石原裕次郎がテレビと出会った時
裕次郎の没後35年、「太陽にほえろ!」の放送開始から50年となる今年7月。裕次郎がテレビの可能性を切り開いた時代と、金字塔とうたわれる刑事ドラマの舞台裏を描く。
石原裕次郎がテレビと出会った時 - NHK
BSプレミアムでは時々太陽にほえろ!の特集番組をやってくれる。今
年で50周年だそうだ。筆者は1号ライダーを知る世代なので、もちろん
太陽を知っている世代だ。そういえばライダーFCの責任者のS氏は平
行して太陽の同人をやっていた…この人とは気が合わなくて縁が切れた
けど(苦笑)。筆者の地方は太陽の放映初期は日テレ系のテレビ局がな
くて(泣)日曜日の夕方に数話ほど遅れての放映だった。実はショーケ
ンの演じたマカロニや松田氏のジーパンは知らない。なので、ふたりの
刑事の伝説の死に様は再か懐かし特集で観た記憶だ。リアルタイムで観
ていたのは勝野氏のテキサス時期の1974-1976年の頃でテキサスの殉職
後も少しは観ていた気がするが心は番組から離れてしまっている。同時
期のGメン75(タイトル通り1975年)は婦女暴行や覚醒剤の描写がキツ
くて敬遠しており、専ら特捜最前線(こちらは1979年から放映)のファ
ンだった。後に刑事ドラマはキャラクター優先のあぶない(1986年)や
リアル描写の踊る(1997年)とスタイルが変化していったが…筆者と刑
事ドラマとの縁は復活しなかった。社会人になると現実に腹立たしい事
が多くなり、犯罪シーンなど見たい気分にならなかったのだ。今回の特
捜…いや特集番組も石原氏のテレビ進出にスポットを当てており、太陽
に関しては後にスターになった歴代新人刑事は何人もいるが、人気の頂
点はテキサスまでと判断し?ボンボン・ロッキー以後は触れていないし、
後に金八先生(1979年)に敗れる事にもやはり触れず、話題は西部警察
の前身である大都会(1976年)の方に特集のスポットは移ってしまう。
筆者の記憶違いがなければ、テキサスの後継ぎはロッキーでボンボンと
いう新人刑事は後輩としてテキサスと共演していた気がする。石原氏の
病気治療中は特捜のようにFBIかインターポールで研修という設定は
使わず劇中でも病気入院という設定が使われた。後に石原氏は太陽と西
部警察に復帰。弟が西部のファンなので「医者から煙草はとめられてい
る」というシーンを一緒に観て苦笑いしたが太陽は観ていない。太陽の
最終回は筆者は全く興味を失っていたのでそのまま観ておらず、石原氏
が自ら台詞を考えてワンカットで事情を知る女性を説得するシーンは懐
かし特集でチェックしている。観た人からは「裕次郎はやつれていた」
と聞いていたので亡くなったと聞いた時はあまり驚かなかったと記憶し
ている。しかし…筆者も現在はこの年齢に近いため享年52歳は若すぎる
!(合掌)。
~PS~
本当に多忙で深夜になりました。