ふるやの森

地球文明の再生に向かう
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不思議の森物語 3

2009-06-07 05:46:05 | GFLJ速報
28年・・人生の半分を教師としてすごした勤務校は東京都と埼玉県の境界を流れる荒川から生徒が自転車をこいで10分ほどの場所にありました。大学の付設校で男子校としてスタートして30年ほど後に共学化して10数年になります。
28歳で赴任したころの校長は第3代校長のS先生でこの高校の教育の基礎を築いた方でした。朝礼で詩吟を吟ずる名物校長でしたが、左翼思想に固まっていた当時の私にはその意味が理解できずにいました。数年前に伊豆の拙宅にS先生の吟詠の会の合宿を開いた際に先生の願いをようやく理解できたと感じました。先生は戦後失われつつあった「日本人の心」を吟詠を通して伝えようとされていたのです。書道・武道・吟詠などの伝統的な日本文化の継承は日本の教育と社会にとって重要な意義を持つことを理解できたのはようやく最近になってからなのです。
赴任当時の私の夢は英語教育の改革にあり、キング牧師の演説を始めとする自主教材を授業に取り入れることでした。担任を持ったあとは集団づくりと班活動・自主活動の活発化がテーマでした。組合運動の中でも教研活動に関心が強く、全教系の上部団体が進める学校・教育づくりの運動に積極的に参加していきました。「付属校のメリットを生かした受験本位ではない教育」は当時の組合のテーマでもありました。
私が組合を離れたのは、組合幹部が校長になって学校づくりの路線を受験教育に転換した頃でした。「生徒確保のために受験実績をあげなければならない」と、他大受験クラス新設を職員会議の否決を無視して強行し特進クラスが設置されていきました。私は会議で反対し続けましたが、組合が校長補佐機関に変質する中で孤立し学校崩壊の流れを変えることは不可能でした。組合を離れた後の私は、クラブ活動(男子ソフトボール)と授業に自分の教師としての拠点を置く毎日を続けました。図書室にこもり同僚と語ることもほとんどなくなりましたが、放課後にグランドで生徒とすごして全国大会出場をめざす夢がこの時期の私を支えていました。
昨年3月に自己退職した理由は身体上の病気によるもので離婚後に食生活が偏って糖尿病をわずらい視力が低下し業務が困難になったためです。しかしもう一つの内面的な理由は変わっていく学校の現実に絶望を感じたためだったのです。