縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ウンブリアの恵み(イタリア紀行2)

2006-07-11 23:38:26 | もう一度行きたい
 昨日夕方、ローマに凱旋したサッカーW杯イタリア代表を、50万人を超すファンが出迎えたそうだ。24年ぶり4度目の優勝、まずはおめでとうと言いたい。そして、この快挙に敬意を表し、今日はイタリアの話にする。

 前回、ナポリからローマ、そしてフィレンツェ、ミラノと周ったと書いたが、このほかにもいくつか訪れた町がある。アッシジもその一つだ。ずっと聖フランチェスコの町に行って見たいと思っており、ローマからフィレンツェに行く途中、ほんの3、4時間だけだったが立ち寄った。アッシジはスパズィオ山の斜面に広がる町だ。眼下にはウンブリアの田園風景、本当にのどかで、安らぎを感じる町である。

 アッシジには聖フランチェスコゆかりの場所が多い。清貧を説き、自然と一体化し小鳥や魚にまで福音を説いたといわれる聖フランチェスコ。そんな彼の教えや生涯を知るには、やはりサン・フランチェスコ聖堂を訪れるのが良い。ジョットのフレスコ画が見事である。
 フレスコは生乾きの石灰モルタルの壁に絵を描く技法だが、古くはポンペイの壁画がそうだし、あのミケランジェロの『最後の審判』もそうである。だが、フレスコ画が初めて芸術の域に達したと言えるのは14世紀前後、このジョットからではないだろうか。ミケランジェロより200年近くも前のことだ。
 ジョットの『聖フランチェスコの生涯』は28枚の連作になっており、有名な聖フランチェスコが小鳥に説教する場面をはじめ、彼の福音の様子が描かれている。又、このほかにもキリストを讃えるフレスコ画もあり、この教会は教育の場であったように感じられた。つまり、フレスコ画は、子供や教育を受ける機会がなく字を読むのが不自由だった人達に、キリストや聖フランチェスコの教えを伝える役割があったのではないだろうか。一般の宗教画のイメージとは異なり、ここのフレスコ画の人物は生き生きとしていた。

 サン・フランチェスコ聖堂からコムーネ広場に至る道は中世そのままの感じだが、残念なことに土産物屋が軒を連ねるなど少し観光地化している。僕らはその通りからちょっと裏に入ったところで昼食を食べた。店の名前は忘れてしまったが、確か当時(2001年7月)アッシジでは唯一のミシュラン一つ星のレストランだったと思う(ミシュランのHPで調べてみたが、今は La Fortezza という一つ星の店があったが、地図を見ると記憶と場所が違う)。
 ポルチーニのパスタと肉料理(ウンブリア料理?)を食べたが、それはそれは美味だった。加えて、ワインが最高においしかった。アルナルド・カプライ“サグランティーノ・ディ・モンテファルコ1997年”。タンニンのしっかりした力強い、たくましいワインだ。まさにウンブリアの恵みといえる。モンテファルコはアッシジから少し南に行った所にあり、これはいわば地ワインである。地元の食材で作った料理を地元のワインで頂く。スローフードの、やさしく、楽しい昼食のひとときだった。是非あの店を探しにアッシジにもう一度行きたい。またあのワインを味わいたい。

(因みに、サグランティーノはブドウの品種のことだが、聖フランチェスコがサグランティーノをこの地に持ってきたという説もあるそうな。)