気の向くままに、今日の話題をお届け

以前は、Gazooブログ「今日の話題は」をやっていました。
基本、忘備録的日記です。

関東も震度6があったのですね・・・

2011-03-12 19:22:44 | 日記

私の近隣でも震度5強だったとは・・・。
当時の私の状況をアップします。
参考にしてください。

当時私は勤め先にいました。

過去に震度4の経験は何度と無くありました。
地震発生時の雰囲気は、経験上震度3。
「いつもの軽度な地震が起きた。」と思っていたのですが、それは今思うと地震波で言うP波(初期に起きる軽度な縦波)だったですね。

10秒ほどゆれた後でワンランク揺れが増え、感覚的に震度4。
室内にいたので天井の照明等の落下に備え、テーブルの下にまず避難。
その状態でも10秒程揺れて収まらず、更に「これでもか」と揺れが増しました。

この時、今までと違う異常さに身の危険を感じる。
「これ以上強く揺れたら、天井そのものが落ちてきて生き埋めになる。」
生き埋めになるわけにはいかないので、天井を気にしつつ会社の外に小走りに避難。
それ程ふら付かず歩けたので、一番酷くても震度5の範囲だったと思います。
幸い会社はそれなりに耐震性があり、部屋の天井のボードが細かくひび割れて落ちただけで済み、被害のレベルから言えば震度4~震度5弱くらいだったかもしれません。


さて、社員全員が設定された避難場所に集合。
全員の安否を確認すると、安全責任者が社内の安全確認に室内に戻ります。
一般社員の我々はその間待機。
地震の情報を入手しようとしても携帯が殆ど通じない(メールは運が良ければ送信できました)。
役に立ったのがワンセグで、地震情報を確認。

震源地は宮城県(!)

その言葉、信じられませんでした。
東海沖なら近いけど、宮城が震源の地震でこんなに揺れるとは思えなかったのです。
仙台よりも近い新潟の中越地震ですら、社外に避難する程揺れなかったのですから。

その後余震が続くので、なかなか社内に戻れない。
家族の安否はメールで確認できたので、まずは一安心。
約一時間後、軽度な揺れが続く会社に戻って片付けを済ませ、午後5時まで仕事に戻りました。

帰宅時は道の様子を確認しつつ、「こちらは比較的被害が無くてよかったなぁ・・・」と思いましたら、「長時間停電」という「落ち」があったのです。

自宅は木造ですが、幸い震度4程度だったので被害はありませんでした。
しかし、地震発生当時から停電したまま。
水は水道が生きているので大丈夫。
火はガスと石油ストーブがあるから暖は取れる。
しかし、普段使っている2つのファンヒーターと2つの電気ゴタツは役に立たない。
明かりは当然無いのでろうそくと懐中電灯。
電気が無いからTVもラジオも駄目。
(電池を懐中電灯に回したため)

ここで役に立ったのが「発電式ラジオ」でした。
これで地震情報を聞きながら、石油ストーブ1台を食卓に置き、家族で寄り添って暖を取りながらの夕食。
ろうそくと懐中電灯の明かりの中で、ガスで沸かした湯でカップラーメンです。
燃料と電池の温存の為、地震情報は聞こえるようにラジオだけつけたまま午後7時には家族全員で布団に入って仮眠。

停電の情報を確認できた時が「関東地方で340万軒停電」という現実に、しばし愕然。
埼玉だけでも34万軒とか。
土曜日一杯停電している事を覚悟しました。

「震源地から遠いのに、何でこんなに停電しているんだろう・・・」という疑問が、電気が復旧してネットで地震情報を確認するまで理解できませんでした。
(ラジオだけでは、相手が流す情報しか得られませんからね。)

メインの震源は宮城県沖でしたが、震度6以上の地域が宮城から福島・栃木・茨城まで続いていましたね。
震度6なら、停電しても無理は無い・・・。

しかし、停電だけでこんなに不便。
現地での被災した人に比べ物質的な被害はゼロなのに、
1.暗闇で懐中電灯便りの生活
2.ラジオによる「受けるだけの情報」なので、知りたい情報がなかなか得られない
(それでも情報があるだけマシです)。
3.暖房がストーブのみ。ストーブの近くしか暖まらない。
4.メールは少し、電話は何処も通じない。(確認できたのはメールが通じる家族の安否のみ。それでもタイムラグが大きいが、何とか送信できれば相手には届く。)
という不便さを10時間以上に渡り味わう事に。

