またしてもブログ更新をサボっているわけだが、実は引越でバタバタしていたのだった。
1年半前に直属の上司が栄転して山形に移り、それを追いかけるかたちで自分も行くことになった。というよりも行くことにした。
嫌で嫌で辞めた前の職場。逃げ込んだ次の職場は報酬の割に自由でむしろヒマすぎるくらい。おかげでいろいろ遊ばせてもらった。
しかしそもそも辞めたあと行く先は故郷の盛岡のはずだった。それを引き留めたのがその上司であり、その後4年も弘前滞在が延びた。
その間に長男は小学校に入り、娘が生まれ、確実に弘前に根が生えていった。住環境や友人関係も含めてとても良好で、なに不自由なく生活できていた。
このまま青森にいても何も困らない状態だったわけだ。
ただ、引き留めた上司は先にいなくなった。そして自分が弘前に残留する意味がまるでなくなった。1年前、自分にとっては遅すぎる誘いが来た。
「やっと自分も慣れた。山形にこないか」と。こんなに平和な生活を捨てて今さら来いというのはあまりにも残酷だった。
しかし残っていても自分の存在する意味が不透明なままになるのもわかっていた。
もちろん自分がその状況さえ我慢すれば子供は転校せずに済み仲間や友人と離れることもなく平和に過ごせるのだ。毎日が悶々としていた。
選択肢は3つ。1.自分を捨てて弘前に残る。2.上司を捨てて盛岡に帰る。3.過去を捨てて山形に行く。
結局3を選んだ。
嫌だった職場で唯一自分を評価してくれた上司に恩返しをしたい。例え収入が半減して忙しさが十倍になっても、辞めた職場のお膝元でわずかでも関わるくらい
なら新天地で世話になった人のために仕事をしてみようと思った。
この決心を後押ししてくれたのは他でもない妻だった。「夫が納得できない状態で家庭を続けるのはおかしい。ついていくだけだ」と。ありがたい話だ。
そんなわけで先月下旬に山形に引っ越してきた。大勢の仲間や友人たちに見送ってもらった。妻や子供たちにも迷惑をかけっぱなしだ。
だからこそ新天地でも頑張って一花咲かせないといけないと思っている。
あまり気負うとあとで疲れるので焦らずにすこしずつだが、青森以上に山形を愛せるように努力したいなと思っている。
で、新しい職場で仕事を始めて1週間になるのだが、忙しいw。娘は寝顔しか見ていない。
そんなわけでまたブログの更新は少ないままになりそうな予感。
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仙台港から苫小牧行きフェリーが出ているので北海道実は近いですよ!