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シネマ座椅子

座椅子に座り、酒を飲みながら日々映画鑑賞。
映画の結末を待たずに酒の力で本日の結末を迎えることもしばしば。

大日本人

2011-06-26 | ふつう
たまには映画の話でもしようか。


コレ、松っちゃんの映画ってことでえらく話題になってたのが記憶に新しい。松っちゃんは以前本で、「芸人は芸で食っていくべきであって、芸人がお笑い以外の仕事をするのは不覚悟である。」ようなことを書いていた気もするが、何だか見事なブーメラン。でもそれはもう無かった事になっているのだろうか。まぁあれだけ色々な映像を見せてきた人ならば、以前何を言っていたとしても結局最後は映画へ辿り着くのも自然な流れだろうと、そこそこ期待して観てみる。以前話題になったとは言え、板尾さんが怪獣役で出ること以外は、あんまりどんな映画かよく知らずに観たのです。


なるほど、所謂モキュメンタリー映画のノリだ。どうやら何かと戦うことが仕事である主役「大佐藤さん」の、日常や日頃考えてることなどを語る様をドキュメンタリー風に追いかけつつ、ところどころで松っちゃんお得意の現在の日本社会やマスコミの在り方に対するアンチテーゼを散りばめていく。


しばらく観ていると、第一の怪獣、海原はるか師匠登場。


圧倒的に脱力してしまうはずの戦闘シーンなのに、テイ・トウワのカッコ良すぎる楽曲が無駄に場面を盛り上げ、思わず楽しく観てしまった。音楽の力は偉大だ。


脚本も松っちゃんが書いているだけに、モキュメンタリーの流れの中でもニヤニヤとさせられるところが多い。爆笑するほどじゃない。ニヤニヤなんだよね、ここらへんのサジ加減がさすがというか見事というか、ニヤニヤしながら観られました。


竹内力や神木隆之介といった怪獣を倒していき、謎の最後の強敵と戦うことになり、いざ決戦となったところで、せっかくあの奇妙なCGの戦闘シーンにも見慣れてきたというのに突然実写の戦闘シーンへ移行。

こっからは完全に「ごっつ」のノリ。大日本人を助けるために現れた劣化ウルトラマンUSAのような見た目の大アメリカ人一家。その母ちゃんが敵に美しくドロップキック。あー、スーツアクターは宮迫さんか・・・。


なんだかあの最後の「コント」のシーンは、やはり「芸人は芸で勝負すべき」な主義の松っちゃんが映画を創ってしまったことに対する照れ隠しのような、そんな雰囲気を感じました。



総じて言うと、「テレビ以上映画未満」な映画です。


そういえば同じ松本作品「しんぼる」も観たのですが、アレはちょっと厳しい。カテゴリで言ったら超つまr(ry


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重力ピエロ

2011-02-03 | ふつう
ゴールデンスランバーに続き、再び伊坂作品を観てみることにしました。この「重力ピエロ」は、原作がなかなか文学してて、「村上春樹に通ずる」とも評される伊坂作品の中でも特にそんな雰囲気を感じさせるものがあった。ただ、どちらかというとかなり重度のアンチ春樹である座椅子でも、不思議と伊坂作品は読みやすくて楽しめます。伊坂作品全般に漂う文章の「若々しさ」が春樹作品との決定的な違いなんでしょうな。伊坂作品に登場する女は絶対唐突に「抱いて」とか言わないし。

それにしても村上春樹。「ねじまき鳥」だけは読んだことがあります。でも「だけは」と言ってもねじまき鳥、かなりの大長編な上に、あの読み手の忍耐を試すかのようなネバネバした文章、「早く終われ、早く終われ」と念じながらページをめくる苦行の日々であったことだけが強烈に記憶に残っている。もう2度と読みたくない。


話がそれた。
連続放火と遺伝子配列との関連性に潜む謎に挑みつつ、「生まれるべきではなかった肉親を愛せるか?」というテーマを掲げる本作。遺伝子関連の説明は、映画だととにかく早くあっという間に説明し終えてしまうので、「先生わかんないもう1回!」という具合にもいかず、きっと原作読まず劇場一発勝負で観た人なんかはかなり「?」だったんだろうなと想像。

