for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

大モンゴルの時代

2014年12月30日 10時05分46秒 | 

カーリエ博物館に描かれていた東ローマビザンチン帝国 時代のデスピナが親の和平工作により嫁いだイル汗国 都をタブリズ(現イラン)とする国とは?

新しいことを知るのは無知故の楽しみでもあり、「大モンゴルの時代」を読み進めていくと、集史の説明があったり、モンゴルの火を大切にするシャーマニズムの話しがあったりする。

ロシアの東洋学者 バルトリドの研究を本文中で著者 杉山正明氏は、言語比較を展開する

博士   音読み  ハカセ  ハクシ

サンスクリット バクス 

モンゴル帝国時代 ウイグル文字で書記をバフシと呼ぶ。

イスラム化した チャガタイハン国 チムール朝では、バフシは書記を意味する。

ムガール帝国ではバフシを部隊の状況を知り、俸給を払う高官を意味する。バーブルによると、モンゴル人は医師をバフシと呼んでいるそうだ。

イランでは書記を意味する。(1295年に仏教の僧侶がイランから追放されたのち)

バルトリドと呼ばれるロシア学者、バーソルド(ドイツのアメリカ東洋学者)なんとも、表記や音は違うものの、同じ名前ではないかと、バーソルドがロシアにいたことをも思い出して

混乱した。

イル汗国の フラグ ウルスに継いで息子のアバカが国の統治を進めるころ、近隣のビザンチン諸国は、和平融和策で娘をモンゴル帝国に嫁がせている。

ビザンチン帝国 タブリズは西アジア交易品をイタリアへ繋ぐ恩恵を受けていた。

アバカは当時のキリスト教に造詣が深く、父 フラグ ウルスのシャーマニズムを嫌っていたそうだ。

ローマ教皇との書簡もあり、ヨーロッパに進行してきたマムルーク朝に対して遣いを送っている。ビザンチン帝国の皇女デスピナと父フラグは、婚姻による同盟を結んだ。

フラグに嫁ぐはずだったデスピナは時間に合わずフラグが死去したため、アバカに嫁ぐことになった。

歴代の統治者が最後を迎えたように、深酒の習慣を記すとともに、毒殺の疑いもあったようで、アバカは幻視症状をおこし、家来に伝え、突然亡くなったらしい。

悲運の妻デスピナは、モスク建造や救済支援をしたそうで、モンゴルのマリアと呼ばれだ。    

旧ロシア政権下のトルコ及びアジア接近の近郊諸国の歴史影響を知り、新たな感心へと繋がってくる。

遊牧民のモンゴル民族は地を駆け巡りつつ、宗教には寛容だったそうだ。そうでなければ進み、納められないのでしょう。   私のまとめ

悲惨な事件、ニュースはうれしいニュースで覆われるようにと祈る。

どうでもない、ささやかな発見をすることこそ、世界人類共通の幸せの原点となりますように。

それにしても、モンゴル文化をもっていただろうイル汗国がイスラム化し、現イランへの原型になるのだろうか考えると、その変化が興味深い。

 


塩梅

2014年12月25日 09時17分12秒 | グルメ

☆を利用した聖夜の時期に

     @ 魚を煮込むときに☆の種を入れる 

     @ 魚の頭でスープをとるのに、☆の種をいれる

     @ サツマイモを甘辛く煮る時にもあう

     @ 切り昆布、淡白な野菜にもマッチできる

     @ 頭痛時にこめかみに張るのはレトロ映画でもみかけるだろうか

     @ お雑煮のだしを取る時に使った時、おいしかった

     @立派な梅こそ、種回りに果肉がもっていかれて、つぶれた品の方が使いやすい

 

 


本当にばかばかしい一部のいろは放送

2014年12月25日 08時35分14秒 | 日記

BPOでお仕事なさった弁護士さん、おっしゃいました。権力の構造を。

私もそれ以前に気づいていたことがあります。弱い立場の時点に上から手を差し伸べれば、共依存が発生しうるだろうと。それが人間の力関係。

ああ、この言葉は、かつて女性センターに電話をかけたところ、「共依存はだめですよ」との声だった。そのとき、その人が何を意味するか、わからなかった。

文字活動、編集・出版という記録。だれもが書くような塩梅が作品に求められ、初めのステップは途中で校正が留められ、それが組織団体での構造のスタートか。po business 

