南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

「いじめ」という言葉をなくそう

2006-12-28 17:20:59 | Weblog
怖いお兄さんたちが一般市民からお金を巻き上げたり、脅したりすることは普通「いじめ」とは言わない。 
「俺さ、昨日暴力団からいじめられちゃってさ」なんて表現もまずあり得ない。 
ところが学校ならこれが「いじめ」という言葉で表現されてしまう。 
「いじめ」という言葉を使うことでそんなに深刻に考えることでもないような印象を持たされてきたのが今までの社会だ。 
学校で、それも子供が行おうとそれはれっきとして暴行や恐喝として扱われるべき犯罪である。
今、盛んにマスコミでも『いじめを無くそう!』とうわべ面したスローガンが掲げられているが、「いじめ」という言葉そのものが良くない。 
どうせスローガンを掲げたいなら『暴行罪や恐喝罪を学校では起こすな!」くらいやるべきである。 
これほど大きな社会問題になった今でもまーだ「いじめ」という表現を使い続けるんだろうか。 
よく国のお偉いさん方が使う言葉「抜本的な対策を・・・」 
それほど言い切るんだったら「いじめ」なんて表現は今後一切使用禁止なんてくらいのこと考えてみるといい。 
 
似たようなことに長崎県庁の「裏金問題」がある。 
裏金作りの最高責任者(CEO)である県知事の名前にちなんで裏金という表現を使用したいのかもしれないがそれもおかしい。 
いじめと同じように「裏金」なんて表現をするから、何かたまたま浮いたお金をプールしといたくらいの他愛も無いことの印象を持たせている。 
これもれっきとした公金流用、横領という犯罪である。 
マスコミでどれだけこの問題を扱っても「裏金問題」でしかないのである。 
「うちの旦那ったら裏金なんてやっちゃうからもう困ってんのよ」なんて罪悪感のかけらもないこんな馬鹿主婦の井戸端会議が平気で行われたりする。 
たとえ奥様であろうとこれからは「公金横領」という正確な言葉で井戸端会議を繰り広げて欲しいと多くの県民は怒りを込めて切実に思っているにちがいない。 
言葉の表現って大事だね。