泉水と春の「英語で言うとどちらも"spring"」な兄弟を演じるのは、加瀬亮と岡田将生。加瀬亮はさすがに演技うまい。雰囲気ある。原作そのまんま。いいですなー。岡田将生を映画で観たのは初めて。思ってたより良かった。


この映画は、よくあるいわゆる「イージーモード」な感じにはなってなく、きちんと原作での出来事や登場人物の心の動きをしっかり描いている感じがあり、観ていて急かされる雰囲気がないだけに落ち着いて観られたという印象です。あのような文学的色彩の強い小説の映画化ならば、きっとこんな感じになるんでしょうな。





などとブログの記事を書き終え、恐竜の牙の化石をきれいに掘り出せたアマチュア化石採掘家のような満足感に包まれた私は、それでも「完全なる記事などない、完全なる悲しみがないように。」と心のなかで呟いた。
そして窓の外を眺めると、空にはとてつもなく大きな漢数字の「二」のような飛行機雲が横たわっていた。
どこからか「ギィィィ、ギィィィィ」と例の鳥の鳴き声が聞こえる。
今日も、世界のねじは、巻かれているのだ。


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コレラの時代の愛

2011-01-09 | ふつう
2000年になったとき、あれだけやれミレニアム言ってたのがもう2011年か。このブログ始めたのは2004年だから、何気に結構な長寿ブログになりつつある。今後もこれくらいの熱消費量でやっていきますので、今年もシネマ座椅子をよろしくお願いいたします。


さて、2011年最初に選んだのはこの「コレラの時代の愛」。当然予習ゼロ。
原題は”LOVE IN THE TIME OF CHOLERA”。なんだか想像以上に「コレラの時代の愛」そのものだ。中学生が訳したような邦題じゃないか。これは期待できるね。


で、観てみると、愛や恋に思い悩んだ女子が「『愛』とつく映画は全て観るのだ!」とワケもわからず山ほどDVDを借りてきたうちの1本のような映画でした。分かるか?そーゆー映画だったんだよ。


「想い続ける恋心」的な雰囲気としてオネーギンの恋文を思い起こさせるものがある。恋焦がれて苦しい気持ちってのは、人間の永遠のテーマなんだろうな。


さて、あらすじなど。

一目惚れした女と互いの立場の違いから結ばれることが叶わなかった若者が、その結ばれなかった相手のために貞操を守ることを誓うのだが、その主役がいい歳したオッサンになったところで、ふとしたはずみでなんつーかそのあのダメだ語彙がない、要するに逆レイプされて貞操もくそもなくなってしまったのだが、そっから吹っ切れたオッサン、「彼女を忘れるための儀式」と称してチュートリアルの「ちりんちりん」のネタの徳井ばりに行きずりの女を抱きまくる。そしてジジイになった主役、気づけば600人切り超え。おめwwwwww、とか言ってるうちに若き日に一目惚れした女の旦那が死んだので、これはチャンスと再アタック。繰り広げられるジジイとババアの恋模様。案外あっさりと恋成就。


そんな映画でした。我ながら分かりやすい説明だ。これ読んだらもうこの映画観る必要ないだろう。



しかしジジイになってからの主役の絶倫っぷりは結構ものすごい、「アニメ史上最狂の絶倫」聖闘士星矢の城戸光政翁に迫るとも劣らない張り切りっぷり。てかやっぱりこうして考えると城戸光政翁すごいよ。星矢も紫龍も一輝ももっと自慢していい。


しかし加藤鷹は既に6000人切り超えしてるらしいから、やっぱ鷹さんはすごいな。日本人の誇りだな。てか鷹さんは中国や香港でも有名らしいな。


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旅するジーンズと16歳の夏

2010-12-22 | ふつう
予習ゼロで観てみたシリーズ。
タイトルからして、ロードムービーみたいのかと思っていたが、実際のところロードムービーなどではなく、タイトル通り旅しているのは離れ離れに夏休みを過ごす4人の少女の間で「友情の証」として送り送られしているジーンスそのものだった。


