神社の世紀

 神社空間のブログ

伊吹山の神は誰ですか(1)

2011年12月06日 00時07分26秒 | 近江の神がみ

 この秋に滋賀県米原市鳥脇にある神明神社という神社を訪れた。拝殿の設けもないような小さな神社なのだが、本殿の載っている石垣の横に階段がついていて、その下に小さな泉があるのが印象的だった。泉はもうそれほど水が湧かないらしく、溜まっている水はあまり綺麗とは言えなかったが、それにしてもいかにも由緒ありげな泉である。おそらく上代の自然信仰に関わる遺跡なのだろう。「伊吹山に関係ある神社でまたもや湧水に出会ってしまった。」という感銘を受けずにはおられない。『滋賀県神社誌』にある当社の由緒を引こう。

米原市鳥脇の神明神社

社殿の脇にある階段の下に泉がある

 「古老口伝によれば、須佐之男命が伊吹山附近の賊を退治されたとき、道案内をした功により神紋(★当社の神紋は「三つ足の烏」)が伝えられる。頂上に古墳の形があり、猿田彦姫の墓と云われ、又「すも塚」と云う騎馬民族の古墳より出土品を多く発見され、当社の古社であることが推知される。」
 ・『滋賀県神社誌』p439

 一読して直ちに、さまざまな説話をツギハギして作ったことが分かるが、それにしてもここには伊吹山の名前が登場している。これは古代における当社の祭祀が、この山への信仰と何か関係があったからではないか。そして、伊吹山の神への信仰はしばしば湧水との関わりが深いのである。

伊吹山

 記紀にはヤマトタケル尊がこの山の神と争闘した伝承がある。『古事記』のほうの記述にしたがうと次のようなものだ。

 「ヤマトタケル尊は草薙剣をミヤズ姫のもとに置いて伊吹の神を討ち取りに出かけた。そして、「この山の神は素手で正面から討ち取ってしまおう。」と言って伊吹山に登ろうとしたところ、山麓で白い猪に出会った。その大きさは牛くらいあった。そこで尊は言挙げして、「この白い猪に姿を変えているのは、山の神の使いだろう。今は殺さなくても良い。帰りに討ち取ろう。」と言って登っていった。すると山の神は激しい大雨を降らせて、尊の正気を失わせた。白い猪に姿を変えていたのが山の神の使いではなく、神自身であったのを言挙げしたために失神させられたのである。それで山を下り、玉倉部の清水に着いて休んでいると、しだいに意識を回復した。それでこの清水を名付けて居寝(いさめ)の清水というのである。」

 尊が結局、このダメージが原因で伊勢の能煩野において悲劇的な最期をむかえるのは周知のとおりだが、そのいっぽうで、ここには彼が熱を冷まして意識を回復した居寝の清水というものが登場し、その泉は伊吹山麓のどこかに実在したらしい。

 居寝の清水にはいくつもの比定地がある。むろん、今となってはそのどれがほんらいの故地であったかは分からないが、最も有名なのは中山道の醒ヶ井の宿にある居寝(醒)の清水だろう。

醒ヶ井の宿にある居寝の清水

清水の中には日本武尊が腰掛けて熱を冷ましたと伝わる「腰掛石」や、
乗馬の鞍を置いた「鞍掛石」などがある

 このほか、米原市大清水にある泉神社湧水も居寝の清水の伝承地である。この清水は泉神社という神社の社頭から湧き出ているもので、あるいは当社の神体だったかもしれない。昭和六十年には旧・環境庁が選定した名水百選に選ばれている
 泉神社は白鳳二年創祀と伝えられる古社であるが、祭神の中には素盞嗚尊、大己貴命などと並んで多々美比古命の名前が見えている。多々美比古命は『近江国風土記』逸文に登場する伊吹山の神だ。

泉神社湧水
社頭から湧き出ている

社頭から社殿までは長い石段を登らなければならない

泉神社々殿

名水と言えばおなじみの風景

 長浜市山階町には伊吹神社という神社があり、祭神は伊吹神で、伊吹山を霊峰として仰いでいる。創祀年代は不明だがかつては近郷七ヶ字の総社で僧坊もあり、社宝として現在でも近江猿楽三座の、山階座の遺品とされる能面が伝わっている。

