南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

迷信と占い好きな人々

2008-11-20 15:22:45 | Weblog
初対面で会うなり生年月日を聞いてきたり、姓名の画数を計算したりする人がいる。
そして、全てを分かったように「ふふーん」と人の顔を見ながら、あなたはこんな人間で、性格的にはこうこうでしょうと得意顔で喋り出すのである。
そこいらあたりによくいるギャルや占い好きの女性なんかは「うそー!当たってる」「えー何でわかるんですかー?」って馬鹿丸出しのリアクションを見せたりもする。
しかし、そいういことに興味がない僕はそんな話が出るとちょいと前に人気を博したムーディ勝山の様に話を右から左に聞き流してしまう。
そういう馬鹿げた迷信に縛られながら生活することすらナンセンストリオだ。
今日は日が悪いといったって地球上何十億の人間にとっていいのかわるいのか日本人だけの基準で判断していいものか。
今にも生まれそうな子供を今日は仏滅だから次の大安まで出産を我慢しようなんてことにもなりかねない。
大安吉日に結婚しようが離婚する夫婦は1ケ月で離婚している。
姓名判断でも頭領運だの事故運だの成功運だの後家相だの人のこと散々脅かしながら結局最後には印鑑を買わせたり、名前の字を変えさせたり、ラジバンダリと商売に結びつけるしたたかな人々もいる。
今日仕事で会った年配の男性も人生を悟ったような口調で占い判断みたいなことをし出しついには成功哲学までのたまわり出した。
しかし、その前にアンタ歯くらい入れた方がいいんじゃないのと、得意げに喋る男性の口元見ながらそればかり思っていた。
今日つくづく思ったが、前歯がない人間がどんなりっぱな話をしても説得力が追いつかない。
「チャラッチャチャチャチャーら♪前歯のない男の話は右から左へ受け流すー♪」




君も今日から裁判員

2008-11-18 20:40:00 | Weblog
いよいよ来年から裁判員制度が始まる。
宝くじは当たると嬉しいが裁判員は是非なりたいって人はどれくらいいるのだろうか。
できれば選ばれたくねーなというのが多くの人の本音かもしれない。
だいたいこの俺が裁判員って柄でもないしとか、人を裁くようなそんな重い責任なんか負いたくないとかいろんな意見が聞かれる。
ただでさえ忙しいのに仕事も休まないといけないし、普通に働いている人にとっては共通に言いたくなるのが「時間がない」である。
もし選ばれた場合には友人にもそう簡単には話せやしない。
自分の心にだけしまって家族以外の他人にはばれてはいけないのかもしれない。
まるでWOWOWでやってる『ユニット』の隊員みたいに「なおアメリカ合衆国もその存在を一切認めていない」の感覚だ。
しかしこれも宝くじの当選と同じで、ここだけの話のつもりが知らぬ間にいろんな人に話がばれてしまう気がする。

ニュースなどで極悪非道な事件を起こした容疑者を見た時は、こんな奴死刑になって当然だとよく思ったりするものだ。
特に最近の事件はあまりに短絡的な殺人事件が多過ぎる。
アキバの事件、ひき逃げ事件、通り魔事件などなど毎日のように全国で起きている。
被害者の家族の気持ちを察するとたまらないものがある。
決まってそういう無差別殺人を犯す奴は「ムシャクシャして誰でもよかった」と共通の供述をしている。
この言葉は決して許されるものじゃない。
誰でもよかったくらいの軽い気持ちで尊い人の命を奪うのがどんなに残酷でおろかなことかをそいつらに教えてやる必要があると思う。
もし僕が裁判員に選ばれてそういった事件の裁判に立ち会うことになったら、審議に関してはもちろん基本に則ったやり方で任務を実行するのは当然だけど、判決で死刑が確定したなら必ず犯人に言ってあげたい。
「ムシャクシャしいて誰でもいいから死刑にしたかった」と。

過去無差別殺人により家族の命を奪われたことのある人が裁判員に選ばれて同じような犯人を裁く場合にはありうる話しかもしれない。
裁判は裁く方も裁かれる方もいろんな意味で大変なことなのである。
来年のお正月の初詣では、家内安全、商売繁盛、の他に裁判員不選出という願い事が新しく増えそうである。

いざ鎌倉(kyabakura)