要するに、ひと夏の間にそれぞれ良いこと悪いことを経験して少しだけ大人になる4人の女の子達の成長期。つまり青春ものだ。

「女子の友情」にここまでスポット当ててる映画も珍しい気もするので、なんだか好印象。そうだよ、若いときはそれでいいんだよ。


祖母から接触を禁じられた相手との恋に落ちる少女、サッカー部のコーチへのあこがれを止められない少女、白血病の女の子と映画を撮る少女、両親が離婚し、父親が再婚する少女、と4人それぞれのシチュエーションで夏を過ごすのだが、やはりカワイイ順に恋に落ちていくあたりはそれが世の中ってもんなんだろうか。

なんだかこれだけ観ると、4人の間の「ひと夏の満足度」的な不公平感がものすごかったので、勢いあまって続編「旅するジーンズと19歳の旅立ち」まで観てしまった。結論として、こちらでは4人それぞれにハッピーな結末になっていたので、ほっと一安心。


座椅子自身はオッサンなせいか何だかそれほどの感慨も受けることなくボケーッと観てしまったのだが、年頃の女の子が観たら色々感じるのかなー、って映画。
まぁ、惚れた腫れた自殺だ麻薬だ妊娠だ中絶だで大騒ぎしてるアホみたいな映画よりかは、100万倍ココロの栄養にはなるでしょうな。


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レインディア・ゲーム

2010-12-19 | ふつう
非常に映画を観たい気分だったので、サラリーマンのアンニュイな日曜夜の強い味方、ムービープラスカルピスウィークエンドシアターでたまたまやってた本作を観賞。毎週日曜夜、日本中のサラリーマンを苦しめる”サザエシンドローム”に対抗するために必要なのは、やはり酒と映画だ。


なんて「座椅子マインド」を改めて認識しつつ、観てみました。ベン・アフレック主演作は、何だかんだで色々観ている気がするが、ブログで扱うのは世界で一番パパが好き!以来のはず。違うかな、なんか他にあったかな。まぁ、どうでもいい。

ベン・アフレックは、言わずと知れた押しも押されぬ大スターだが、座椅子的には「カッコいいけど親近感が売り物のご当地系スター」って感じ。なんか、良くも悪くも圧倒的なスターオーラみたいのがないんだよね。そう、それがいいんだ。


どうやら「裏切り」がキーワードの本作。確かにものすげー裏切りに次ぐ裏切り、これは人間不信になるね。ていうかシャーリーズ・セロンはこーゆー役やると本当に世界一だな、これこそ悪女、これこそリアル不二子。美しすぎ、もうこれなら裏切られて悔いないね。

強盗団のボス役は、ゲイリー・シニーズ。やっぱカッコいいね~。フォレスト・ガンプ経て、アポロ13(そういやどっちもブログでは扱ってない)で、すっかり彼の虜となった座椅子としては、やっぱ映画で彼を観られるだけで何だかうっとり。俺が女なら、ガンプの時の軍人姿のゲイリー様のポスターを部屋に貼ってるね。


とか何とか言って、映画そのものは大変出来がいい火サスだった。うむ、火サス。そろそろカテゴリ「火サス」を作った方がいいかもわからんね。要するに、つまらなくはないんだよ、退屈はしないんだ。でもやっぱりすげー面白いワケじゃないんだ。ゆえに火サス。


ゲイリー様率いる強盗団がサンタに変装してカジノに強盗するあたり、一応これはクリスマス映画らしい。さすが火サス、季節感を大事にするね。6月は4週かけて「6月の花嫁」シリーズだもんな。


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ゴールデンスランバー

2010-12-08 | ふつう
最近、「重力ピエロ」「ラッシュライフ」「陽気なギャングが地球を回す」そしてこの「ゴールデンスランバー」と立て続けに読み進めているにわかイサカーの座椅子です。

しかしすごいな伊坂幸太郎、上に挙げた4作品も全部映画化済だもんな。こうなったら次はパチンコだな。次の機種は「CR重力ピエロ2!」だな。


小説の伊坂作品は、食べ物に例えると一体何のスープだか分からないのだが、なんだかおいしいラーメンのように、一体何がその魅力なのか分かりきらぬうちに、やめるにやめられず最後まで食べちゃう感じです。そして食べ終わってしばらくして腹が減ったらまた食べたくなるような。そんな感じです。きっとジロリアンにとっての二郎もこんな感じなんだろう。


