震災の知らせを知って、エアフルトのスーパーで食品や生活物資を買っていた。郵便局に運んで手続きをしていると、モニター画面からあの日、天皇陛下のメッセージが流れた。
今日で2カ月経ち、生活節電もだいぶ解消されている。電車も当時の計画発電時とは違って、車内の灯りも明るいように感じられる。エアコンも効いていた。人によって体感満足度は違うだろうけれど、
当時の明るさでも、乗っていられる。車内にも広告の中刷りがあって、どこかほっとしている。
連休明け後、上野駅の構内は明るく変わり、人の波が途切れなかった。広場は、工事中で柵で囲まれている。 白いセーラー服の学生集団もいて、「季節が変わっているのだわ」と知るけれど、
依然、地震の事は頭から離れない。地震の対策ができて、示されれば、安心していられるだろうに・・・・
車内でも、前で座っている男性が「地震に強い街」とタイトルが書かれた雑誌を読んでいた。
魚どころではありません。
これほどのことが原発でおこるのです。 本当に私たちの暮らしは何のためにあるのでしょうか。
豊かになり、便利になり、メタボと騒ぎ、節電と訴え、温暖化に警鐘を鳴らしてきた ! メタボなどという言葉が流行る前のエネルギー恩恵活動が安全なのでしょうか。
昨日は、消防庁に習い、非常持ち出しを阪神セットに加え、用意した。カップ面や缶詰を選ぶのも、どこか楽しくて、ヴァラエティーに富んで用意している。
私はその日が来るのを待っているわけでもないけれど・・・
それなのに、今日は、寒くて、こっそりリュックを開けておなかに入れてしまった。 被災者の皆さん、ごめんなさい、と、新たに大変さを実感した。
買い物で、地域を意識して食品選びをしている人もいる。農家は、自家用と店用を確保して育てているのも知っている。
そこそこ健康でいられて何よりです。 実は、震災の状況を映像で見るのがしんどい。 データの報告だと、感情には納まりがよい。