悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

弟が生まれたとき

2014-12-26 20:40:03 | 雑記

私が3歳の時弟が生まれた。産婆さんがきているとき、私と叔母さんは3畳の部屋にいた。
1月のことで、小さなこたつで生まれるのを待っていた。
夏はやはり小さな卓袱台を使っていた。この卓袱台は、今でも物置にあり、
餅を搗くときに使われる。ここ何年かは餅を搗いていないので、用無しだ。
父は国鉄で貨物の車掌をしていた。この日は泊まりだったので、叔母がいたのだと思う。
3畳の部屋には、意外に大きな米びつが小さな押し入れに入っていたと記憶している。
3畳の部屋は、わが家の居間で、敷居の上辺りにはラジオが置いてあった。
ラジオからは黄色い線が垂れ下がっており、縁の下に接地してあったようだ(アース?)。
わが家にテレビがきたのはオリンピックの年だから、この後11年はラジオを聞いていた。
一丁目1番地や、赤胴鈴の助、美空ひばりや島倉千代子の唄を、楽しんでいた。
弟は美空ひばり、私は島倉千代子が好きだった。
記憶は曖昧だが、土の三和土もあったと思う。ハツカネズミを飼ったときは、
この三和土の端の方に置いていた。
餅つきもできるくらいの広さがあり、雨の時はここでした。
しかし、子どもの頃の記憶は曖昧なので、今の井戸の位置がおかしいと思っている。
この井戸の西側は、4m位しかないのに、そこに台所、風呂などがあったのが解せない。
台所も風呂も、記憶にあるその大きさは、4mには収まらないので、何とも不思議だ。


 


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