それはそうと映画。
マサ様です。伊坂作品と言ったら主演はマサ様だよな。「ラッシュライフ」もマサ様だしな。

観てみると、すげーよく映画の2時間の中に物語を収めているなー、って印象。よく収まってるだけに、なんだか本当に実写化されただけだなー、っていう印象でもあった。

こんな感想言う奴がいるから、せっかく面白い原作をあれこれこねくり回して映画化して名作を台無しにしちゃうケースが後を絶たないんだろうなと反省しつつ、原作が全くそのまま実写化されても満足しきれないこの身勝手さ。ごめんよみんな、ほんとごめん。でもこれが人間だ。


日頃、原作の本があろうがなかろうが予習ゼロで映画を観ることが多いだけに、たまにこーやってしっかり原作読んでから映画を観るってのも面白いもんですな。てか本来はこーやって原作読んでから映画を観るのが正しい楽しみ方なんだろうな。でも映画観るためにいちいち原作読んでたら大変すぎるよね。だからほどほどでいいよね。てかこんなぬるいこと言ってる奴は、ジロリアンにとってはロット乱ししてる奴みたいなもんなんだろうな。


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突入せよ!「あさま山荘」事件

2010-12-03 | ふつう
クライマーズ・ハイに続き、実話ものなど。ていうかコレがクライマーズ・ハイの中で語られる「連赤」そのもの。

連合赤軍がらみの事件って、自分が産まれる前にあらかた解決してるから、あくまで「テレビの中で語られる過去の事件」でしかないんだよな。実際「あさま山荘」というとあのガンダムハンマーみたいのが建物にぶつかってるところしか見させられてない印象あるし。
物心ついたときの記憶として思い返すと、クロマティ入団前の事はなんとなく覚えてます。スミスとかホワイトとかいたよね。そこらへんがギリギリ。確かホワイトって黒人なのにホワイトだったよね。そこらへんより前は座椅子にとって全て歴史上の出来事です。てかやっぱ篠塚は天才だったよな。


この映画、犯人側の状況を全く描かずに警察側の事情ばかりを描き続けるのが特徴だな。でもそのおかげで犯人を「未知の脅威」みたいに思えるので、このアプローチはまんざら悪くないと思う。そしていざ捕まってみると、犯人は武田真治だという。


しかし県警と警視庁が一緒に仕事すると、あんなにモメるものなんだろーか。同じおまわりさんなんだから、もっと仲良くすればいいのに。せっかく同じ時代同じ場所で同じネコとして生まれておきながら縄張り争いでケンカばっかしてる野良猫達を思い浮かべずにいられない。やっぱネコもヒトも同じ哺乳類だな。


こーゆー実在事件もの映画って、娯楽作品にはなりにくいのかも知れないけど、過去におきた出来事を後世に残すためにも必要だと思うんだよね。そーゆーの伝え残すのにはやっぱ映画が最適なメディアな気がするんだ。


思い返すとブコビッチが来る前って、テリーがいたよな。そしてブコビッチって燃えプロだと「Vコヒ゛」だったよね。パットナムは「Pトナム」だった気が。4バイトの制約の中で必死に考えたんだろうな。


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クライマーズ・ハイ

2010-11-23 | ふつう
あの御巣鷹山の事故からもう25年も経つのか、、、。時が経つのは早いものだ。あの頃、新聞もテレビも、とにかくあの事故のことばかりやってたっけな。子供ながらにすげーよく覚えてる。忘れようがないよな、恐らくあんなこと、座椅子も座椅子の子も座椅子の孫も生きてる間にもう日本ではないだろう。いや、あっちゃいけない。

とか何とか飛行機搭乗経験5回だか6回だかしかない座椅子が偉そうに航空機事故について憂いてみたところで、この「クライマース・ハイ」観賞です。


あの事故が起きたそのとき、それを新聞記者達はいかに事実を伝えたのか、が描かれる社会派ムービーです。この題材を選んだ時点で、小説も映画もつまらないものにしてはいけないだろうから、書き手作り手は大変なプレッシャーがかかったものなんだろうな。


堤真一と堺雅人という、今や邦画界のエースとも言うべき二人の競演で、さすがにいい映画になりますね。てかやっぱマサ様いいよマサ様、俺はアンタのファンだ。苦難の末に山を登り切り、泥だらけになりながら現場に到着して叫ぶ「報道です!報道です!!」。カッコよかったぜー。


