母の靴が一部すり切れて目だつようになった。目が見えないとの訴えが多い割には、
気になったところはよく見える。
庭の草や、塀の外に落ちたノウゼンカズラの花殻、片付かない部屋は気にする。
蟻さえも得意げに指摘する。
介護靴を売っている店に行ってみたが、2店ともに適当なものがなかった。
明後日、眼科の通院なので、その帰りに探しに行こうということになった。
ところが、気になり出すと歯止めが利かなくなる。これから行こうと言う。
今、パソコンで作業中だから、明後日にしてよと言うが、1分後にはまた同じ話。
この後、眼科の名前、眼科はどこにある、カレンダーに眼科と書いてくれと続く。
口頭による説明では覚えられないので、最後には紙に書いて目の前に置くことになる。
最初から書いてしまえば良いのだが、機械的に書いてやることがなかなかできない。
母は、覚えていられないということは、もう判っているのだが、そう思いたくないのか?
説明した後に繰り返し聞かれ、やり取りに疲れて、やっと書くという愚を繰り返している。
記憶にある(物心ついてからの)母は、普通のおばさんだが、結婚前の写真を見ると、
かなりの美人に見える。それは置いても、元気な頃の母との落差を思って辛いのか?
ただの高齢者と見れば、楽になるのにと思うが、まったく馬鹿な息子だ。
今、テレビのニュースで、東京タワーに、「189」の文字。
児童虐待防止のため、いち早く(189)連絡をという訴え。
高齢者虐待もある、他人ごとではない。
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