深堀大三郎の生涯マナビスト

自然や街を歩いて観察するのが大好き、歩いて歩いて楽しみたい。
また、お城の石垣を眺めると力が湧いてくる。

「いいこと探し旅(37・最終回)”厄落としの鬼石”」

2008-12-31 05:39:45 | Weblog
姫路城の近くに「播磨の国総社」がある。
創始千四百有余年になるという。
播磨の神々を祀る風土記伝承の神社である。
春夏秋冬、いろいろなお祭りがある。
この写真は、大江山の鬼退治のしるし、「鬼石」と称されるものである。
別名、聖徳太子の「腰掛け石」とも伝えられている。
また、厄年の方たちが、自分の身を祓ったお厄除け串を投げ入れて厄除けをしている。
明日から、「つれづれなるままに」で続けます。
多分

「いいこと探し旅(36)”これが伝・王仁墓自然石”」

2008-12-30 06:52:40 | Weblog
「伝・王仁墓」については、既に紹介した。
王仁(わに)博士は、古事記によると朝鮮半島から渡来し、「論語10巻」「千字文1巻」をもたらしたと言う古代の学問の祖である。
その、墓として発見された自然石がこの写真である。
この付近が、文献では「藤阪御墓谷」と言われていたのだろうか。
一帯が、「王仁公園(わにこうえん)」となってみんなの憩いの場所となっている。
今では、この墓は近所の人たちによって懇ろに祀られている。
2009年、正月の初詣の折にも、おまいりする事にしている。


「いいこと探し旅(35)”葛の葉姫”」

2008-12-29 06:00:11 | Weblog
数年前、和泉市内を営業で廻っているとき、「信太の森の鑑池」付近を通った。
このあたりが、安倍保名が白狐を助けた場所だと聞いた。
「葛の葉伝説」の葛の葉子別れの舞台と言うわけである。
近くには、信太(しのだ)大明神や、小栗判官にちなんで呼ばれるようになった小栗街道(熊野街道)など非常に文化財が多い。
話は飛ぶが、那智勝浦を拠点として営業した和歌山湯の峰温泉の入り口の峠付近に、この小栗判官関係の石碑があり驚いたものだ。
話は戻って、安倍清明神社のこの狐は、その「葛の葉姫」である。
『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉(いずみ)なる 信太の森の うらみ 葛の葉』は、白狐が障子に書き残して生まれ故郷の「信太(しのだ)の森」へ帰ったと言う有名な歌である。

「いいこと探し旅(34)”白狐の恩返し”」

2008-12-28 06:13:09 | Weblog
安倍清明神社には、清明と白狐の像がある。
清明は童子と言い、「葛の葉子別れ(くずのはこわかれ)」伝説がある。
つまり、父保名(やすな)と和泉信太(いずみしのだ)の白狐(葛の葉姫)との間に生まれたこどもと言うわけである。
『こーんこん こーんこん
 保名さま あなたのそばにいるだけで
 不思議に落ち着くこの私
 こんこん 心が静まって
 あなたの優しさ見えまする
 一所にくらしてくださいな
 阿倍野の村里良いところ
 こーんこん こーんこん』(文・もり けん 絵・黒井 健・登龍館)
多分

「いいこと探し旅(33)”はらみ石”」

2008-12-27 05:49:11 | Weblog
神社は参拝するだけでなく、時には隅々まで見てまわると意外なものを見つけることができて楽しい。
この石は、安倍清明神社の片隅に建っている。
「鎮石(しずみいし)」「孕み石(はらみいし)」と説明がある。
鎮石は、錨(いかり)である。
このあたりは、海に近かったものと思われる。
つまり、古代の船を安全にとめていた石と言うことだろう。
その意味から、どうした訳か安産を祈願する石となったものらしい。
今では、孕み石として信仰されているようだ。
多分、

