神社の世紀

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腰掛石とは何か【腰掛神社(神奈川県茅ヶ崎市芹沢)】

2012年06月01日 23時55分56秒 | 磐座紀行

 先日、神奈川県茅ヶ崎市芹沢の腰掛神社という神社に行ってきた。式内社ではないが、市の天然記念物になっている樹そうに覆われた社地がなかなか神さびていて、素晴らしいふんいきだった。

神奈川県茅ヶ崎市芹沢の腰掛神社
Mapion

★由緒等は一番下に掲載

社頭のふんいき

参道

社殿

同上 

本殿

拝殿横の古木

すり減った石畳

社地の北側に広がる樹そう

 社名の由来になっているのは、社殿の向かって左側にある高さ40cm、タテヨコ100cmほどの上が平たい石である。この石は「腰掛玉石」と呼ばれ、伝承によれば東征の途次、日本武尊(大庭大神という説もある)が腰掛けて休息したものという。

腰掛玉石

同上

同上

 総じて、これと同種の「腰掛石」は全国いたるところにあるので、見かけた人もいるだろう。『世界大百科事典』の「腰掛石」の解説には次のようにある。 

 「神や英雄,または歴史上著名な武将や高僧などが腰掛けたと伝えられる石。休み岩,御座石(ございし)ともいい,その多くは神社の境内にある。石に腰掛けた人物はさまざまであるが,いずれも遠来の貴人という一致点がある。これらの石は神聖な霊域での祭壇に使用されたものと考えられ,常人がむやみに腰掛けたり近づいたりするのは禁ぜられていた。もともと神の影向(ようごう)の由来が長い時を経過するうちに忘れられ,それが歴史上の人物に置き換えられるという合理的解釈がなされたのであろう。」
 ・コトバンクにあったテキストをコピペ 

 要するに「腰掛石」は岩石の上に神霊が影向するという古代信仰の遺物であるというのだ。たしかに「腰掛石」のほとんどが神社の境内にあることを見れば、これらの岩石が何らかの在来信仰に関係していたことは間違いあるまい。しかし、以前から不思議に思っていたのだが、そのわりに「腰掛石」は、かつて神社で神体として祀られた形跡があまりないのである。 

 例えば次のようなことが指摘できる。神社で神体として祀られていた岩石は一般的に磐座と呼ばれる。そして磐座は社殿の背後に位置することが多い。これは社殿建築がなかった頃から磐座を信仰していた神社が、後世になって社殿を設ける際、かつての神体を拝する位置にそれを建てるからである。ところがこれに対し管見では、「腰掛石」は社殿背後ではなく、その手前にあることが多い(拝殿前の隅のほうで、謂われを書いた看板と並べて置いてある、というのがよくあるパターン)。 

 また、腰掛神社の腰掛玉石は台座の上に載せられ、それを覆う屋根と木の柵もあったが、こういうケースはむしろ例外で、大部分の「腰掛石」は雨ざらしにされ、さほど大事にされている様子がない。一応はしめ縄がされていることもあるが、これは信仰の対象であるためというより、人が座るのを防ぐという実務的な目的のためにそうしている感じがする。少なくとも、「腰掛石」の中に古代から信仰を受けてきたという神さびた趣きのあるものはあまりない(と思う。)。 

 とにかく、こうしたことから私は、「腰掛石」は磐座ではなかったのではないかという疑いをいだいている。 

 しかし、磐座ではないとしたら「腰掛石」とは何なのか、また「腰掛石」と磐座の違いは何なのか。 

 「腰掛石」の特徴の一つとして、腰掛けたと伝承されているのが神ではなく、有名な天皇とか武将とか僧侶とかとされることが多い、ということが挙げられると思う。たまに人ではなく神が腰掛けたという例もあるにはあるが、圧倒的に多いのは人である。また、その形状も大部分の磐座と違っていかにも人間が腰掛けるのにちょうど良さそうな格好をしている。 

 いっぽう、磐座について書かれた本によれば、一般に磐座と呼ばれているものには、岩石じたいを神として祀った「石神」と、神霊が寄り憑くヨリシロとしての「磐座」の例があるそうだ。

 じっさいに全ての磐座を「石神」と「磐座」に二分できるかどうかはともかく、こうした分類じたいは首肯できるだろう。その場合、前者は物をそのまま神として信仰するのに対し、後者は物じたいではなく岩石に憑依した神霊が信仰の対象である点、「石神」から「磐座」へは神観念の進化が認められる。 

 さて、「物じたいを神」→「神霊を神」とくれば、次にくる発展段階は「人格神を神」だろう(少なくともわが国ではそうだったと思う。)。その場合、「腰掛石」は磐座と違い、この「人格神を神」の段階になってから信仰を受けるようになった岩石なのではないか。すなわち、もはや神が人格神としてしか想起されなくなった時代、人々の宗教生活においてほんらいなら岩石が信仰の対象となる余地は無くなっているはずなのだが、それでも神社ではそうした物神信仰の記憶が残響のように残っていたため、人が腰掛けるのに都合の良さそうな岩石があると「腰掛石」として一定の信仰を受けていたのである。 

 その場合、多くの「腰掛石」は生じさせたのは、またしても神社の記憶の力だったということになると思うのだが、どうだろうか。  


茅ケ崎市芹沢2169に鎮座、腰掛神社

祭神 《主》日本武尊、《合》大日霊貴命・金山彦命・白山彦命・宇迦之御魂命

平成祭りデータにある由緒は以下の通り

「創立年代不詳なるも、相模風土記稿に「芹澤村腰掛明神社村ノ鎮守ナリ。大庭ノ神腰ヲ掛シ旧跡ト言傳フ。想フニ旅所ノ跡ナドニヤ、小石一顆ヲ置神躰トス。本地大日、寛永12年8月19日勧請、爾来此日ヲ以テ例祭ヲ執行ス。」とあり。 

 再建 寛政元年11月、現在の本殿は大正7年の再建、拝殿は震災後再建なり。本社には別當修験職並びに社殿鍵取職なるもの代々附嘱して社務を取扱ひしを以て関係古書類を保存し来りしが、天保4年4月、鍵取職矢野新兵衞方の居宅火災に罹りしを以て、遂に之を焼失す。 

 景行天皇の朝皇子・日本武尊御東征の際、此の地を過ぎ給ふ時、石に腰を掛け暫時此處に御休息せられ、西の方大山を望み指示して大いに喜び給ふ。後、村民永く其の霊跡を存せんとして社を建て尊を祀りしと言伝ふ。今猶社前に一大石(凡 長さ2尺9寸 幅2尺5寸)あり 腰掛玉石と称す。祭神 日本武尊 明治六年、村社に列せられ、越えて明治42年、幣帛指定村社に列せらる。