伊吹神社

 社頭の石碑によれば、当社の境内はかつて伊吹の杜と呼ばれる広大な社そうに覆われ、清水が湧き出て池となっていた、そしてそこに棲む「山田大蛇」を農業神として祀っていたという。私が訪れたとき池の存在には気がつかなかったが、現在でも境内の中央には水屋があり、その中にある円形の升からはこんこんと水があふれ出していた。水屋の側にある背の低い施設からブーンというモーター音が漏れていたので、現在ではこの由緒のある泉を守るためにポンプで地下水をくみ上げているかもしれないが、かつては自噴したものだろう。

伊吹神社の水屋

升からはこんこんと水が湧き出している

 このほか、米原市上野にある三之宮神社は伊吹山の登山口に鎮座し、この山の神霊を祀る里宮であったが、当社の近くにもかつて「ケカチ」と呼ばれる泉があり、これまた居寝の清水の伝承地の1つであった等々、伊吹山の神と湧水の関係を示唆する事例は枚挙にいとまがない。

米原市上野の三之宮神社

三之宮神社々殿

  

伊吹山の神は誰ですか(2)」につづく

 

 



最新の画像もっと見る

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
伊吹神社 ()
2015-02-04 17:18:55
はじめまして。
すごいブログですね。私には難しい内容ですが少しづつ拝読しております。
私の卒業した高校は長浜の伊吹神社の東隣に接していました。在校当時は、伊吹神社のことは何も知らず、ちょっと陰気な神社だなぁとおもっているばかりでしたね。
私の高校のグラウンドからは伊吹山が堂々たる真正面に見えます。昔は、校地は伊吹神社の一部だったのではないかと思っています。
地図で伊吹山→息長陵→伊吹神社→勢上稲荷神社とまっすぐに一直線が引けます。勢上稲荷は小さな祠のような神社ですが、ここは琵琶湖から大蛇が昇ってくる場所だといわれ恐れられていたそうです。
神社と言うのは、意味もなく、そこに立地しているのではないと思っています。古代人の直感と叡智の一端を知ることが出来ればと思います。
返信する
Unknown (kokoro)
2015-02-04 22:37:27
 桐さま、はじめまして。ほったらかしのブログにお来しいただいてありがとうございます。

〉地図で伊吹山→息長陵→伊吹神社→勢上稲荷神社とまっすぐに一直線が引けます。勢上稲荷は小さな祠のような神社ですが、ここは琵琶湖から大蛇が昇ってくる場所だといわれ恐れられていたそうです。
〉神社と言うのは、意味もなく、そこに立地しているのではないと思っています。古代人の直感と叡智の一端を知ることが出来ればと思います。

 「いくつかの聖地が線上に並んでいる」といった言説はよく見かけますけど、伊吹山の場合でそれをやると不思議と説得力がある気がします。そういえば、伊吹山の山頂と竹生島はだいたい東西ライン上に並んでいますが、白州正子の『近江山河抄』によると、竹生島の都久夫須麻神社を対岸から遙拝する鳥居が長浜市早崎にあり、これもこのライン上にくるそうです。この鳥居から湖上の竹生島を眺め、さらに振り返って伊吹山をながめると『近江国風土記』逸文にある伊吹山の多々美ヒコと、「浅井の岡」の浅井ヒメが山の高さを競い合った伝承の舞台にたったような気分になる、というような一節があった気がします。

 それはともかく、長浜の伊吹神社の池にいた大蛇はもしかすると勢上稲荷神社で上陸したそれかもしれませんね。両社の大蛇つながりも興味ぶかいです。

 これからもよろしくお願いします。
返信する
ありがとうございます! ()
2015-02-05 10:38:47
早速のご回答ありがとうございます!
白州さんの本、読んでみようと思います。
なるほど、地図で見ると早崎に竹生島神社というのがあるようですね。今度行ってみようと思います。地元の人間に限って何も知らないものです。
日本の神話や伝承については素人の耳学問でいろいろかじったり、空想したりしておりましたが、詳しく知っておられる方にはじめてお会いできました!うれしい限りです!

