縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

佃、不思議、発見

2006-07-14 23:54:00 | 最近思うこと
 昨日から家の近くで盆踊りをやっている。ここの踊りはちょっと変わっている。おなじみの「東京音頭」は流れないし、子供向けの「ドラエモン音頭」もない。一人の歌い手が自ら太鼓を叩きながら歌い続ける。人はやぐらの周りを静かに、そして思い思いに踊る。どちらかというと単純な踊り。絶対的な型は特にないようだ。
 「佃島盆踊り」という。東京では(もとい全国でも?)珍しい古い形の盆踊り、それも念仏踊りである。聞くところによると、京都本願寺の踊りの流れを汲むとのこと。しかし京都には今はない踊りだ。では、なぜ東京で古い京都の踊りが? それにはここ佃の歴史が大きく関わっている。

 佃は隅田川の中州であり、その名前は江戸時代初めに攝津国佃村(今の大阪市西淀川区佃)から移り住んだ30数名の漁師が郷里を偲んで「佃島」と名付けたことに由来する。彼らは家康の許可を受け江戸に移り住んだのだが、江戸城への魚の納入の権利を与えられ、それは羽振りが良かったらしい。因みに佃煮の発祥はここ佃島である。
 家康と佃村の漁師との関係は、家康が住吉神社に参拝した際、彼らが家康を船に乗せたのがきっかけだという。一説には、それは本能寺の変のときであり、命からがら逃げる家康を彼らが手助けしたとの話もある。又、その後、彼らは大阪での家康の隠密となって活躍したともいう。確かに後に家康から受けた彼らの厚遇を思うと、家康が大きな恩を感じていたのは事実なのだろう。

 で、「佃島盆踊り」だが、これは今の築地本願寺を作るのに佃島の住民が尽力したことを機に始まったとのことだ。彼らは熱心な本願寺の教徒であり、お盆に祖先の霊を慰めるために念仏踊りを踊ったという。又、明暦の大火(いわゆる振袖火事)の後、数多くの死体が佃島に流れ着いたことから、そうした人達の霊を慰める意味もあったのかもしれない。今でも盆踊りのときには無縁仏をまつった棚がある。

 「佃島盆踊り」は明日15日までやっている。お時間のある方、一風変わった盆踊りを見にいらしては如何だろうか。
 佃は、古さと新しさが同居する町、下町の入り組んだ路地と摩天楼のある町。このコントラストがおもしろい。3連休の混雑の中、わざわざ遠くに行かなくても、近場でちょっとした異空間、異次元の体験ができる。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
超有名人 (東西線)
2006-07-17 16:43:23
佃といえば「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公として超有名な両津勘吉さんの出身地だったかと思います。う~ん、そうじゃなくて両さんの先祖の出身地だったかもしれません。



たしか勝鬨橋から誤って落っこちた、とかなんとか、そんな物語がジャンプに掲載されていたんじゃなかろうか。



管理人さんがこういったことに関心を持っておられるかどうかわからないのですが、よろしければ職場のどなたかにお聞きになってください。どなたかこういったことにお詳しい方が、きっといらっしゃると思います(笑)。
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ET (えんちゃん)
2006-07-18 22:27:59
『こち亀』って超ロングセラーですね。確か未だに連載が続いていますよね。



勝鬨橋は跳ね橋なので、僕が作者なら、両さんが自転車に乗って、跳ね上がった橋からもう一方に飛び移る、でも、失敗して川に落ちてしまう、といったシーンを書きます。



ETになろうとしてなれなかった両さん、といった感じでしょうか。



(因みに、勝鬨橋は交通量の増加からもう30年以上跳ねていないそうです)
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