神社の世紀

 神社空間のブログ

伊吹山の神は誰ですか(6)

2014年06月30日 21時19分31秒 | 近江の神がみ

★「伊吹山の神は誰ですか(5)」のつづき 

 次のような伝承が玉井にはある(以下の引用で「野路の玉川」とあるのは、本論で言うところの「玉井」である。)。 

「正月の十五日、伊勢の五十鈴川の水で煮た小豆の粥を祝うのが、宮中でのしきたりになっていた。神宮の神域を流れる五十鈴川の水を使うと、小豆がよく煮えるとされていて、毎年その水を汲むための使いがさし向けられた。
 ある年、その使いに立った男が、野路の玉川のほとりを過ぎようとして、あまりの水の美しさに足を停めた。そして、わさわざ伊勢まで行くには及ばない、この川の水でも間に合うのではあるまいか、と考えたのである。男は玉川の水を汲んで帰り、黙って主水司に渡した。さて粥を煮てみると、その年に限って小豆がうまく煮えない。糺明の結果、伊勢まで行っていないことが明らかとなり、男は遠流に処せられた。
 罪びととなって同じ道を下ってきた男は、玉川のほとりを再び通りがかった。そして、この川の水がこんなに美しくさえなかったら、と長歎したのだった。玉川はその日から濁りはじめたのだという。記録によると江戸時代の寛政の頃には、すでに幅三メートル足らず長さ五メートルの小池になっていたようである。」
 ・『近江の伝説』駒敏郎・中川正文 角川書店 p68~69 

 ここに見られる1月15日、すなわち小正月の日に小豆粥を祝う習俗は実際に宮中で行われていたものである。今後の検討の際、重要になるのでこれを簡単に説明しておこう。『延喜式』にはこの日、宮中で米粥に小豆・粟・胡麻・黍・稗・葟子が入ったものを食べ、一般官人には米粥に小豆だけが入ったものを振舞う旨の規定があった。小正月に小豆粥を食した記事は『土佐日記』や『枕草子』にも見られ、現在でも東北地方の一部には同様の習俗が残るという。その趣旨は邪気を払い新しい一年の健康を祈念するものとされるが、年の改まる節目の時期に生の更新を図り、心身ともに強壮になって新しい年を迎える再生儀礼の一種と思われる。とうに無くなったこんな古い習俗の登場するこの伝承は、それだけでもユニークで興味深い。 

 それはともかくアイヌには、怠惰な若者が水を汲みに行くのを嫌がって神々の怒りに触れ、地上から引き離され月の中に置かれたため、月面にこの若者の姿がみえるという神話がある。 

 このアイヌの神話は、宮廷の使いが五十鈴川まで小豆粥を煮る水を汲み行くが、伊勢まで行かないで途中の玉井の水で済ませてしまい、やがてそのことが発覚して遠流に処せられたという玉井の伝承と似ている。もし両者がほんらい同型の説話であったとすれば、玉井の伝承にも月が関係していたのではないか。むろん、この伝承は一見すると月が登場しない。しかし小豆粥を食す習俗は小正月(正月十五夜)に行われるのであり、この日付は月との関係をうかがわす。また、玉井を歌った天仁元年(1108)の「むすぶ手も涼しかりけり月かげに底さへ見ゆる玉の井の水」に月が登場するのも注意をひく。 

 もしも玉井の伝承とこのアイヌの神話が類話の関係にあるとしよう。その場合、ニコライ・ネフスキーが宮古島で採話し、『月と不死』で紹介したあの有名な死の起源説話こそは、これらの伝承の原型ではなかったか。 

「大昔、宮古の島の人の世の出初めの時、月の神と天の神は、人間の命を幾代かけても末長く続かせようと思召され、アカリヤ仁座をお呼びになって、水を入れた二つの担桶を授けて仰せらるるには、これを下界に持ち下り、人間にはスデ水(蘇生の水)を浴びせ、幾代かわるも末長くスデ代わて常世の命あらせ、蛇には心さまの悪しき者なればスニ水(死の水)を浴びせよ。と、真正なる曇なき御情を人類に授けようとされた。
 アカリヤ仁座は、み旨に従って、二つの水桶を担って下界へ下った。もとより長い水のりを来たこととて足腰も疲れたので、担桶を下して憩いつつ道の側に放尿していた。すると其のひまに、一疋の蛇がすばしこくやって来て、人間に浴びせるためのスデ水の桶に入ってジャブジャブと浴みてしまった。アカリヤ仁座は打驚き、さてどうすればよいことであるか。まさか蛇の浴び残りを人間に浴びせる訳にもいかない。よんどころないことである。スニ水なりとも人間に浴びせよう、気の毒に思いつつも人間にはスニ水を浴びせて天上へ帰った。そして自分の非を悔いて正直に事の仔細を申し上げると、月の神、天の神はことの外お憤りになり、永久につきせぬ命を授けんと思いし此の心は汝の不覚によりあだになりしぞ。汝の其の許し得ぬ科あれば、人間の下界に住いなす限り、宮古の島の存する間、その担桶をになって月の世界に立ちて居れと、審き給うた。それで月の世界には今まで審きのままにアカリヤ仁座は担ぎ桶を担って、つきせぬ罪に問われて立っているという。 そして、スデ水を浴びた蛇は、幾世かわるも脱皮しては新生命をうけつぎ、スニ水を浴びせられた人間は永久に行き度くても、一度死ねば再び帰る能ほず運命づけられてしまった。それでアカリヤ仁座は、審きの庭で罪に問われつつも、何とかして人間に蘇生の道を得させ度さに、毎年、シツの深夜には柄杓を取ってスデ水を汲んでは撒きちらすので、今でも其の夜は小雨が降るといわれている。」
 ・『万葉びとの世界』桜井満 雄山閣 p138~139 