しかし、変に「現在」と「事故当時」の時間軸操作やら、子供との確執やら、そーゆー要素があるのがやや面倒臭い。そーゆーのなしに純粋にあの事故に関わった新聞記者達のドキュメンタリーに徹した方が良かったんじゃないですかね。原作読んでないけど、もし原作がそうなのなら、それは仕方ないのかな。

一面の記事を巡る攻防は、まるで「踊る大捜査線」の新聞バージョン。何だか「踊る~」のせいで新鮮味はなかったが、あれくらい熱い思いを持って仕事に挑めるというのは、同じサラリーマンとして羨ましい話だな。

さて、明日も仕事だ。定時になるやいなや逃げ出すぞ。


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さよならみどりちゃん

2010-11-07 | ふつう
突然ですが「日本三景」、松島と厳島には行ったことがありますが、天橋立はまだ行ったことがありません。いずれ行ってみたいです。

いわゆる「日本がっかり三景」は、札幌の時計台と沖縄の首礼門には行ったことがありますが、高知のはりまや橋はまだ行ったことがありません。いずれ行ってみたいです。


さて、そんな座椅子がこのたび、この「さよならみどりちゃん」を観賞したことで、世に言う「日本三大がっかりおっぱい」を制覇いたしました。ありがとう、ありがとう、思えば長い道のりだった。ちなみに他の2つはコレコレ


映画は彼女がいる上に色々な女に手出しまくりなダメな男を好きになってしまった昼OL夜ホステスの冴えない女の話。
言ってみれば、よくある「成就されない恋心」の映画ですな。「またそれかよ」的な印象を感じつつも、このテの映画は観だしたらついつい最後まで観てしまうところがある。しかしこーゆーストーリーで、男が主人公の映画ってないよな。まぁもしあってもそんなの観たくねぇけど。


薄汚い飲み屋街も、曇りがかった空も、暗がりに浮かぶ街灯も、なんとなくキレイに描いてしまうのは監督の手腕だろうか。同じ国の中にある見慣れた光景や風景が、まるで特別なもののように切り出されているのを楽しめるというのは、邦画の醍醐味のひとつだなと思うのです。


映画の最後で星野真里演ずるオンチなホステスがカラオケで歌うのはこの映画の主題歌「14番目の月」。ユーミン初期の名曲ktkr。主題歌はカバーされてるやつだが、ユーミンの原曲を思い出し、ようつべで聞きなおし無駄に感動し、あやうく映画の内容と関係ない理由でカテゴリが「おもろい」になるところでした。やはり映画にとって主題歌ってのは重要だな。


しかしお前らそうやってがっかりがっかり言うけどさ、アレはそれくらいでないと女性客の共感得られないぞ、あのシーンを石田衣良が言うところの「デタラメなカラダ」の女が演じたって成り立たないだろ、なぁオイ。


それにしても高知のはりまや橋ってのは、がっかりどころか気づかれずに素通りされちゃうことも多いらしいですね。そんな事言われると余計に興味がわきます。


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コピーキャット

2010-11-03 | ふつう
カテゴリ「ふつう」って、「面白くないワケじゃないんだけど、それほど面白いワケではないし」っていう場合と、「全然面白くない、でもつまらなくない」という場合と、キャタピラーのように「面白い面白くない、という物差しじゃないだろコレは」という場合と、という具合に、ひとえに「ふつう」という言葉だけじゃ感想物語れなくなってきてるなー、と感じる今日このごろ。「ふつう」な感じな人ほど、知れば知るほど色々な個性があるもんだ、人間そんなもんだ。なぁそうだろう?


とか何とかいい、この「コピーキャット」は「サウンド・オブ・サイレンス」と同様の、実に火サス色あふれるサスペンス映画でありました。別段面白いワケではない。しかし最後まで飽きさせない。
このクオリティを火サスの枠でやれば、きっと番組打ち切りになることはなかっただろう。しかしさっきから出演映画を火サスの範疇で語ってしまって、名誉毀損やらでシガーニー・ウィーヴァー側から訴えられたりしないだろーか、訴えられたら負けるかも分からんな。でも相手は超セレブ、訴えてくれたら座椅子もにわか映画評論家として世界的に有名になれるかも知れんな。


