★「伊吹山の神はだれですか(3)」のつづき
米原市柏原にある白清水もまた、かつてはそのような息長氏出身の巫女たちにより、穀霊を蘇生させる祭儀の行われる場であったかもしれない。
この泉は旧・中山道の宿場町であった柏原の集落近くにあり、現在ではだいぶ水量が減っている感じだが、石など組んで整備されている。伊吹山麓の名水の例にもれず、ここにも伊吹山の神に害されたヤマトタケル尊が、この泉の水で正気に戻ったという「居醒めの清水」伝承があるが、より注意をひくのは小栗判官照手姫の説話もここに伝えられていることのほうである。
同上
解説
野瀬山
画像中央の山麓あたりに白清水がある
伝説によれば業病にかかった小栗判官を紀伊熊野本宮で湯治させるため、小栗の車をひいた照手姫がこの地に立ち寄ったといい、彼女が化粧の白粉を谷の水に流したので白清水と名付けられ、白清水のある谷は狂女谷と呼ばれたという(照手姫は狂女となって車を引いていた。)。また、近くには照手笠地蔵を本尊とする蘇生寺笠地蔵があり、寺院のほうは廃寺となったが石地蔵のほうは現在も残っている。この地蔵は照手姫が笠を脱ぎかけて小栗の病気平癒を祈願し、霊験を得たと伝えられるもので、その時、照手姫は「住みはてぬ浮世は牛の小車に野瀬野の清水いかに濁らむ」と詠んだという。
照手笠地蔵
それにしてもどうして小栗判官と照手姫の伝承がこの地に残っているのだろうか。いちおう照手姫は美濃の大垣青墓の宿で小栗判官と再会してから、小栗の車を引いて大津まで行くので、その時に中山道の宿場町である柏原を通過する。したがって彼らの伝承がここに伝わっていることじたいはおかしくない(当地に限らず、小栗判官・照手姫の伝承は、説話の中で彼らの通過した街道沿いに残っていることが多い。)。しかし柏原いったいには、白清水のほかにも狂女谷や照手笠地蔵を本尊とする蘇生寺など、照手姫にちなんだ地名や寺院、なかんずく彼女が詠んだとされる歌さえも伝承されており、照手姫と白清水の結びつきのかなり強いことを感じさせる。しかもこれらの伝承群では、照手姫の事跡ばかりが伝わるいっぽう、小栗判官の存在感がきわめて薄い。なぜだろう(業病で死にかけていた小栗判官の影が薄いのは当然と言えば当然だが)。
手っ取り早く結論を言うと、古代の白清水は生の更新をもたらす「生命の水」として信仰を受けおり、秋になって伊吹山の神に殺害された穀霊神を、田植えの時期に蘇生させる祭儀がこの水で行われていたのだと思う。ちなみに、この水が「生命の水」とされたのは、白濁していることが母乳を連想させたからではなかったか。『古事記』でも八十神の迫害によって命を落したオオオクニヌシ神を、キサガイ姫とウムギ姫が「母の乳汁」による治療で蘇生させている。いずれにせよ、そのような再生儀礼を執り行っていたのは、この地域に居住した古代豪族、息長氏出身の巫女たちであった。
白清水の水
私が訪れたときは確認できなかったが
照手姫が化粧の白粉を落としたという伝承からいって
かつては白濁していたと思われる
こうした水の呪能をもつ息長氏出身の霊能力者の女性たちはとても神秘的で強烈な存在だった。このため、こうした祭祀が途絶えてからもその記憶は土地に残り続け、中世期になって照手姫の物語と習合した。これは「水と女性を介した再生」という祭祀の構造が、そのまま小栗判官照手姫のストーリーと一致したからで(この説話は地獄から地上界に戻されたとき業病を得た小栗判官が、照手姫の先導で紀伊熊野本宮の湯=「生命の水」で湯治して全快するという筋書きだ。)、それが呼び水となり両者は通底をおこした。
記紀にあるヤマトタケル尊を正気に戻させた「居醒めの清水」伝承からは、こうした息長氏の巫女たちのことが伝わってこない。たぶん、この英雄伝説のストーリーには彼女らのことを習合させる余地がないためだろう。尊はミヤズ姫を尾張に置いて伊吹山に来たが、仮に姫を連れてきたという設定になっていれば、あるいはミヤズ姫の形姿の中にこうした巫女たちの記憶が投影されていたかもしれない(例えば、伊吹山の神に害されたヤマトタケル尊が山麓にたどり着くと、ミヤズ姫が居寝の清水の水を汲み、それを浴びた尊はやっと正気にかえった等々。)。それはともかく、白清水の場合はたまたま中山道の宿場町に近い場所にあったため、小栗判官照手姫の説話が彼女らの記憶と習合し、照手姫のイメージのなかにそれが救われたと考える。
中山道沿いの柏原の集落
今でも宿場町だったかつての趣が町並みに残っている
「伊吹山の神は誰ですか(5)」につづく
最近は地元の祭礼等についてまとめていますが、「神解」の話はいろいろと参考になります。