南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

紫陽花

2014-04-17 15:04:50 | Weblog

http://youtu.be/FxBKEb8Js3c

紫陽花という歌を作った。

今年で被爆69年を迎えるが被爆者の方々がだんだんと亡くなり高齢化して被曝を経験した人間がこのままだと近い将来はいなくなる。そうなると直接の被爆体験を語ることの出来る人がいなくなり被爆体験が風化してしまう怖れがある。戦争の恐ろしさ、原爆のむごたらしさはそれを経験した者でしかわからない。これからの長崎で被爆体験を持つ人がいなくなったらどうなるんだろうと考えてしまう。戦争経験のない人間は同じ過ちを繰り返しかねない。今の日本は守り続けられてきた世界に誇る平和憲法を変えてしまおうとする動きがある。しかもそれを阻止するどころか賛同する人が増え始めている。戦争を二度と起こしてはいけないと誓った今までの日本人の心が消え去りつつある。最近のアジア情勢などを見ていると日本は近隣諸国といつ戦争を起こしてもおかしくない状況に不安を隠せない。

日本の中でも長崎と広島の人間だけは反原爆を叫び発信し続けなければいけないと思う。他の県の人では分からない何かが僕たちにはある。僕たちが叫び続けることで必ず多くの人の心に届くと思っている。しかし残念ながら今の長崎の人でも長崎原爆の祈念日や時間も知らないし、もちろんその日その時間に黙祷を捧げなくてはいけないという意識さえない人もいるのが現実だ。69年前の長崎で何があったのか一瞬にして全てを奪い去る原爆は決して許してはならないものだという思いを持つきっかけになってもらえれば。その気持ちを込めてこの歌を作った。

僕自身被爆二世であり城山に住んでいた父方の家族は祖父を除き全員が一瞬にして亡くなった。愛も家族も笑顔の暮らしもというフレーズは城山で家族仲良く暮らしていた父の幼い弟や妹や優しい母親の笑顔を一瞬にして奪い去った事実を歌った。

 

YOUTUBEで聴いてみてください。


紫陽花

2014-04-07 00:33:13 | Weblog

久びさに歌を書いた。しかも今回は長崎の原爆の歌だ。反原爆の歌を作るのはもう何十年ぶりになるか分からない。きっかけは福山雅治の新曲「クスノキ」を聴いてからだった。同じ被爆二世である福山雅治が原爆にも耐えてい生き抜いている山王神社のクスノキを題材に作った曲が僕のソングライター魂を揺さぶってしまったのだ。僕ら被爆二世はこうして語り継ぐ責任があると思う。ちかじかYOUTUBEにもアップする予定です。

 

 

紫陽花

稲佐山から見下ろした街は
路面電車が今日も行き交う
穏やかな街並み

遠いあの日の八月の空も
今日と変わらず浦上川の川面に映っていた。

時の流れに薄れゆく記憶
忘れ去られる危うさの中で
癒えることない哀しみを抱いて
咲いているのさ紫陽花の花


南山手を見下ろした海は
外国船が今日も行き交う
賑やかな桟橋

遠いあの夏八月の風も
今日と変わらず浦上川のほとりに吹いていた

時の流れに色褪せる記憶
伝えられない危うさの中で
語りきれない悲しみを抱いて
咲いているのさ紫陽花の花

愛も家族も笑顔の暮らしも
忘れ去られる危うさの中で
癒えることない哀しみを抱いて
咲いているのさ紫陽花の花