悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

新聞記事から

2013-11-19 21:17:25 | 雑記

ナチスの暴虐の中でも人間性(何を持って人間性というのか難しいが)を保ち、
仲間への思いやりをさえ発揮した人々がいた。私にはできないだろう…
フランクルの「夜と霧」を読んだ感想はそんなものだった。

本日の朝日新聞第2面「ひと」欄を読んだ。
ホロコースト第二世代の作家「エヴァ・ホフマン」が紹介されていた。
両親は、ナチスの大量虐殺を生き延びたユダヤ人だから第二世代になる。
父母のものであっても、自分の経験ではない。
私にとってのフランクルの経験は、それよりも遠い。

そんな私が受けとめたことには、どんな意味があるのか?

彼女が初来日したとき、広島、長崎、福島を訪問した。被爆2世と語りあい、
「弱い立場の親」に対して、複雑な矛盾する感情を共有したと感じたそうだ。
親を保護したくなる気持ち、何もできなかったのかと軽蔑したくなる気持ち、
そう思ってしまうことへの罪悪感などなど…。
これらの矛盾した気持ちを持ち続けることは、かなり辛いだろうと思う。
書くという行為を通して、
「第二世代は感情的なものと歴史をつなぐ位置にいます」と言う。

著書の代表作の邦題は、「記憶を和解のために」

「出来事の単純化、短絡的な反応は好みません」と言い、
「未来の世代も歴史的な事実が個々の体験であると感じるかもしれない」と言う。

社会のさまざまなできごと、広島の、沖縄の、福島の体験、被差別者の苦悩、
たとえばろう者の労苦などが、自分の体験であるように感じることができる世代、
個々人が、少しずつでも増えていけば、社会は変わっていけると思う。


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