いちばんはじめはうさぎさんのこえ でもおおかみさんはいらないわ 

 

何度も何度も書いている。放送はこまぎれに一過性を貫いているが、ブログは同じことを何度も知らしめる必要はないけれど、ばかばかしくて書くときもある。

心を無にしても わきおこる 

さあ、あたらしいことを知ろう

 

 

 

 


本もネットも

2014年12月10日 19時48分26秒 | 

図書館で本を借りようとする小学生とおしゃべりをしたことがあった。子供は、行為そのものを示すようにメガネをつけていたけれど、なるべく挿絵のない厚い本を選ぶそうだ。

そのスピードには脱帽した。

言葉から想像する、描写から楽しむ、創作する側にとっては、うれしい声になるだろう。受け手は、映像よりも文字言葉から想像し、悦に入り、読み進めるのだろう。

見えないものを見えるように私たちの頭脳は働き活動し、動いていると思う。

が、歴史の本については、絵のついた事典がほしいし、外国の事柄にはキーワードから検索すると、パソコンで居ながらにしてすぐに映像にも辿りつけられる。

ネットから見つけた絵画をパソコンに張り付けた。

キャラバンは海辺で休み、隊長とも思われるひとりが中世の衣装とターバンを身につけている。そして地図を広げて見ている前方には島があり、何を目指しているのだろうかと、想像する。

デスクトップには、実際に描いた絵よりも大きく見えて、足元には蓋のついた箱が描かれていた。

この画家が描いたきっかけと情動を知りたくもなる。どこの国の人が描いたのでしょう。西欧人だろうか。

現代の画家が描いた作品かどうかもわからない。それにしても、ロマンあふれる一枚になっている。

インターネットに期待して、過去の映像記録を探すのも楽しみで、「集史」を 解説している博物館orサイトがないだろうか、と本の挿絵の小ささに期待が膨らむのだけれど・・・・

世界の財産だから、書物もより大切に扱われるだろうし、ネット上で博物館や研究者たちが知的遺産を少しずつ分かち合い、サイトを作って大判振る舞いして還元してもすごいだろうけれど・・・

ねえ、と。(私たちは知りたいこと、見たいことを居ながらにして探せる日常にいる。)

 

 

 

 

 


ひとりで行けたねえ

2014年12月01日 19時55分12秒 | 旅行

@天台宗総本山 救仁寺 

 出発前にバスがあることを問い合わせて確認。詳しくは現地問合せが確かだとのことで、

グーグルの地図でも行き方が掲載されないので、ホテルについてから訊いてみる。東部バスターミナルの江辺という駅で下車すると、道を横切った反対側にバスのターミナルがある。

切符を買えば、バスの発車時刻と行先番号・座席が示されている。9時出発で、丹陽まで2時間強かかり、トイレ休憩を含めた数分休憩の後、1時間ほどで最終目的地に12時到着。

帰路乗換無しで市内に戻るバスは、1時50分発だとわかる。現地滞在2時間弱は、おしかったけれど、それ以降だと帰着は真っ暗。

救仁寺行きは1時間に1本出ているので、ソウル発ならば、8時頃出発のバスが理想だっただろう。本殿まで坂を進み、僧侶と少しばかり疎通し、頂上までそこから往復30分だそうだ。出かけられそうもないので、余裕を持って引き返す。 レストランはなくて、この敷地内に寺が施してくれる簡単な食事が頂ける。

帰りの車内で西洋人女性に尋ねると、1000以上の階段が更にあり、絶景で、「残念だったわね」と返された。 僧侶がくれた写真集を見ながら頂上からの絶景を想像する。ドラマの映像が時折重なっていた。

 

@水原 民俗村  観光ツアーバスに間に合わなかったので、水原駅まで電車で出かけ、バス利用で4,50分。帰りは民俗村から出発する無料シャトルバス。家屋は、ドラマで使われたような誂え。

@吉祥寺及び城北洞 散策  <ソウルを歩く>徒歩観光コースは、3日前に予約すれば文化観光解説ガイドが無料で案内してくれるそうです。散策中に行きあたり、断ってしばらく合流。

日本語を話し、非常に博識な年長者ガイドでした。 この辺りは、大使館や富豪の家屋敷だと気づきます。