☆波久奴神社の磐座(1/4)のつづき
山道に入ってから磐座にたどり着くまでは15分程度だったと思う。磐座の周囲の斜面はけっこう急峻で、しかも風化した岩石が積もるガラ山状態になっていたので滑りやすかった。リードのためのロープが木に結んであったが、それなりにハードである。ストックのある人は持っていったほうが良い。
磐座ふきんの山の斜面
たどりついた磐座は高さ20m以上ありそうな巨大な岸壁であった。
磐座の岸壁
同上
同上
ただし、ここで信仰の対象となっているのはこの岩壁というより、むしろその脇にある洞窟である。このことは訪れてみてはじめて分かった。まあ社伝にも「小谷山東渓の岩窟」という表現がみられたので、現地に行くと岩窟があることはわかっていたが、それにしてもそれがこれほど深い洞窟とは思っていなかった。とにかく洞窟を祀っているという意味で、当社の「磐座」は岩石じたいを神体とする通常の磐座ではない。
なお、湖北地方で他に洞窟を祀る信仰としては、長浜市余呉町中之郷大水ケ谷にある夜叉神の例や、竹生島の東岸にある洞窟の例がある。前者は近江国伊香郡の式内社、太水別神社の有力な論社だ。
洞窟は上画像の右手に写っている看板近くに開口しており、入り口には注連縄がしてあった。
洞窟の入口
入り口だけ見ると、洞窟と言うよりも岩の裂け目という感じだが、中をのぞくとずっと奥まで続いている。入り口ふきんでは私が近づくまで、一匹のコウモリがずっとホバリングしており、奥が深いことを伺わせた。看板を読むと中の様子が書かれており、一番、奥にミテグラ(御幣)があってそこが拝所になっているらしい。特に危険はなさそうなので入ってみることにした。
看板
ところが、中に入ろうとした私は、この洞窟が人を選ぶ場所であることを悟った、、、もとい、人の体型を選ぶ場所であることを悟った。というのも、入ってから3mくらいの箇所がかなり狭く、ここを抜けるのが大変だからである(笑)。看板にあったアドバイスに従い、左手を前にしながら横ばいになって身体をねじ込んでゆくのだが、ちょうど下腹がくる辺りが特に狭く、恥ずかしながら一瞬、そこに挟まってしまった。今年の夏は暑さのせいで結構ビールを飲んだからなぁ(-_-;)、などとちょっと反省。しかし、私の体型もさほど太めという訳ではないので、ウェストがやや大きめの人は本当にここから奥へは進めないかもしれない。
なお、よく見ると、ここの部分は岩肌が滑らかになっており、かなり古い時代から、多くの人がこうしてここを通ってきたことを感じさせた。
洞窟の入口ふきん
本文「やや回り込むようにしてだんだん下り坂になってゆく。」の辺り
この場所をすぎるとやや回り込むようにして洞窟はだんだん下り坂になってゆく。そして急にガクンと落ち込む。その奥は光が射していないので、両腕で身体を吊りながらソロソロと足を下ろして下の岩に着地する。1mくらいの段差があった。そこから先は前方が完全に真っ暗で、目が慣れてからも何も見えない。懐中電灯は持ってこなかったし、携帯画面の光では光量が足りないので辺りを照らす役には立たない。仕方がないので、フラッシュを焚いてデジカメで撮影した画像をモニターしながら進む。降りた場所は天井が低く立つことが出来ないので、足を前に身体を横にし、手も使って蜘蛛のような格好で這っていった。時々、コウモリの羽音が聞こえる。
ちなみに、ここは下の岩が襞のようになっていて、物など落とすと手が届かないような隙間もあった。身体を横にした時、ポケットの中身がこぼれ落ちないよう注意されたい。携帯や車のキーなど落としたら大変だ。
天井が低いので這っていった箇所
同上
左上の暗くなっているところに本文にある1mくらいの段差がある。
この天井が低い部分は4mくらい続くが、そこを抜けるとまた1mくらいの段差がある。そこを降りれば後は平坦で、天井の高さも3mくらいあり、後は楽に立って歩けた。5mくらい進むと突き当たりにミテグラが立てかけてある。ここが拝所で、洞窟への信仰の中心となっているようだ。古代から続く祭祀の場所なのだろう。天井ふきんには小さな洞窟がまだ続いているようだが、人間はとても通れないので、洞窟はそこで行き止まりである。結局、入り口からこのミテグラところまで、20m弱くらいだったと思う。
天井の低い箇所を抜けたところにある段差
奥の方に飛行中のコウモリが写っている。
同上
段差を降りると後は平坦で、天井の高さも3mくらいあり、楽に立って歩ける。
同上
地面の様子
ミテグラが見えてきた。
ミテグラ
ミテグラの天井部分
先ほど、降りてきた段差部分を振り返って撮影
同上
動物の体内を連想させる造形
ここで、ミテグラの前でしばし佇むと、この場所を信仰した古代人たちの息遣いが間近に感じられるような気がしてならなかった、などと書きたいところだが、実際にはふきんの様子はデジカメのモニターを通して確認するだけで、暗闇しか目に入らないから、感慨にふけれるような状況ではなかった。車の中には懐中電灯があったのに、持ってこなかったことが悔やまれる。外の日は暮れかかっていたし、あまり長居したい場所でもないので、ミテグラに礼拝してから早々に立ち去ることにした。入り口から光が洩れてくるので、出るときは難なく外に出られた。
波久奴神社の磐座(3/4)につづく