「いいこと探し旅(32)”迷路”」

2008-12-26 06:24:44 | Weblog
国宝・姫路城の特徴は、白鷺のような美しさにあるが、私は「迷路」にあると思う。
どこの城でも大なり小なり考慮して築城されていると思うが、天守閣へ到達するまでに何回となく、これでいいのかなあと不安になった。現在は人の後についてゆけば不安なく到達できる。
姫路での修行時代、直ぐ近くに勤めていながら一度も城内に入ったことはなかった。落ち着いたら必ずと思っていたが、その後、数回の異動で機会がなかった。結局、実現したのは、リタイヤし独立開業してからの1995年4月27日(木)午後1時過ぎである。その年神戸は大変だった。そのあおりで仕事も年初から全てストップとなった。「よしこの機会に是非」と悲願を達成したのである。
当時、観光客は少なく、途中殆んど人に会わなかったように思っている。したがって、途中一番感じたことは、この城は「迷路」だと。上がっていると思っていたのが下り坂になったり、先の見通しがほとんどできないように石垣や壁で遮断され、また、行き止まりかと思うぐらい狭いところを屈折してゆかねばならなかったと思っている。ようやくたどり着いたときは、実に感動モノだった。
写真は、現在の様子。
雲は多いが、

「いいこと探し旅(31)”間近に見る姫路城”」

2008-12-25 04:52:56 | Weblog
今年も姫路には数回行く事になった。
何回行っても姫路城はいい。又姫路そのものも自分にとっては忘れられないところである。
それは、営業分野にどっぷりと足を突っ込むきっかけとなったところであるからだ。
この姫路で、「お金の回収業務」を専門として修行をした。これが営業の始まりだ。しかも、単身赴任だった。
いろいろと痛い目にもあったし、ちょっと表現しにくいこともあった。しかし、これが自分の人生に良い意味で大きく影響もしている。営業で一生やり遂げたいとの決意もした。したがって、大震災で壊されたJRが開通したときは、この姫路を訪れ、誰もいない姫路城の天守閣で大の字になり天井に向かって、再出発を祈願して帰った。今年は客は多かったが、やはり天守閣に登り、板の間に座り、天井を暫く眺めて、祈願と共にいろいろ回想して帰った。
多分

「いいこと探し旅(30)”安倍清明産湯の井戸”」

2008-12-24 05:58:49 | Weblog
いろいろなところを歩き回っていると、面白いものを発見する。
それが事実かどうかは別で、想像の世界を広げてくれるから楽しい。
安倍清明神社には、そのようなものが多い。
「白狐」や「安倍清明産湯の井戸」などである。
写真の石碑は、江戸時代の文政年間に泉州堺の住人、神奈辺大道心が建立したものと説明がある。
左端に、安倍清明公産湯井の跡とある。
勘だが、多分

「いいこと探し旅(29)”陰陽師・安倍清明”」

2008-12-23 05:54:22 | Weblog
大阪市阿倍野区の安倍王子神社から数分のところに、安倍清明神社がある。
この神社の説明によると、平安時代に活躍された天文博士安倍清明公を祭る神社とある。
昨年、このあたりを歩いていると、「安倍清明神社1000年祭」の看板がやたらと目に付いた。どうやら、1007年に創建されたようだ。伝説では、安倍清明は当地阿倍野で生誕されたらしい。また、このあたりには安倍清明通○丁目も存在する。夏にはしめ縄もはられ、子どもみこしも練り歩き、屋台も立ち並んでいた。
安倍清明神社は何箇所かに存在するようだが、地域と溶け合っている様子から見るとこの地を生誕の地と信じたい。産湯を使ったとされる井戸もあるから・・・。
のようだ。 

「いいこと探し旅(28)”もと熊野街道のみちしるべ”」

2008-12-22 07:13:32 | Weblog
安倍王子神社(大阪市阿倍野区)の片隅に、「もと熊野街道」のみちしるべがひっそりと建っている。
この古道は、八軒家と言うところ(現在の天満橋付近)を起点に、四天王寺、安倍王子を経て、和泉の海岸沿いに南下し紀伊路に入って熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)にいたる古道ということである。
八軒家は、窪津(くぼつ)とも呼ばれ、京の都から淀川を下ってきてこの付近に上陸したところ。
熊野詣は、厳しい山岳信仰の難行苦行の旅ではあったが、貴賎、男女を問わず受け入れてくれるという信仰が強く受け入れられたのであろうと思う。
当時、「蟻の熊野詣」とまで言われた熊野詣での様子が分かるような気がする。
模様。