2008-11-13 19:47:40 | Weblog
鎌倉に行ってきた。
東京に仕事があったので前から一度行ってみたかった鎌倉まで足をのばしてきた。
鎌倉といえば本当はアジサイのきれいな6月頃がいいのかもしれないが、秋の鎌倉もまたいいものである。
お寺や大仏さんを見るのも目的のひとつではあったけど、一番のお目当ては江の電に乗って湘南の海を見ることだった。
湘南の海といえば僕たち長崎の田舎もんにとっては憧れの海である。
「ショーナン」というその言葉の響きからカッコイイ。
潮の香りがする海にはサーファーがいて洒落た海辺のレストランがあって夕陽がきれいでBGMにはサザンが流れているっていうイメージがあるのだ。
磯の香りがして鳥羽一郎の歌が流れる海とは明らかに違う。
というわけで鎌倉から江の電に乗って所々下車したり歩いたりして景色を楽しんだ。
そういえば昔、テレビドラマ『おれは男だ』で森田健作が竹刀持って走ってたのは湘南の海だったのを思い出し、思わず「さよならは誰にいう♪~」と口ずさんでしまった。
海に向かって「バカヤロー!」と叫びたくなる気持ちがほんの少しだけ分かるような気がした。
遠くに江ノ島が見えて湘南の景色はとても気に入った。
しかし、びっくりしたのは江ノ電が家と家の間をギリギリに走っていたり、道路を斜めに横切ったりしていることだった。
まるで人んちの玄関先を走ってんじゃないのと勘違いするほどの距離感にはたまげた。
鎌倉には本当にいい乗り物があるもんだ。





受け取り辞退のすすめ

2008-11-07 23:49:13 | Weblog
定額減税をするかと思いきや、定額給付の1世帯ごとへのばらまき型に変更したかと思えば、今度は所得制限をやっぱ付けちゃおかなー?と考えが変わり、新たに1人あたり1万2000円をばらまき、都合よくお金持ちさんには受け取りを辞退してもらおうなんて夢みたいなことを言い出している。
今の世の中、人はどうなったって自分さえよければいいという人間がどれほどいるのか知らないんだろうか。
ただでくれるという国からのお金を「私はいりませんから、どうぞ他の貧しい方々のために回してあげてくんなまし」なんておめでたい人がどこにいるのだろうか。
そんな世の中なら毎日毎日暗いニュースは流れやしないつーの。
逆に税金をガポットむしり取られている高額納税者たちこそ、ここぞとばかりに人の分までも横取りしたくなるはずだ。
今回の給付金を辞退するような人が本当に存在するんだったら日本の個人の寄付金はもっと多いはずである。
日本人の寄付してる金額は年間に1000億円程度、それに対してアメリカの個人の寄付金額は20兆円を超えているのだ。
先日亡くなった映画俳優ポール・ニューマンは事業での利益は全額寄付している。
いかに日本人が人のために自分の金を寄付しようとはしないのかはっきり分かる。
日本テレビが毎年夏にやっている『24時間テレビ愛は地球を救う』などはたった年に1回きり偽善的にお金を集めているが、本気でやるんだったら毎月やればいいのにと思う。
僕の友人に自分の給料から毎月5%の金額をもう10年近く寄付し続けている奴がいる。
おそらく彼は自分が働いて収入がある限り寄付は毎月これからも続けてゆくに違いない。
彼にも家族があり収入の全額は家族のためにだけ使えばいいはずなのに、自分は一応の生活が出来てるからということもあってか世の中の弱い立場の人、特に子供たちのために毎月寄付している。
それでも彼の口からは「今月も寄付した、今月も寄付した」なんて言葉を聞いたことがない。
こんな人間なら今回のばらまき給付金を辞退するのは分かる。
だから今回の「金持ちには自主的に辞退をお願いしたい」なんて夢みたいな話と言いたいのである。
世の中に『タバコの投げ捨てはやめましょう』と星の数ほど看板を立てたり、広報で呼びかけても、人のことなんて考えずに毎日毎日山のようなタバコが投げ捨てられるのが今の日本の実態であり、日本人の意識の質かもしれない。
しかもあんだけ自分たちは事務所経費ごまかしたり、秘書名義で悪さたくらんだりと私腹を肥やしている政治家の口からよく言えたものである。
とにもかくにも1人1万2000円づつばらまいてくれるんだったら、また気が変わらない内にとっととやって欲しいと多くの国民が思っているはずだ。
もちろんお金持ちであろうとなかろうと辞退することなく。
あえて言うなら本当に辞退して欲しいのは田母神俊雄・前航空幕僚長の退職金6000万円の受け取りである。