神社の世紀

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伊吹山の神は誰ですか(2)

2011年12月14日 00時43分57秒 | 近江の神がみ

★「伊吹山の神は誰ですか(1)」のつづき

 これらの泉は古代においてどのような信仰をあつめていたのだろうか。その手がかりは居寝の清水の伝承にある。すなわち、伊吹山の神に害されたヤマトタケル尊は山麓にあったこの清水の水を浴びることで復活し、正気に返る。こうしてみると、居寝の清水はわが国の養老の滝や変若水をはじめとして世界各地に類例の多い、生の更新をもたらす「生命の水」の一種であったらしい。

 

クラーナハの『若返りの泉』
画面の左側では馬車で乗り付けた老人たちが若返りの泉に入る様子が、
同じく右側では泉の水を浴びて若返った彼らが、
飲んで歌って踊って恋して、と生の喜びを満喫している様子が描かれている

生の更新をもたらす「生命の水」の信仰はどこの国にも見られる普遍的なものだ 

 

 ではどうして伊吹山の祭祀には「生命の水」への信仰が見られるのだろうか。おそらくこれには古い穀物神の祭祀が関係していたのだろう。

 『古事記』によれば伊吹山の神は牛のように大きな猪の姿であった(『日本書紀』では蛇体)。つまりこの神に害されて死亡したヤマトタケル尊は猪によって殺されたことになる。

 ところで、日本神話にはもう一つ、猪によって殺害される英雄の事例がある。八十神が猪だと偽って転げ落とした焼けた大石を受け止めて落命するオオクニヌシ神である。

 いっぽう、ギリシア神話にも猪によって殺される神の物語がある。オリエント地方に由来のあるアドーニスの神話である。

 アドーニスの母はミュラ(またはスミュルナ)という王家の娘だったが、自分の父に恋して、計略を用いて彼と交わり身ごもる。しかし後に彼女はこのことを非常に恥じたため、生きている人々の間からも、死んでいる人々の間からも自分を追い払ってくれるように神々に祈る。そしてこれを聞いて同情したある神により、彼女はこの不倫の子を身ごもったまま芳しい樹脂の涙を流す木に変えられた。やがてこの木が裂けて生まれたのがアドーニスである。

 アドーニスはたいへん美しかった。このため、アプロディテは彼を愛人にして箱の中に隠し、冥界の女王であるペルセポネに預ける。しかしペルセポネがその箱を密かに開けると美しい男児がいたので、この子を返したくなくなった。そこで二人の女神の間に争いが起こり、それはゼウスの前に持ち出された。ゼウスは誰がアドーニスを預かるかについて次のように裁いた。すなわち、一年の三分の一は彼は一人で自由に過ごし、他の三分の一はペルセポネ、残りの三分の一はアプロディテのもとで過ごすというものである。

 アドーニスを冥界にいるペルセポネのもとに送り届ける死は狩りをしていたとき、猪によって傷つけられて落命するというものであった。後にアプロディテが若い夫と新婚生活を送った後で別れる日には祭りが行われるようになり、その時うるわしい少年は死に至る傷を負って横たわっており、アプロディテはそこに愛と涙をそそぐ。祭りの日、オリエントの神殿で女達は見知らぬ人々に身をゆだね、それをしなかった女性はアドーニスに髪を切ってささげたという。

 吉田敦彦は『ヤマトタケルと大国主』で猪によって殺されるということ以外にも、アドーニスの神話とオオクニヌシ神のそれに共通点があることを指摘している。すなわち両者ともに冥府(地下界)と地上の間を行き来しており、また樹木と関係が深い神格である点なども共通している。なかんずく、オオクニヌシ神が殺されると母のサシクニワカ姫が嘆き悲しんでカミムスビの助力を請い、キサガイ姫とウムギ姫によって蘇生させる説話は、アドーニスが死んだ際、愛人にして母神だったアプロディテがその遺骸に愛の涙をそそぎ、一伝によると彼女は冥界まで下りていってアドーニスを連れ戻したというそれとよく似ているのだ。

 ところで神話の中のオオクニヌシ神とアドーニスには、土地のみのりに対して力をおよぼす穀物神としての神格があったと言われている。
 栽培穀物は畑で育てられてから刈り取られ、翌年、またその実りの一部が種として蒔かれ、また生育させられて刈り取られるというサイクルを続ける。このため、穀物神はその豊穣性に所以するところの「死んで復活する」特徴がある。いわゆる「ダイイング・ゴッド」だ。大林太良も指摘するように、ユーラシア大陸にはオオクニヌシ神やアドーニスのように猪に殺害されてからまた復活する穀物神の伝統があったらしい。そして、ここからの類推により、伊吹山で猪に殺されるヤマトタケル尊の神話にも、穀物神のイメージは混入していたと考えられるのだ。

 思うに伊吹山をランドマークとする坂田郡から浅井郡にかけての地域では、春になると穀物神/田の神を伊吹山から迎え、収穫を終えるとまたこの神を伊吹山に戻し、そこで彼は猪により殺害されるというような伝承が行われていたのではないだろうか。その場合、毎年、田植えの時期になると、伊吹山麓に見られたあれらの聖泉では「生命の水」の威力によってこの神を復活させる祭祀が執り行われていたのだろう。

 

伊吹山の神は誰ですか(3)」につづく

 

  


 【オオクニヌシ神の狩】

 伊吹山の話題からは脱線するが、オオクニヌシ神とアドーニス神話にからめて出雲の磐座の紹介をしておく(今回は画像がすくなかったので)。

 アドーニスは狩りに出たとき、猪に傷つけられて死亡したと伝承されている。彼の血が流れ出るとそこから赤いアネモネの花が生え、それ以来、リバノンのアドーニス川の水は赤くなったという、── この伝承は殺されたアドーニスが水辺で再生したことを示唆する。

 いっぽう、『出雲国風土記』宍道郡の条には大略、次のような伝承が載せられている。

「オオクニヌシ神が(狩りのとき)追いかけた猪の像が南の山に二つある。猪を追う犬の像もあり、その形は石となっているが猪と犬にほかならない。この故事により(猪が通った道という意味で)郡の名を宍シシの道=宍道シシジというのである。」

 あるいはこの地名起源説話からは脱落しているが、オオクニヌシ神はこの狩りの最中、猪に襲われて落命し、その後、穀物神としての神格がしからしむるところに従い、また復活をとげたのかもしれない。

石宮神社、祭神は大己貴命

 島根県松江市宍道町白石に鎮座する石宮神社には、社頭の両側に巨岩があり風土記の記事にある猪の像の有力な比定地となっている。

 

 拝殿背後には本殿の代わりに石製の瑞垣に囲われた神体石があるが、このほうは犬の像だろうと言われている。

 

伊吹山の神は誰ですか(3)」につづく

 

 

 



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