街中を歩く。
まだまだ活気が無いことを実感する。
今朝の新聞は、「街角景気自粛ムード緩む」とある。
これは、東日本大震災後の自粛ムードのことである。
確かに自粛の思いは起こったが、もともと買い控えのムードはあった。
何か、買い控えの言い訳が変わった程度に感じていた。
それが、少しだけ「気づき」によって、消費者意識が変わったと言う。
しかし、「気づき」が必ずしも景気を押し上げる方向かどうかわからない。
最近は、みな、自分の都合のよい方向でばかり考える傾向にあるから、そうは問屋がおろさない。
「これまでの考え方が甘かった」ということだが、震災に対しての備えや心準備にしても、「もの」で対処することの愚かさを感じているかもしれない。
「持たなくてよかった」は、これまで持てない悔しさだったが「それ見ろ」の気持ちかもしれないのだ。
これらが「気づき」の一部であるなら、まだまだ消費ムードとは程遠いだろう。
ちょっと落差がありすぎるが、終戦直後の闇市で一個のパンを買いあさった時の環境状況を思い起こしている。
まだまだ活気が無いことを実感する。
今朝の新聞は、「街角景気自粛ムード緩む」とある。
これは、東日本大震災後の自粛ムードのことである。
確かに自粛の思いは起こったが、もともと買い控えのムードはあった。
何か、買い控えの言い訳が変わった程度に感じていた。
それが、少しだけ「気づき」によって、消費者意識が変わったと言う。
しかし、「気づき」が必ずしも景気を押し上げる方向かどうかわからない。
最近は、みな、自分の都合のよい方向でばかり考える傾向にあるから、そうは問屋がおろさない。
「これまでの考え方が甘かった」ということだが、震災に対しての備えや心準備にしても、「もの」で対処することの愚かさを感じているかもしれない。
「持たなくてよかった」は、これまで持てない悔しさだったが「それ見ろ」の気持ちかもしれないのだ。
これらが「気づき」の一部であるなら、まだまだ消費ムードとは程遠いだろう。
ちょっと落差がありすぎるが、終戦直後の闇市で一個のパンを買いあさった時の環境状況を思い起こしている。