ところで、滋賀県神社庁のページで、伊吹神社の祭神は伊吹神とあり、現地に行った記憶を解いても他の神様は祀られていなかったように思います。明治末年の神社整理により、ほとんどの神社で大小の神々が合祀されているのに比して一社に一神しか祀られていないというのは異例なことではないかと思うのですが、考えすぎでしょうか?
伊吹神の場合、他の神様と合祀するのがはばかられたと言うことではないかと勝手に妄想しております。

伊吹神社の勧請年月が判然としないというのもひっかかっております。小さな神社では由緒は残っていないことも多かろうと思いますが、伊吹神社はかつてはかなりの大社であったように思います。思うに、そもそも「勧請」などされなかったのではないか?
歴史が記されるはるか太古から、人々はこの地に、伊吹山の霊力が湧き出しているのを感じ取り、聖地として崇めてきたのではないか、そんな風に思っております。
返信する
Unknown (kokoro)
2015-02-06 19:58:42
 桐さま、こんばんは。

> ところで、滋賀県神社庁のページで、伊吹神社の祭神は伊吹神とあり、現地に行った記憶を解いても他の神様は祀られていなかったように思います。明治末年の神社整理により、ほとんどの神社で大小の神々が合祀されているのに比して一社に一神しか祀られていないというのは異例なことではないかと思うのですが、考えすぎでしょうか?伊吹神の場合、他の神様と合祀するのがはばかられたと言うことではないかと勝手に妄想しております。

 滋賀県では、主祭神1柱だけで他に配祀神が祀られていない神社はそれほど珍しくない気がしますが、地域によってはどこの神社に行っても明治期などに合祀された祭神が多数、配祀されていることがあります。もしそういう地方で1柱の祭神だけを祀る神社に出会ったら、何か特別な由緒を疑う必要があるかもしれませんね。いずれにしても、面白い発想だと思います。

> 伊吹神社はかつてはかなりの大社であったように思います。思うに、そもそも「勧請」などされなかったのではないか?歴史が記されるはるか太古から、人々はこの地に、伊吹山の霊力が湧き出しているのを感じ取り、聖地として崇めてきたのではないか、そんな風に思っております。

 私もそう思います。この神社の祭祀は明らかに湧水に対する自然信仰からはじまったものですが、そういう神社の場合、祭神がどこからか勧請されてきてそこに祀られたと考えるのは不自然です。
 それにしても、湧水を祀った神社というのはおうおうにしてそれが涸れるとオーラも無くなってしまうのですよね。伊吹神社の山田大蛇がいた池も見当たりませんが、残念です。桐さんの母校のグラウンドに水はけが悪く、長雨がつづいた後はいつもなかなか地面が乾かないような場所はなかったですか。
返信する
なるほどです! (桐 http://kitakou.pokebras.jp/e296658.html)
2015-02-09 12:31:14
ありがとうございます。
また、勉強になりました。
明治の神社整理はかなり地域差があるようですね。
湧き水が涸れるとオーラがなくなるというのはよく分ります。
長浜北高のグラウンドの水はけについては思いも寄りませんでした。
古写真(上のページからご覧ください)をみると、伊吹神社の東(今の校地)は林になっています。
地下水脈は変わり、泉は枯れても、伊吹山を真正面に仰ぐこの場所に神の息吹は息づいている、そんな風にも感じます。
返信する
Unknown (kokoro)
2015-02-11 08:41:34
 桐さま、お早うございます。

> 地下水脈は変わり、泉は枯れても、伊吹山を真正面に仰ぐこの場所に神の息吹は息づいている、そんな風にも感じます。

 私もそう感じています。そのことが伊吹山の祭祀を考える上でとても重要な神社にしているとも思います。

返信する
これからも楽しみにしています。 ()
2015-02-12 11:10:38
ありがとうございます。
これからも、記事を楽しみしております。
また、いろいろと教えて下さい。
返信する
Unknown (kokoro)
2015-02-12 23:33:43
 桐さま、こんばんは。

 こちらこそ、よろしくお願いします。
返信する
伊吹山 (山田保則)
2015-11-20 08:14:27
はじめまして 古代史に興味を持っている者です。北高隣接の神社が伊吹山信仰とは知りませんでした。伊吹山は古代は息吹山でありこの土地を支配していた息長族が鉄等採掘していた〔製鉄する時のたたら場で空気を吹き込むので息が長いという説〕のではと思います。またヤマトタケルは天孫族ではなく国ツ神いわゆる物部系のリーダーであったという説があります。記紀ではかなり侮蔑的に描かれております。
返信する
乙事主 (後藤)
2016-03-02 02:24:36
伊吹山で出会った荒神[白猪]は伊吹山自体の神では無く、鎮西[九州]から来た神[もののけ姫の乙事主]なのではないでしょうか?
九州の蜷川神社では乙事主に似た獅子舞が披露されています。
日本に先に移住した旧モンゴロイドは猪信仰が有ったのかもしれませんね。
そこに後から移住してきた新モンゴロイドが神殺しをして支配しようとしたのではないでしょうか?
返信する

コメントを投稿