これは僕の友人の話です。
この友人 Y君 多少知的障がいがある。
そんな彼が数年前に結婚した、まじめで、嘘をつかず、謙虚で人が良い彼の事だから、
きっと素晴らしいお嫁さんが来てくれたのではないかと僕は思っていた。
式を挙げなかったことから、まあ年齢的なものもあるだろうし、と思っていたのだけれど。
実際は違う現実がそこにあった。
ため息ついても仕方ないのだけど、結婚したのは日本人の女性ではなかったのだ。
いや、日本人でないから いけないのだ 等という差別的発想は僕には無く、それでは何故ため息なのかと
いうなら。
いわゆる彼のもつ知的障がいをいい様に利用した、簡単に言うと偽装結婚?であることが傍から見てすぐにわかってしまうからだ。
結婚したその女性には子供が3人いる、ひとりは小学生、後二入はすでに18歳以上で、
Y君の家庭には小学生の子供だけがいる。
そして二人だけの家庭でもある。
なぜ二人だけなのかというなら、伴侶である女性とその娘、息子は都心のほうで別に世帯をもって働いている。
小学生の子だけは働くことは出来ないので、Y寝るところと食べる場所だけを得させる為にY君のところにおいている。
話を聞くと夫婦という事になって、籍も入っているが、現実的夫婦関係はなく、まったく顔を合わさずに、ずっと長い生活が続いている。
明らかな日本国籍取得の為になされた結婚ではないか?と、僕はおもってしまうわけだが、これでいいのか? 解っているのか?
理解しているのか?と、直接 Y君へ問うわけにもいかない僕は一人で歯軋りすのだけれど、「そんなことどうでもいいんだよ」とでも、なんら苦にしていないように
みえる彼の心の中には、僕なんぞに理解することが出来ない思いというものがあるのだと思う。
人は、今が幸せであると、すぐにそれになれ、不満を抱くようになり、さらに、次にと欲が出て上を求めるようになる。
いったどこまでいいけば満足するのだろうか?と思うが、そこに上限などあるはずもなく、一つだけ言えるのは。
家族を構成している一人ひとりが健康であることが全ての基本。
そのうえで、一人一人がそれぞれが小さな欲を抱き、自分の目標とするところに向って歩んでいく、そしてそんな家族が一つの食卓を囲んで過ごす一時。
それが僕に取っての最高の幸せだと言うこと。
普通ということがどれだけ難しい物なのか・・・ という事が身にしみて分かるようになってきた僕です。