 ここに登場する蛇は「すで水」を浴びることで、「幾世かわるも脱皮しては新生命をうけつ」ぐ不死の存在となっている。古代人は蛇や蟹などの生物は脱皮(脱殻)の度に若返る不死の霊力をもつと考えていた。沖縄から奄美にかけて新生児の額に蟹を這わせる出生儀礼が分布するが、これなどもほんらい、新たに生まれてきた子が蟹のもつそうした霊力によって長寿になることを願ったものだろう。
 ちなみに、こうした習俗は、その裏に、かつて人間も脱皮し、その度に再生ないし若返ったので死ぬことはなかったが、何らかの事故(たとえば「すで水」の代わりに「しに水」を浴びてしまった等の)に遭ってそのような能力を失い、死すべき運命になったという古い信仰の存在を暗示している。 

 それはともかく、正月の習俗の中にはこうした脱皮する生物を食すことで、その霊力を体内に取り入れて生の更新を図ろうとするものがある。たとえば、伊勢エビは豪華おせち料理の定番だが、これなどもほんらい、脱穀するエビの霊力を年が改まるにあたって摂取し、生の更新を図る由来があったように思われる


高級おせち料理の食材には欠かせない伊勢エビ
(ウィキペディアの画像を拝借)
今回の画像はこれだけになってしまった
 

 また、正月料理に出される縁起物の中で、生の更新のために食される「脱皮する生物」は必ずしも動物とは限らない。伊勢エビに比べると地味な存在だが、おせち料理には里芋(八つ頭)も入る。里芋と言えば、正月ではないが中秋の名月にこの芋を供える「芋名月」の風習もある。大林太良によれば、正月と八月十五夜に縁起物としてこの芋を食す習俗は、日本各地から中国の江南地方にわたって分布するというが、これについて論じる中で彼は次のように述べた。 

「ここで興味深いことは、広東省においては、儀礼的食品として里芋を食べることを、里芋の汚い皮を剥ぐという表現で表していることが多いことである。私は、これは脱皮による再生のモチーフを元来表していたのではないかと考えている。つまりⅡ章で論じたように、人間も里芋の皮を剥くように脱皮して再生、ないし若返ったのだという信仰があったのではなかろうか?〈中略〉新年と八月十五夜に里芋の皮を剥いて食べることは、神話的な元古における脱皮能力を儀礼として再現し、反復することなのである。これによって食べる人の生命は、この節日にあたって更新され、活性化されるのである。」
 ・『正月の来た道』大林太良 小学館 p151 

 つまりここで大林は、新年に里芋を食べる習俗のことを、おせち料理の伊勢エビと同じようなものとして捉えているのだ。私もこの大林の議論に大賛成である。というのも、ここから小正月の日に小豆粥を食す習俗の由来について見当がついてくるからである。すなわち、よく煮て柔らかくなった小豆をつぶすと外皮を残して中から餡が出てくる。古代人はそこに里芋と同じような脱皮の表象をみたのではないか。その場合、彼らは類感呪術によって「脱皮による生の更新」を図るために小豆粥を食したことになる(伊勢エビや里芋のように)。 

 ここで玉井の伝承に話をもどす。
 古代人が煮えた小豆に脱皮の表象を見たとすれば、「宮廷の使いが五十鈴川のそれの代わりに玉井の水を渡したため、宮中で小豆粥を作ろうとしても例年のように良く煮えなかった。」というのは、小豆の脱皮が不全に陥ることであり、ひいてはそれを食す人間たちに「脱皮できない/死なねばならない」運命がもたらされることと等価となる。そしてそのように考えると、小豆がよく煮えるとされる「五十鈴の水」は「すで水」、そうではない「玉井の水」は「しに水」に該当し、使いの者の犯した罪は、人間たちに「しに水」を浴びせたアカリヤ仁座のそれと等しくなる。「すで水」を浴びて不死となった蛇にあたる存在は脱落しているものの、以上の検討から、玉井の伝承はもともと宮古島に伝わる死の起源説話と同型の神話であったように思われる

 本土のしかも内陸部にあたる近江に、宮古島に伝わる神話の類話が残っているというのはやや突飛に感じられるだろうか。しかし、古代の近江はヒボコの伝説でも明らかなように、渡来人や海人族を含む多くの人々が流入してくる土地であった。そういった人たちが伝えた多様な文化の中に、こうした古い神話も紛れ込んでいたのだろう。 

 

伊吹山の神は誰ですか(7)」につづく

 

 

 



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
スリリングです (柴田j晴廣)
2014-07-01 05:37:59
kokoroさん

 小栗や醒井がネフスキーの『月と不死』の伏線だったとは。
 スリリングな展開です。わくわくします。
返信する
Unknown (kokoro)
2014-07-01 23:20:49
柴田さん、こんばんは。

 早速、お読みいただいて、ありがとうごいます。

 私自身も宮古島で採集された神話の類話が、近江で見つかるという発見に驚いています。
返信する

コメントを投稿