南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

年末と年賀状事情

2009-12-17 16:16:45 | Weblog
この時期になると毎年年賀状作りに取り掛かり始める。
昨年まではパンナコッタ、やたら凝った年賀状をパソコンを駆使して作っていたが、今年はごくシンプル路線で行こうと思っている。
というのはやたら凝った年賀状というのはその分プリンターのインクも使う分けで、いつも途中でカラーインクがなくなり余分に購入しとかないといけなくなる。
よく考えてみるとインクもそう安くはない。
世の中、季節性のインフルエンザよりもむしろ不景気風の方が吹き荒れているぐらいで、年賀状にお金をかけ過ぎるのはご時世には合わない。
最近は年賀状を出さずにメールでという人が増えたため、郵便局でも年賀状が売れずに困っているようだ。
この寒いのにマッチ売りの少女じゃあるまいし、郵便局の前ではお姉さんたちが寒そうに年賀状を道行く人に声をかけながら販売していた。
メールなら書く手間も省けるし、だいたい一枚50円なんてお金もいらないしと若者なら特にメールで済ませてしまおうと考えるに違いない。
しかも文面は『あけおめ』『ことよろ』と、それこそ謹んで新年のお慶びを申し上げる気持ちのかけらさえ見当たらない定型句が絵文字と一緒に一斉送信されるだけである。
おそらく昭和生まれの人間がいなくなる頃には年賀状なんてものは姿を消してしまうかもしれない。

今でこそ僕も年賀状は自分のパソコンで簡単に作れ、自分で印刷も出来るけど、一昔前は印刷屋さんに注文していた時代も確かにあった。
それから一斉を風靡した「プリントゴッコ」なる世紀の発明品が出現した時には、家族中が年賀状製作のために体重をかけて電球をバチッとやりの、チューブからインクを出しーの、それから出来上がったのを並べーのとそれはそれは大仕事であった。
年末は全国津々浦々の家庭では同じ作業が繰り広げられたのが当時の日本だ。
パソコンや携帯の普及で今ではその影を見ることもないが、あれはあれで楽しい思い出のひとつである。

年賀状の思い出と言えば小学生の時である。
もうすぐ冬休みも近づいてきたある日僕はクラスの友達から言われた。
「昨日年賀状着いたよ」そしたら他の子も「僕にも届いていたよありがとね」
仲の良かったクラスの友達に僕の年賀状が、正月どころかクリスマス前に既に届いてしまっていたのだ。
僕が年賀状に使用したのは「年賀ハガキ」ではなく「普通のハガキ」で、当然郵便屋さんは普通に配達するわけである。
子供だった僕は文面に「あけましておめでとう」が書いてあんだから郵便屋さんもちゃんと気効かせてお正月に配達してくれるものと勝手に思い込んでいた。
正月前に年賀状が届き、そのお礼を面と向かって学校で言われる程恥ずかしいものはなかった。
結果的にその年に僕は同じ友達に2度年賀状を出したことになる。

書くのは面倒だけど、もらって嬉しいのはやっぱり年賀状だ。
元旦の楽しみは何といってもこれなしには語れない。
メールもいいけど、年に一度くらいは手書きの年賀状をもらいたい。
ということは僕も書かなきゃいけないということだ。
まだ2010年になってもいないのに「今年もよろしく」とか「旧年中はお世話になりました」と文面では書くわけだから変といえば変だけど、年内に届いてしまう恥ずかしさに比べれば何でもないことである。







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