
ゴールデンスランバーに続き、再び伊坂作品を観てみることにしました。この「重力ピエロ」は、原作がなかなか文学してて、「村上春樹に通ずる」とも評される伊坂作品の中でも特にそんな雰囲気を感じさせるものがあった。ただ、どちらかというとかなり重度のアンチ春樹である座椅子でも、不思議と伊坂作品は読みやすくて楽しめます。伊坂作品全般に漂う文章の「若々しさ」が春樹作品との決定的な違いなんでしょうな。伊坂作品に登場する女は絶対唐突に「抱いて」とか言わないし。
それにしても村上春樹。「ねじまき鳥」だけは読んだことがあります。でも「だけは」と言ってもねじまき鳥、かなりの大長編な上に、あの読み手の忍耐を試すかのようなネバネバした文章、「早く終われ、早く終われ」と念じながらページをめくる苦行の日々であったことだけが強烈に記憶に残っている。もう2度と読みたくない。
話がそれた。
連続放火と遺伝子配列との関連性に潜む謎に挑みつつ、「生まれるべきではなかった肉親を愛せるか?」というテーマを掲げる本作。遺伝子関連の説明は、映画だととにかく早くあっという間に説明し終えてしまうので、「先生わかんないもう1回!」という具合にもいかず、きっと原作読まず劇場一発勝負で観た人なんかはかなり「?」だったんだろうなと想像。
泉水と春の「英語で言うとどちらも"spring"」な兄弟を演じるのは、加瀬亮と岡田将生。加瀬亮はさすがに演技うまい。雰囲気ある。原作そのまんま。いいですなー。岡田将生を映画で観たのは初めて。思ってたより良かった。
この映画は、よくあるいわゆる「イージーモード」な感じにはなってなく、きちんと原作での出来事や登場人物の心の動きをしっかり描いている感じがあり、観ていて急かされる雰囲気がないだけに落ち着いて観られたという印象です。あのような文学的色彩の強い小説の映画化ならば、きっとこんな感じになるんでしょうな。
などとブログの記事を書き終え、恐竜の牙の化石をきれいに掘り出せたアマチュア化石採掘家のような満足感に包まれた私は、それでも「完全なる記事などない、完全なる悲しみがないように。」と心のなかで呟いた。
そして窓の外を眺めると、空にはとてつもなく大きな漢数字の「二」のような飛行機雲が横たわっていた。
どこからか「ギィィィ、ギィィィィ」と例の鳥の鳴き声が聞こえる。
今日も、世界のねじは、巻かれているのだ。
作品紹介はこちら
それにしても村上春樹。「ねじまき鳥」だけは読んだことがあります。でも「だけは」と言ってもねじまき鳥、かなりの大長編な上に、あの読み手の忍耐を試すかのようなネバネバした文章、「早く終われ、早く終われ」と念じながらページをめくる苦行の日々であったことだけが強烈に記憶に残っている。もう2度と読みたくない。
話がそれた。
連続放火と遺伝子配列との関連性に潜む謎に挑みつつ、「生まれるべきではなかった肉親を愛せるか?」というテーマを掲げる本作。遺伝子関連の説明は、映画だととにかく早くあっという間に説明し終えてしまうので、「先生わかんないもう1回!」という具合にもいかず、きっと原作読まず劇場一発勝負で観た人なんかはかなり「?」だったんだろうなと想像。
泉水と春の「英語で言うとどちらも"spring"」な兄弟を演じるのは、加瀬亮と岡田将生。加瀬亮はさすがに演技うまい。雰囲気ある。原作そのまんま。いいですなー。岡田将生を映画で観たのは初めて。思ってたより良かった。
この映画は、よくあるいわゆる「イージーモード」な感じにはなってなく、きちんと原作での出来事や登場人物の心の動きをしっかり描いている感じがあり、観ていて急かされる雰囲気がないだけに落ち着いて観られたという印象です。あのような文学的色彩の強い小説の映画化ならば、きっとこんな感じになるんでしょうな。
などとブログの記事を書き終え、恐竜の牙の化石をきれいに掘り出せたアマチュア化石採掘家のような満足感に包まれた私は、それでも「完全なる記事などない、完全なる悲しみがないように。」と心のなかで呟いた。
そして窓の外を眺めると、空にはとてつもなく大きな漢数字の「二」のような飛行機雲が横たわっていた。
どこからか「ギィィィ、ギィィィィ」と例の鳥の鳴き声が聞こえる。
今日も、世界のねじは、巻かれているのだ。
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