そんなことはともかく考えてみるとシガーニー・ウィーヴァーの映画は「エイリアン」シリーズしか観たことなかった。フツーの人の役が新鮮な感じがする女優も、なかなかいないだろうな。

この映画でシガーニーさんが演じた主人公が患っている病気「屋外恐怖症」。コレ、不便だろうな。でも今ならインターネット社会なだけに、どうにでもなるのだろうか。野菜もクリックひとつで家まで運んでくれる時代だしな。


この映画のことについて語ってないな。
じゃあ、人がやった犯罪そっくりそのまま真似て悦に浸るのは、ダメ、絶対
こんなんでいいか。

そういえば「ダメ、絶対。」のポスター最近見かけないな。まだあるのか?アレ。


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キャタピラー

2010-09-11 | ふつう
観てきましたよキャタピラー。

寺島しのぶがベルリンを制して大変話題になった本作、それはそうとそもそも乱歩の「芋虫」が好きなんです。これを観ずしてなんとする。

パッと見のイメージとしてはなんといっても「芋虫」、あとは「世界でもっとも鬱な映画」として名高い「ジョニーは戦場へ行った」が思い浮かぶ。特に「芋虫」は著作権料の都合で乱歩の名前をクレジットできなかったらしいな。だとしたら乱歩側から「パクりだ!」って訴えられたりしないのだろーか。乱歩側ってなんだろ、乱歩の子孫か何かか。


さて映画。「芋虫」のような猟奇グロテスク的ホラーエンターテイメントとはかけ離れた、大変反戦イデオロギー色の強いものでした。
どちらかと言うと「恐怖」よりも「悲しみ」ばかりが伝わるような、とにかくメッセージ性の強い映画です。

寺島しのぶも大西信満も、鬼気迫る演技で凄まじかったです。これは確かに賞の1つもあげたくなる。確かにものすごいんだけど、内容も内容だし、その上R-15なので恐らく地上波では放映できないだろう。何らかの手段で色々な人に観て欲しいんだけどなぁ、、、という感じです。


しかしイデオロギー提示が強すぎる。原爆の映像~被害者の数の字幕~エンディングテーマよろしく元ちとせの「死んだ女の子」が歌詞字幕付で流れ出し~、という終盤の唐突な演出は必要だったのだろうか。アレはなくても十分メッセージは伝わったと思うのだが。

まぁこーゆー映画はおもろいおもろくないで語られるべきではないでしょう。なのでカテゴリ「ふつう」。でも大変印象深い「ふつう」です。


一つ注文つけるとすれば、やっぱ最後のオチは「井戸」であって欲しかったなぁ、、、とw


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サウンド・オブ・サイレンス

2010-03-01 | ふつう
CSの番組案内に書いてあった映画の説明文をそのまま転記。

「精神科医の娘が誘拐された。犯人の要求は、
 心を閉ざす女性患者から6ケタの数字を聞き出
 すこと。緊張感あふれる異色サスペンス。」


番組表の文字数制限ピッタリに合わせながらなんだこの映画を「観たい」と思わせる見事な文章力。映画というより番組表作ってるひとにまず拍手。これ、毎月毎月こんな文字数制限の中でおびただしい数の映画の説明書かなきゃいけないんだから、大変な仕事だと思うよ。さぞかしケータイのCメールとか書くのもうまいんだろう。つーことで、この説明文を読んだだけで観てみようと決めたのでした。


それはそうと、映画は上記の説明の通りで、マジでそれ以上でもそれ以下でもなかった。説明が的を得すぎている。大したもんだよ番組表。

なんか、火サスのような、日本の2時間ドラマを観るような気分で観られました。つまらなくもないし、別にすげーおもしろいワケでもない。長年日本人の「火曜夜のなんとなくな2時間」を浪費させてきた火サスの真髄を見た気分です。


しかし過去の強盗事件と、少女の精神疾患発症の理由との関係、そしてその少女が握る6ケタの数字の意味とは・・・、というカラクリはなかなかでした。これこそ火サス。マイケル・ダグラスが火サスに出たらこんな感じになるのだろう。これなら視聴率20%取れるよ。火サス復活しようyp


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愛人/ラマン

2010-02-24 | ふつう
思い返してみると、この映画は当時かなりの衝撃作として世の話題をかっさらっていた。あの頃、座椅子は男子校まっただなかだったのでその刺激は強く、「とにかくラマンがすげぇ」という噂が仲間内に駆け巡ってたのを思い出します。

