らしていけるだけの基盤があるし、鷹揚にしていられる社会に属しているのだろうか、きっと。

私にとって、「働き人」とは、クリスチャン用語だけれど、この言葉を今、シニカルに使ってみた。

はたして、女性が他人の人生に影響をもたらすだろうこのセリフを社会に放つだろうか?

ゲームを楽しむだなんて、高をくくった、「楽しむ」とは、どんな高みから放てるのだろうか、と尋ねたくもなる。

といっても、マイペースへの火つけ薬か爆薬か

 

                                  

 

 

 


本当に

2015年01月18日 10時52分10秒 | 日記

お正月からつい先ごろまでの野菜は高値の食材のようだった。

ショッピング 初顔合わせで スーパー高値

いつも購入するたかが、100円、されど200円と、台所を日々扱う身にとっては

すぐに感じるバロメーターでもある。下処理が要り、評価価値があるのに、美味さをことさら述べはしないだろう貴重な食材。

手を伸ばし はたまた 戸惑う乙女心

そんなゆれる心境はあちこちで見られた。 

やっと値段が落ちついてきそうなのは、腰を上げた初仕事ゆえだろうか。

安心素材  地守り人に 願いを託す 睦月の辞

詩も降るころ 甘露も増して 冬野菜