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我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

ビザンツ帝国  刻印された千年の記憶

2014年08月21日 09時50分08秒 | 旅行

イタリアのラベンナのモザイクをはじめとしたビザンチン芸術は、どこかほっとする。

なぜかと言えば、欧州でたいてい見かけるキリスト教美術の立体的、具体的生々しさが現れていないからだろう。ただ、こうした表現形式も時の支配者によって変化を強いられたにすぎないようだ。

旅先で、「これを見ずして・・」と、お決まりのようにかならず美術館に定番で出かけていく。が、宗教美術は、実のところ、気が重くなる。 表現者の意図と当時の力関係などが読み取れれば面白いけれど・・・

アヤソフィアやコーラ修道院(美術館)、あるいはイスラム及び東洋絵画のようなまだ見ていないアジア的な平面表現にアジア人の血がどこかで

共鳴するのかもしれない。

よくわからないから、ゆっくりながらも本を広げる。専門のガイドがついていないツアー参加だから、仕方ないが、旅後に新たな発見になっている。

出かけたスメラニア教会は、トラブゾンにある。 ドンキホーテが当時あこがれた場所、トレビゾンだと今になって知る。シルクロード交易を港でイタリアに繋ぐので、裕福な町だったそうだ。

(クラヴィーホが出かけた「遥かなるサマルカンド」にも登場して聞いていた地名だった。)

トラブゾンと呼ばれているかつてのトレビゾン帝国は、当時モンゴル帝国と隣接していたこともあって、統治者(皇帝)は、娘を婚姻関係に

結ぶことで安定の糧にしていたようだ。「美人」が輩出しているそうで、当時の妃選びと教育の恩恵に寄るのだろうか。

ギリシャ(西洋)とアジアのまじりあった地理風土的影響によってそうなったのだろうか。 興味は尽きない。 youtubeでたまたま拝見したが、老女は、確かに美系だといえる。

王妃の中にもモンゴル血筋のビザンツ王妃がモザイクにも表され、6月下旬、暑いさなかのざっと見学では分からなかった、予備知識だけでは

記憶にとどまらなかったことが、新たに面白さへと変わっている。 テオドラとは、歴史に登場した数名がいるようで、ふたりともトレビゾン帝国から?

根津さんの図説の本には、キプロスも記され、ツアー参加したひとりにキプロス出身でカナダに移住した政治学者がいたのを思い出す。

キプロス問題という名前のみ記憶にあっただけだったけれど、今、本を手にして新たな関心へと繋がり、旅というお楽しみは本を行き来し、(現代に生きる人にも影響を及ぼしているだろう)と、綴りながら深まるようだと、

素人の感慨を綴る。

 

 


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