悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

ドロジン

2012-02-22 22:41:41 | アマチュア無線

鬼ごっこの一種である。泥棒を巡査が追いかける遊び。
「泥巡」が「ドロジン」となったのかもしれないが、
“どろじゅん”と言っていた時期があるのかどうかは疑わしい。
ネットで調べたところ、他に“泥団子をぶつけ合う遊び”というものがあったそうだ。
(栃木県在住の方のブログから)
この場合、泥団子+陣地→泥陣→どろじんとなったのかもしれない。

さて、本題は赤川次郎の本である。
シリーズ第1作が、1981年9月に刊行された「盗みは人のためならず」。
古本で1円+送料250円で購入。
主人公は、泥棒の夫と、妻は警視庁捜査一課の刑事。シリーズは10冊を超える。
軽い読み物で、2人は爽やかなコンビである。爪の先ほどのお色気もあり、
電車などで読むには良いかもしれない。しかし、設定がちょっとあり得ない。

読む前には、互いの仕事を知らない設定かと思った。
互いに仕事を知っていたら、2冊目は読まないとも書いた。
少なくとも、妻は夫の仕事を知らず、夫は、特殊な事情で泥棒をしているが、
説得力のある設定になっていると思った。しかし、ただの泥棒。
第1作では、本格的な盗みはせず、刑事である妻の手助けをしている。
全巻通して盗みはしないかもしれないが、盗みをしないという設定ではなさそうだ。

荒唐無稽な設定は嫌いではない。「必殺仕事人」や「仕掛け人藤枝梅庵」も好きだ。
彼らは、裏の仕事なので、見つかれば捕まり、処罰される。本人たちも自覚している。
正義というか、法は生きている。法で裁けない悪を斬ると言う設定はあり得ると思う。

しかし、この妻は、夫の仕事を認めている。「捕まらないで!」とも言う。
刑事が泥棒の夫を認めるという設定は、無理というよりあり得ない。
刑事をしている妻が、自分の立場に疑問を持たないのでは説得力がない。

このシリーズの本は、もう読まないだろう。西村京太郎、森村誠一の場合と同じで、
たくさん読んだ後で、時間の無駄だったと思いそうだから。

悪には悪の事情があり、説得力のある設定であれば、納得して読めるのに。

もう読まないと言えば、宮部みゆきも読まなくなった。
「蒲生邸事件」や、「クロスファイア」などは面白かった。
「クロスファイア」は、特殊な能力を持った主人公が、「生かしておけない」と思うと、
相手の体が炎上する。
しかし、「模倣犯」を読んで、主人公らしき男が、
友人(?)をいたぶって破滅させる設定は気持ちが悪く、不愉快だった。
こういうものを書く人の本は2度と読みたくないと思った。

<本日の歩行10.9㎞>~93日目
自宅~からきや~ほどほど~ジャパンミート自宅10.9㎞(15:23~17:53)
※コーヒー豆を買い、コーヒーを飲み、ボンゴレビアンコの材料を買う。
残りご飯を先に片付けることになったので、アサリは明日まで延命することになった。
自分の手で命を絶って食べるのは、アサリ、シジミくらいだろうか。肉、魚は、
すでに食材となっている。自分には、生きた鳥や魚を捌くことはできない。
貝を熱湯に入れるとき、少し心が痛む。
小学6年の時、鮒の解剖をしたが、嫌だった。それ以来、魚が怖くなった。
貝はあんな形だからできるが、生きた魚を熱湯には入れられないだろう。
食べないと死ぬという状況になれば、わからないが。

こんな思いはしない方が楽なんだけど。仕方がない…


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