勇気を振り絞って映画館に行き、成人映画上映の雰囲気そのものの中でこの映画を観て、衝撃と興奮のあまりに「とにかくラマンがすげぇ」を言い過ぎたがために、しばらくの間アダ名が「ラマン」になっちゃった奴がいたっけな、なんて思い出などを蘇らせつつ、観てみました。


すげぇすげぇと言いながらも、恐らく単なる官能ムービーではないだろうと思いつつ観たのですが、観てみると映画全体に漂う「儚さ」や「諦め」のようなものが敷き詰められていながらも、それらとインドシナの喧騒とがうまい具合に混ざり合って、結果として「無色」になるような、そういう雰囲気です。ストーリーとしても「成就しない純粋と不純の狭間の愛」を描いたものとして、良質な恋愛映画と言っていいでしょう。

確かに、主役が愛人関係に陥る中盤では、映画観てるのか洋ピン眺めてるのかわからなくなる感じにはなります。当時は「年端もゆかぬうら若き乙女によくもこんな演技をさせた」的な評判もあったと記憶してるのですが、映画公開時点でジェーン・マーチは19歳、、。


( ´_ゝ`)別にいいんじゃねーのか


ある女優が美しさの絶頂にあるとき、1本の映画を通してそれが末永く未来へと残されていくというのは、映画の醍醐味のひとつだと思うのですが、ジェーン・マーチにとっては、この映画がまさしくそれにあたるのでしょう。だから当時の青少年の感想が「とにかくラマンがすげぇ」でもいいじゃないかいいじゃないか。


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パーフェクト・ストレンジャー

2010-02-20 | ふつう
「ラスト7分11秒まで決して見破れない真実」

こーゆー謳い文句は、実際どんな映画なのかを観る側に予想させるものがあって、そのラスト7分11秒に大オチが出たところで「あぁやっぱりね」って感じになってしまうのがなんともビミョー。ハイド・アンド・シークを思い出す。こーゆーこと言わなけりゃいいのにな。何の予告もなしにこの大オチが突きつけられる方が、観る側としては満足できるのに。

ハル・ベリーの映画を観るのは恐らくキャットウーマン以来。相変わらずのセクシーさ。これでこの映画時点で40歳そこらでしょ、どーなってんだ一体。なんだこの美しさ、サイボーグか?

しかしパーフェクト・ストレンジャー、意訳だと「見知らぬ他人」ですか。ネットに潜む匿名性やらストーキングやら、平成という時代(アメリカに平成は関係ない)が抱く「負」の側面をやたら強調してる感じに若干の痛っ痒さを感じつつ「嘘を嘘と見抜けぬ人には(映画を観るのは)難しい」ってところだろうか。


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ザ・コア

2010-02-07 | ふつう
怠けに怠けて、前回の更新からはや1年強。
月日の経つのは早いものでございます。

さて、ブログ復帰作として選んだのは「ザ・コア」。


何の思い入れもない。


とりあえず、行き当たりばったりで観ました。
これは観た映画についての備忘のようなブログなので、こんな感じの復帰がちょうどいいんだろうな。


さて、「ザ・コア」。

地球の外核(だったっけかな)の液体金属か何かの動きが止まっちゃったので、磁場のバランスが崩れ、太陽風にさらされて人類が滅亡するまであと1年。えらいこっちゃ!と地球を救う話です。

過酷な任務に倒れる仲間達の犠牲を踏み越えて、地球のコアの再起動という目的を苦難の末に達成する主人公。
要はアルマゲドンみたいなもんでしたね。あっちが宇宙ならこっちは地中。
地球もあそこまで奥深くまで入り込むと、宇宙に負けず劣らずの神秘の世界ですなぁ。

しかし内核と外核のバランスが崩れるだけで、地球ってのは滅ぶんだな。ホント今の地球に人間が住めるのって奇跡なんだな。救おうよ地球、守ろうよ未来、入ろうよチームマイナス6%。

ミリオンダラー・ベイビーではたくましい無敵の女子ボクサーだったヒラリー・スワンクは、ここではクールビューティーなエリートパイロット。かなり良かったです。


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