縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
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『イノセント』なのは誰?

2006-07-28 23:52:00 | 芸術をひとかけら
 先週の土曜、BSの番組表を見ると、イノセント、の文字。もしかしたらとチャンネルを変えてみたら、やはりそうだった。きらびやかな貴族の雰囲気、そう、ルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』である。ただ残念なことに、時間があと30、40分しかない。映画はクライマックスへと向かっている。大まかな筋は覚えていたが、実は結末を忘れていた。衝撃といえば衝撃であるし、必然といえば必然とも言えるラストだった。

 ヴィスコンティは、イタリアはミラノの名門貴族の出である。自らの血に逆らって左翼思想に傾倒し、リアリズムの映画からスタートした。若い頃のアラン・ドロンが出ていた『若者のすべて』は初期の代表作である。その後、貴族を好んで描くようになり、それも完璧なまでの考証、再現を行い、豪華絢爛な貴族の世界を描いた。晩年は、貴族を滅び行くものと捉え、その退廃を描き、自らの階級へのオマージュといえる作品を撮るようになった。『地獄に堕ちた勇者ども』や『ルードウィヒ』でそれは頂点に達した。
 が、『イノセント』は同じ貴族を描いていても、それまでの作品とはまったく違う。『イノセント』はヴィスコンティの遺作、彼が69歳のときの作品である。その年齢や死と向き合っていた(心臓発作を起こした彼は、撮影時、左半身に後遺症があったという)にも拘わらず、この映画は愛の、強い情念の物語である。

 『イノセント』の何に、それほどまでに感動したのか。多分に当時の精神状態というか、若さに拠るところが大きいと思う。当時の僕は(今も?)大変純粋だったのである。
 この作品は、ある男が、自分の愛する女性が他の男の子を宿し、そして産まれたその子を、自らの愛のため、耐えられずに殺してしまう、という話である。勿論、映画の話はもっと複雑である。この男と女は夫婦である。つまり奥さんが浮気をして他の男の子を産んだのである。なんて可愛そうな男、と思うのは早い。実はこの男、大変身勝手で自分は他の女性と遊んでばかりなのに、妻は貞淑、自分のものだと信じている。それが他の男を好きになったと知った途端、妻への愛に気付くのである。もしかすると所有欲や独占欲のようなものかもしれないが。
 あまり書きすぎてはいけないので、これくらいにしておこう。では、この身勝手な男の話のどこに共感したのか。
 自分の愛を神聖なものだと思うところ、他の男よりも誰よりも自分の愛が強いと思うところ、でなかっただろうか。ストーカーというと大概男だが、なんとなく解らなくはない。男は単純でバカな生き物なのである。

 ところで、『イノセント』といえば、無実、純粋無垢といった意味である。赤ちゃんを殺してしまったけれど、それは愛するがゆえであり、彼はイノセントかもしれない、という主旨かと思っていた。又、考えようによっては、浮気をし子供を産んだ妻がイノセントというのかもしれない。彼女も愛に生きたのである。愛があれば、すべては許されるか。
 念のため、イノセントを辞書で引いてみた。最後に foolishly simple とある。うーん、やっぱり憐れな男の話か。