承平六年春、左大臣殿の御親子、おなじところに住みたまひける、ねだての障子に松と竹とをかかせたまひて、奉りたまふ
おなじいろの まつとたけとは たらちねの おやこひさしき ためしなりけり
おなじ色の 松と竹とは たらちねの 親子久しき ためしなりけり
承平六年(936年)春、左大臣さまの親子が同じ家にお住まいになられていて、その仕切りの障子に松と竹を書かせておられたので、それを詠んだ歌を奉った
同じ色の松と竹とは、親子がともどもに末永く幸せに過ごすしるしなのです。
「左大臣殿の御親子」とは藤原忠平(ふじわら の ただひら)とその娘貴子(きし/たかこ)のこと。「障子」は、この時代において襖(ふすま)のことで、屏風と同様に、そこに絵を描いて和歌を書きつけたようです。「たらちねの」は「親」にかかる枕詞ですね。