鯉のぼり 青い鯉のみ どこか飛びゆく 皐月空
ザリガニ捕りに 手をひいて 膝までジャブジャブ ああルンラン
「ああ、メディアでなんとかかんとか、確かに言っているわ。」等と、発した。
「あなたの気のせいよ。思いすごしじゃないの。考えすぎよ」「聞かなかったことにすればいいじゃないの。」等と、あちこちから声が届いた。
盗聴されているのじゃないかしら。そう勘繰った時もあった。家にITの関係者が入れば、もしそのような気があれば、できるからだった。
当時は町の相談センターを使ってクーリングオフについて、何件か相談したこともあったくらい、詐欺・搾取騒ぎに遭遇していた。今になって思えば、ボヤや東南狙いがあったのにしても、住所が示されているし、条例ができる以前だったから、出来うることだろうと想像している。
そうそう、テレビ局の投資販売を薦めたのは証券会社だった。私には、何のもくろみもなかった。
発する相手がなかったし、投稿癖もあったので、ご丁寧に視聴した番組に送ったのだったけれど・・・・
が、人が現実に声を発してテレビの話者と同じように現したり、行動したりするほど、実際にメディアで個人特定の人について放送で扱っていると、わかる。
けして、私の思いすごしや考えすぎではなかったのだ。
それもマンネリし、納まってくれば、次の波が新たに浮上してくる。
「何を書いているのですか?」とブログに関心を持たれ訝れたこともある。
TVでの援助モードは、地デジになれば納まるだろうと考えていた。
私は私で気ままに自分の時々を記録している。「こんなことを知ったの」もあり、幼稚に見えようかどうかなどとは、あまり気にはしていない。息抜きと、記録だからだ。
自分の暮らしに危機が生じないように、体験した不愉快は関係先に連絡するし、周囲の人についての話題はほとんど書かないようにしている。これは、絶対におかしいと思うことは、書いている。
変わったのは、伝えなければ変わらない番組や姿勢もあって、記録することにした。
実は、今日も歩いていると、黒いコートを着て黒いキャップをかぶり、自転車に乗っている婦人を見かけた。コートの下には青い襟の服が見えた。ひょっとしたら・・・と、名前が脳裏に浮かんだ。駅で緑色の上着を着ている彼女を見かけたこともあり、以前も、同じような話題を直接聞いたからだった。
色で同感や主張を示しているのだろうと、受け止めている。
たまたま気に入った青い木綿のドレスがあったのに、黒に隠れて緑色の線で引かれた格子柄に気づくと、なにやらそれが重苦しくなり、オシャレ心で買った品なのに、身につけるのが遠ざかりがちになっている。黒は、私自身が身につけると、不愉快でもあり、保身にでもなるような意味合いが暗に流布しているように感じ取られるからだ。
さよ乙女心の哀れさよ あと何とき 華やぐ時ぞ
それくらい、色モードの主張に敏感になっているように感じ取っている。
ときどき民放ドラマのタイトルを見ては、弁護士さんが、「それじゃあ、なんにもできないじゃないですか」と返った言葉が今でも木魂して、現状に多少の怒りを含めながら、そらしつつ、暮らしている。気持のよいはずはないのだ。その手法と同じように言葉を投げかける人も実際にいたからだ。
だれも、等しく安全に暮らせる。これは、基本的生存権だっただろうか。唐突だけれど、こんな話題をあげ連ねてしまった。
「そんなの気にするのが、幼いのよ」、とでもなくて、真似をしている事実があるのです。もっとも、関わろうとはしませんが。
こんな、ゴミ箱に入れるようなたわいのない話題を書いている。作品のひとつには、いつか手にして読んだような話題のひとつに、あっただろう。自虐的・発展性のない、とか、そういう声も読者からは聞こえよう。[どうでもないことを描くんですよ」それは、エッセイ教室で教えられたテーマ。
随筆の誌面には、かつて浪越徳次郎さんの作品が紹介されたこともあった。昨今では、通信機器の利用で、私たちの首や肩は御厄介にならざるを得ないサービスになっている。
施術士の手は、人柄や仕事の熱意が伝わりやすい。大抵、若い人には、コミュニケーションのために本音以上にサービス口上を述べてしまうのだけれど、「ああ、サービスしすぎだったわ」でも、言葉だわと、ひとり労働にねぎらっている。
放送でのアクションにたいして、別の意味に捕らえるとすれば、「どんなに波風が立っても跳ね返してやれるようなもの書き魂を育てる父親の鞭なのさ」、とは、まだ捉えられず、浪越さんのような「母心」に惹かれるばかりである。乙女状態だろうし、先が短いからだ。
ともあれ、タレント・メディア人さんは、御活躍でご繁栄だったでしょう。 色援助アクションにご苦労さんと、気持にねぎらい、年末の言葉に代えたい。
多いに感謝は、数秒のCM 笑いは瞬間に反応して起こるのでは・・・・
地震なんかに 負けるな 人間 合唱
さあて、客観的になってどぎまぎして、何を削るのだろうか。 「書く」と意識すると、こんな風に自分の精気ある面を失くし、?気取る姿勢(教えられた)がかつて身に就いたまま再現されて表現してしまいます。
これが、上から目線と呼ばれたのでしょうか。 周囲は年長者で、歌人やら舞踊家などと肩書付きの執筆者でした。それも影響があったでしょうか。手前は、何とやら・・ 不明です。
と、つぶやくよりも、外聞していた方が心が開いていますよ、ということだろうか。
アントシアニンは、ロドプシンの働きを活性化させて、疲れ目の予防・改善、視力回復の作用があります。また、その作用は即効性があって、アントシアニンを摂ると4時間後には視力回復が見られます。またその効果は24時間後に消失します。そのため、一度に大量に摂るのでなく、毎日必要量を摂り続けることが良いとされているのです。
しかもビタミンCを同時に摂取すことで、傷ついたビタミンCを修復すると同時に、協力して活性酸素を撃退する効果があり、単独でビタミンCを摂取した場合に比べて5倍の働きがあると報告されています。
同級生だわ。
夫婦して、あるいは単身で、見覚えのある同級生を車で通りすがりに見かけた。
ちゃん呼びだったり 君呼びだったり 気兼ねない
高さ調節ができるパソコンの置き台。
この上にパソコンを置いて立ったままで音声入力ができれば、首の凝りにも繋がらないと願っているのだけれど。
それとも、テレビの画面がパソコンになれば、好きな格好で入力できるかも・・・
疲れて血流が悪くなったら節電モードになったり、運動のアプリがお目見えする、なんて、できると・・・
あまり機械に頼ると、人間の能力も逆に落ちるかもしれませんが。
車内にいても、若い人たちも、携帯を持ちながら首を回しています。
首強化対策が必要でしょうか。