また、東京に勤めている友人の一人と遅ればせながら安否確認ができたけど、電車が不通というニュースを聞いていたので予想どおり「帰宅難民」になっていまして、彼が帰宅できたのは翌日でした。



それにしても・・・・。
「よく生存者がいたなぁ・・・・」というような惨状がTV画面に映し出されています。
一人でも多くの人が生還できる事を祈らずにはいられません・・・。

コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

宮ちゃんNO1 [2011年3月12日 21:07]
こんばんは~ 初めまして宮ちゃんで~す!

まめ八さんから飛んで来ました~(笑)
昨日の地震はホント・・ブログのコメント通りでしたね~
自分は数年前の新潟中越地震を長野で体感
震度5弱でしたが・・・・
今回都内で経験した震度5弱は
やはり異常に感じました~
古いビルのガラスは割れ・・
高層ビルはこんにゃくのように揺れ
駐車中の車からはセキュリティー音が・・
JR駅からは警報が・・・
都内で大きな被害が無かったけれど
公共交通網が遮断・・・
帰宅困難になり・・・会社にお泊り
今日の午後にやっと自宅に帰って来ました~

でも・・こんな事よりモット悲惨な状況が・・
福島原発の爆発?の情報も気に成りますね~

タマ&サイ [2011年3月13日 10:28]
本当に凄い地震でしたね。僕も、ステップで仕事をしていましたが、職員さんの指示で外に非難しましたよ
CHIPPY [2011年3月13日 13:45]
私も生存報告。
会社にいました、震度5弱だったみたいです。
でも腰を落として身構えないとまともに立っていられない状態
でしたね、地形とか関係するかも知れないけど。

そして会社付近は停電、携帯はどこにも通じず、心配なので
直後に帰宅して家族の無事を確認、自宅は停電しなかったようです。

とりあえずネット上を含む知り合いは無事を確認出来たので
一安心。
EP82-SW20 [2011年3月13日 16:11]

>宮ちゃんNo.1さん、こんにちは。
お名前はまめ八さんのところで拝見させて頂いていました。
コメントありがとうございますw

おお、中越地震経験者でもありましたかw
その宮ちゃんさんからしても、身の危険を感じられたと・・・。
そして「帰宅難民」となられて・・・。
まだ「震度7の余震が来る可能性が70%以上」と気象庁が発表したので、都心への通勤は不安でしょうね(^^;)
原発は「命がけの作業」をされている人達の努力で何とか抑えられているみたいです。
我々も不安ではありますが、彼らの捨て身の作業の成功と生還を祈りましょう。


EP82-SW20 [2011年3月13日 16:16]

>タマ&サイさん、こんにちは。 コメントありがとうございますw

ご無事で何よりですw
緊急時こそ、冷静な避難が大切ですよねw


>CHIPPYさん、こんにちは。 コメントありがとうございます。

ご無事で何よりですw
そちらは停電してしまいましたか。
電車で帰れずに徒歩で帰られた人が多かったみたいですね。
茨城の会社の知人の安否を確認したら、無事でしたけど明日以降しばらく会社の復旧に追われる業務だそうです。
私も復旧に追われる可能性が大です(^^;)
きのこ [2011年3月22日 22:23]
こんばんは~
娘は九段会館にいたのですが
ロビーに居た為出口のドアをずっと開けてたそうです。逃げる人たちを見ながら
【自分は死ぬんだ・・・でもドアを持ち続けてる自分・・】とちょっとした満足感を持っていたようです。(笑)
結果・・二人亡くなってしまいましたが・・
昨日東京に戻りましたが帰したくなかったなぁ
EP82-SW20 [2011年3月23日 20:17]

>けいづか木の子さん、こんばんは。 コメントありがとうございますw

お嬢さん、多分「死の恐怖」感じていなかったですよ。
意外と腹が座っちゃう時があるんですよね。
私も経験ありますから(^^;)

人生、運に左右される面は多々あると思います。
今回の件で、お嬢さんの命運はまだまだあると思いますので、大丈夫だと思いますよw

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